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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

あとひと月、寒昴に誓う

さて、今日は11/10、、、ひと月後の12/10(日)には、「京都観光文化検定試験」が実施されます。(^。^)

というわけで、天下分け目の決戦に備え、今日からしばし浮世を離れ、試験対策に没頭することといたします。(^-^)

つまり、いきなり一句を詠んだ後「京都検定対策シリーズ」に入るという、荒くたい体裁で進めますのでご容赦くださいませ。(^_^)

「次こそは夜空に誓う寒昴」 祖谷馬関

(注)寒昴は冬の季語。冬の夜空に冴え渡る星は美しいが、特に牡牛座に属するスバル星の輝きは印象深い。「すばる」はもともと日本語で星が集まってひとつになるという意味。

「京都検定対策シリーズ」

=秋の特別公開=

<八坂神社>
東山の山麓に鎮座する八坂神社は、北は二条通、南は(松原)通、西は千本通で囲まれた氏子地域の産土神社である。
社伝によれば斉明天皇二年(656)に高麗より来朝した使節の(伊利之)が、新羅国の牛頭山に坐した(素戔嗚尊)を山城国愛宕郡八坂郷に奉斎したことにはじまるという。
また一説には貞観十八年(876)、南都の僧(円如)が御堂を建立して薬師如来を祀り、その後天神が東山の麓祇園林に垂迹したことにはじまるともいわれる。
明治以前は、「祇園社」「祇園感神院」と称し社僧が奉仕したほか、主祭神の素戔嗚尊は神仏習合の時代には、(牛頭天王)とも称し薬師如来を本地仏とした。(現在その薬師如来像は、東大路通仁王門にある大蓮寺★に祀られている)<拝観の手引きより>

本殿とともに江戸幕府(徳川家綱)より奉納された神宝類も常磐殿で展示されていた。現在の常磐殿は、元は光照院(常磐御所)★にあり、その後三井高利邸★を経て八坂神社に寄進されたもの、との説明があった。

(1)美容水が涌く八坂神社の摂社は、ふいご祭が行われるのは 「美御前社」
(2)疫神社の祭神は、祇園祭最後の祭事は 「蘇民将来」「疫神社夏越祭」★★
(3)忠盛燈籠に関係する3人の人物は 「平忠盛、白河天皇、祇園女御」

<鹿苑寺>
鹿苑寺は左大文字で知られる(大北)山の南麓にあり、北山と号する臨済宗相国寺派の寺院で境内の(舎利殿)に金箔が貼られていることから金閣と呼ばれる。
当地は(西園寺公経)★★の北山山荘があったところで、足利義満が1397年これを譲り受け、新たに殿舎を営み、林泉築き山荘北山殿を造った。1408年には、(後小松)天皇の行幸を仰いでいる。
義満の死後、遺言によって禅宗寺院に改められ、義満の法号をとって「鹿苑寺」と号し、(夢窓疎石)を開山とした。以後、足利歴代将軍は当寺に参詣するのを例とし、特に八代将軍(足利義政)は毎年十月十五日を恒例の日と定めた。
応仁・文明の乱で建物の大半を焼失したが、相国寺の西笑承兌、弟子の(鳳林承章)★が後水尾天皇の帰依を受けて庭園や金閣の整備を行った。次いで文雅慶彦(四世)は、延宝年間(1673~81)堂守の修造に勤め、現在の鹿苑寺はこの頃に完成したものである。

方丈は、後水尾天皇の御寄進によって再建、聖観世音菩薩を中心に、梵天、帝釈天の三像及び開山無窓疎石と中興文雅及び足利義満の木像を安置している。方丈庭園には後水尾天皇御手植なる侘助椿★がある。
方丈襖絵は黒川道祐の遠碧軒記に、延宝九年に狩野外記★が描いたと記されている。狩野外記とは、信政の子、寿石厚敦信(秀信)のことと考えられる。

舎利殿は宝形造の三層の楼閣で、初層(法水院)は寝殿造、中には宝冠釈迦如来を、二層(潮音洞)★は武家造で観音菩薩を安置しており、三層(究竟頂)は禅宗仏殿造で仏舎利を安置する。<拝観の手引きより>

*浄蔵貴所の墓、銀河泉

(1)方丈の北側にある京都三名松のひとつは 「陸舟松」
(2)方丈入り口手前、参道沿いにある手水鉢は 「富士型手水鉢」★★
(3)茶室・夕佳亭の発願者は、作者は 「鳳林承章」★「金森宗和」

<東寺>
東寺は真言宗の根本道場であり、正式名称を(教王護国寺)といい、山号は(八幡山)。桓武天皇は京城内に寺院を建立することを認めなかったが、官寺(東寺・西寺)だけは建立を認めた。東寺の本尊は(薬師如来)、寺紋は雲形紋(東寺紋)。弘仁十四年(823)、(嵯峨)天皇より空海に下賜され、真言密教の総本山として栄えた。

鎌倉時代以降、当時は「お大師様の寺」として皇族から庶民まで広く信仰を集め、(後宇多)法皇<伝法灌頂>、後醍醐天皇、足利尊氏の援助を受け繁栄した。応仁の乱の戦火は免れたが、文明十八年(1486)の土一揆による火災で金堂、講堂など主要堂塔を失った。その後、豊臣家や徳川家の寄進により再建されている。<拝観の手引きより>

(1)空海は、密教の教えを伝えるため(講堂)を中心的建物として位置付けた。
(2)立体曼荼羅の中尊、五智如来(大日如来)・五大菩薩(金剛波羅蜜多)・五大明王(不動明王)
(3)「後七日御修法」が行われる建物は 「灌頂院」★
(4)「後七日御修法」に用いられる画像、「両界曼荼羅図」「五大尊像」「十二天屏風」
(5)国宝の門は 「蓮花門」
(6)東側にある門、(慶賀門)<通常拝観>、東大門<(文覚)による不開門>★★★
*灌頂院ではアーティストの★小松美羽さん★が昨年、東寺の食堂に籠もり描いた《ネクストマンダラ – 大調和》が奉納され、特別公開されます。
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