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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

青蓮院、、、川端康成「古都」より。🌳

秋深まる東山、、、南禅寺や知恩院の並ぶ道筋に天台宗の門跡寺院「青蓮院」はあります。(^。^)

天台宗の京都五ヶ室門跡の一つ。
京都での里坊として天台座主「行玄」が「鳥羽法皇」の帰依を受け、平安後期に院の御所に準じて建立、「青蓮院」と称しました。
平安末期から、門主には代々名僧が任ぜられ、第三世門主の「慈円」の時に最も栄えました。
また、17世入道「尊円親王」は能書をもって知られ、青蓮院流(のちの御家流)を開かれました。

天明の大火(1788年)の際には、「後桜町上皇」の仮御所になり、境内地は国の史跡に指定され、宸殿、小御所、熾盛光堂等の建物と池泉回遊式の庭園があります。
東山山頂には、飛地境内の「将軍塚青龍殿」があり、日本三不動の一つ、青不動明王(国宝)を有し、篤く信仰され、門前の楠の大木は京都市の天然記念物。

庭園は、粟田山の山すそを利用し、龍心池を中心とした優美な庭で、主庭は相阿弥作、「霧島の庭」は小堀遠州作と伝えられています。

また、青蓮院は、川端康成の名作『古都』に登場することでも有名です。

「お父さん、あのへんをお歩きやすなら、青蓮院のとこを、ちょっとだけ、通ってっていただけしまへんやろか。」と、千重子は車の中で頼んだ。「ほんの入り口の前だけ・・・・・・。」
「楠やな。楠が見たいのやろ。」
「そうやの。」千重子は、父の察しのいいのにおどろいた。「楠どす。」
「いこ、いこ。」と太吉郎は言った。「お父さんもな、若いときに、あの楠の大木の木かげで、友だちと、いろんなことを、話したもんやった。その友だちは、もうだあれも、京都にいやへんけど。」「・・・・・・・・。」
「あのへんは、どこもなつかしいな。」千重子はしばらく、父の若い思い出にまかせておいてから、「あたしも、学校を出てから、昼ま、あの楠を見たことあらへんわ。」と言った。 

「美しき日本の私」、、、ノーベル文学賞を受賞した折の川端康成のスピーチです。(^。^)

日本の四季、古都の春夏秋冬を愛した文豪を慕いつつ、青蓮院の気高さを想う一句。

「玄冬を切り裂き其処に青不動」  祖谷馬関

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