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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

「須磨寺や吹かぬ笛聞く木下闇」 芭蕉

このところ、毎日のように有名人の訃報が続いていますね。m(__)m

先日は、稲盛和夫さんが亡くなり、翌日にはゴルバチョフ氏、また、森英恵さんもそうでした。( ; _ ; )/~~~

そして、昨日は、俳優の古谷一行さんが急逝されました。m(__)m

バブル期を象徴する人気ドラマ「金曜日の妻たちへ」の主役のひとりでした。(^-^)

この古谷一行さんの息子は、ロックバンド「Dragon Ash」のボーカルの降谷建志さん(43)。
同日に自身のインスタグラムを更新し、「親父お疲れ様。最後まで本当に勇敢に闘い抜いたね。バチくそ格好良かったよ」と追悼されたそうです。
「俺にはまだやりたい事も観たい景色も山程ある。だからそっち行くのはちょと先になると思うんよな。役者仲間達と楽しくやって待っててよ」と記した。
また、最後には、「親父の息子にしてくれてありがとう」と感謝。「生まれ変わってもイカした俳優とイカしたバンドマンの親子になろぜ。愛してるよ。じゃね」と続けた。とのことです。(^。^)

いささか現代風ではありますが、良い父子関係ですね。( ^_^)/~~~

さて、「笈の小文」より、今日の一句。

「須磨寺や吹かぬ笛聞く木下闇」 芭蕉

まず、須磨寺について調べてみましょう。(^。^)

須磨寺は、平敦盛遺愛の青葉の笛や弁慶の鐘、さらに敦盛首塚や義経腰掛の松など、多数の重宝や史跡があり「源平ゆかりの古刹」として全国的に知られている。古来より源平の浪漫を偲んで訪れる文人墨客も数多く、広い境内のあちこちに句碑・歌碑が点在している。

なるほど、馬関も「平敦盛」の歴史物語は知っています。m(__)m

平敦盛は、平家一門として17歳で一ノ谷の戦いに参加。源氏側の奇襲を受け、平家側が劣勢になると、騎馬で海上の船に逃げようとした敦盛を、敵将を探していた熊谷直実が「敵に後ろを見せるのは卑怯でありましょう、お戻りなされ」と呼び止める。
敦盛が取って返すと、直実は敦盛を馬から組み落とし、首を斬ろうと甲を上げると、我が子・直家と同じ年頃の美しい若者の顔を見て躊躇する。
直実は敦盛を助けようと名を尋ねるが、敦盛は「お前のためには良い敵だ、名乗らずとも首を取って人に尋ねよ。すみやかに首を取れ」と答え、直実は涙ながらに敦盛の首を切った。
この事から、直実の出家の志が一段と強くなったという発心譚が語られる。
「延慶本」や「鎌倉本」の『平家物語』では、直実が敦盛の笛を屋島にいる敦盛の父・平経盛の元に送り、直実の書状と経盛の返状が交わされる場面が描かれている。

この『平家物語』の名場面は、能『敦盛』、幸若舞『敦盛』、文楽/歌舞伎『一谷嫩軍記』などの題材となった。
織田信長の好んだ歌「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を享け滅せぬもののあるべきか 」は幸若舞『敦盛』の一節である。

(句意)
ここ須磨で青葉の笛を吹いた若き公達敦盛が死んでいったのは、はるか昔のこと。であれば笛の音が聞えてくるわけも無い。しかし、その笛の音が聞えてくるような幻想に襲われる、須磨の木下闇(こしたやみ)に佇んでいると。

ハハーン、ちょっと気がついたんだケロ!🐸

この句、「須磨寺や吹かぬ笛聞く木下闇」の構成、、、芭蕉翁のあの代表句「古池や蛙飛び込む水の音」と、よく似てませんか?(^_^)

平敦盛ゆかりの笛の音が須磨寺の木下闇から聴こえて来るようだ、、、(^-^)

ほらぁ、、、古池=須磨寺の木下闇、水の音=笛の音、、、うーん、ちょっと無理があるかな?( ; _ ; )/~~~

では、馬関より、返句献上申し上げます。

 「果つるまで見えぬ父の背萩の月」 祖谷馬関

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