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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

カメラが見ている一部始終

スマホをはじめ、録音や録画機能を備えた機器が携帯できる世の中となり、咄嗟のトラブルや事件の場面も、音声や映像が残ることが多くなりましたね。(^。^)

日頃のニュース番組でも、「視聴者提供」というテロップ付きで迫力ある映像が流れることもしばしばです。(^-^)

相次ぐ強盗事件も然り、政治家の不適切な発言もハラスメントの一部始終も全部記録されている、、、交通事故だってドライブレコーダーがモノを言いますよね。(^_^)

こんな風潮ですから、我々も軽率な行動は出来ません。(≧∇≦)
古き良き時代の立ちショ○なんて、言語道断、、、証拠写真とともに、チ○れつ罪に問われかねません。(°▽°)

「寿ぎて何故に変顔初写真」 祖谷馬関

(注)初写真は新年の季語。年が明けて初めて撮る写真。着飾った家族がそろい写すことが多い。立ち会えない遠方の親族などに送って息災を知らせ、後には良き家宝ともなる。

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

「京都検定対策シリーズ」

=京都検定模試2=

(1)南山城最大の前方後円墳とされる城陽市にある古墳は 「久津川車塚古墳」★★

(2)「十便十宜図」の作者で、浄光寺に墓がある人物は 「池大雅」

(3)細川三斎が新婚時代を過ごした長岡京市に復元された城は 「勝龍寺城」

(4)風流踊に選ばれた「ケンケト踊り(滋賀県甲賀市)」が元になる子供棒振り踊りが行われる祇園祭の山鉾は 「四条綾鉾」

(5)国宝となった八坂神社の本殿を再建した徳川将軍は 「徳川家綱」★

(6)本隆寺にある「千代野井」で悟りを開いた尼僧は 「無外如大尼」

(7)北野天満宮を再建した豊臣秀頼の家臣は 「片桐且元」★

(8)「油小路の変」で伊東甲子太郎が刺殺された殉難の碑が建つ日蓮宗の寺院は 「本光寺」★★

(9)香道・志野流の祖は 「志野宗信」★★★

(10)紫式部が訪れたとされる「桜井」がある日像ゆかりの寺院は 「涌泉寺」★

(11)京都三大奇祭、由岐神社の祭礼は 「鞍馬の火祭」

(12)後水尾天皇の皇女・多利宮が創建した「般若寺型燈籠」で知られる尼門跡寺院は 「霊巌寺」★

(13)平安京の左京の拡大、一条大路を越えて北進した大路は 「西洞院大路」★

(14)京の伝統野菜、賀茂なす・もぎなす・(京山科)なす★★

(15)大徳寺を創建した大燈国師とは 「宗峰妙超」

(16)最古の閼伽井屋や舞台造の本堂がある、大悲山と号する本山修験宗の寺院は 「峰定寺」

(17)上賀茂神社で行われる葵祭の祭事、5/5の「賀茂競馬」、5/1には 「賀茂競馬足汰式」★

(18)祭神(清原頼業)を祀る車折神社は、(後嵯峨)天皇の牛車が由来の社名で、大堰川では(三船)祭が行われる

(19)烏丸通に建つ山鉾、瀬織津姫を祀る後祭の山は 「鈴鹿山」

(20)六地蔵巡りの際、鳥羽の「鉦講」が行われる寺院は 「浄禅寺」

(21)カルガモ親子が、警察や住民に守られて(要法寺)境内の池から鴨川へ★★★

(22)伏見にある「油掛地蔵」の正式名称は 「西岸寺」★★

(23)有職の島台に由来し、蓬莱山や秋津島を表すとされる京菓子は 「洲浜」

(24)京都府立植物園の西、鴨川沿いの桜で有名な散歩道は 「半木の道」

(25)崇徳天皇を祭神とする白峯神宮、安井金比羅宮に崇徳天皇とともに祀られる源氏の武将は 「源頼政」★★★

(26)家康が伊賀越えの際に、腰を掛けたとされる石が残る寺院は 「遍照院」

(27)柿屋の古老柿や巨大草鞋で知られる宇治田原町にある曹洞宗の寺院は 「禅定寺」★★

(28)橘諸兄が橘氏の氏寺として建立した寺院は(現存せず) 「井手寺」

(29)「本願寺発祥」「蓮如誕生」の碑が建つ知恩院の塔頭は 「崇泰院」

(30)親鸞が配流の際、九条兼実と別れを惜しんだ寺院は 「月輪寺」

(31)「宇治十帖」の最初と最後の巻名は 「橋姫」→「夢浮橋」★★

(32)東京極大路を挟んで、東に道長臨終の寺院(法成寺)・西に邸宅(土御門殿)

(33)娘・彰子に請われて和泉式部のために道長が建てた寺院は 「誠心院」

(34)順徳天皇が著した有職故実の解説書は 「禁秘抄」★★★

(35)朱雀大路造営の基準となった山、北は(船岡山)・南は(甘南備山)
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