平安京は「青龍・白虎・朱雀・玄武」の「四神相応」を基本に方位を重視して創られた都です。(^。^)
ちなみに、馬関の「我が心の俳句」も、百句ごとに順に「青龍・白虎・朱雀・玄武」と銘打って、一日一句の修行に努めております。m(._.)m
平安時代、陰陽道が広く信仰され、北と西は陰、東と南は陽とされました。
その境目である東北と西南は、陰陽が反転するところで、鬼が出入りする忌むべき方角とされ、東北は表鬼門、西南は裏鬼門と呼ばれます。(≧∇≦)
赤山禅院は、皇城の東北に位置し、また本尊の赤山大明神(泰山府君)が陰陽道の祖神とされることから、表鬼門を守護する方除けのお寺として信仰されるようになりました。
『歴代皇記』には、弘長元年(1261年)から、赤山権現祭が官祭として行われるようになったとあり、『太平記』には後醍醐天皇を守護する存在として赤山大明神の記述があります。
信仰は民間にも拡がり、赤山大明神のお札を持ち帰って家に貼ると鬼門除けになると言われるようになりました。(^。^)
鬼門除けの猿 表鬼門を守護するしるしとして、赤山禅院の拝殿の屋根には、鬼門除けの猿が置かれています。
猿(申)は、鬼門とは反対の方角である西南西を指すことから、邪気を払う力があるとされます。
鬼門除けの猿 表鬼門を守護するしるしとして、赤山禅院の拝殿の屋根には、鬼門除けの猿が置かれています。
猿(申)は、鬼門とは反対の方角である西南西を指すことから、邪気を払う力があるとされます。
金網の中にいるのは、かつて夜になると暴れだし、いたずらを繰り返したため閉じこめたのだと言われています。(^-^)
もう一つ、京都の鬼門でよく知られているのは京都御所の猿ケ辻です。
東北角は鬼門とされ、築地塀の角を欠いて日吉山王社の神のお使いの猿を祀っています。
しかし、この猿が夜な夜なぬけだしては通行人にいたずらするため、金網で封じ込めたと伝えられています。(^-^)
御所の北東角の築地塀だけ直角ではなく凹んでいます。
理由は鬼門である北東の方角から、鬼がやってこないようにに、角(ツノ)を取っているのですね。( ^_^)/~~~
鬼門に対する猿の如く、コロナ・ワクチンよ、早く来てくれ、と願う一句。
しかし、この猿が夜な夜なぬけだしては通行人にいたずらするため、金網で封じ込めたと伝えられています。(^-^)
御所の北東角の築地塀だけ直角ではなく凹んでいます。
理由は鬼門である北東の方角から、鬼がやってこないようにに、角(ツノ)を取っているのですね。( ^_^)/~~~
鬼門に対する猿の如く、コロナ・ワクチンよ、早く来てくれ、と願う一句。
「鬼門守護比叡颪や檻の猿」 祖谷馬関