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小説「霊南坂の星条旗」 その20 by FUNAYAMA

2007-08-15 12:09:31 | Weblog
ジョセフ.C.グルーは一八八〇年(明治十三年)五月二十七日、銀行家でもあり毛織物商でもあった裕福な家庭の、姉一人、兄二人の末っ子としてボストンで生まれた。
グルー家はイギリスから渡ってきたアングロ.サクソンの名家で、姻戚に世界的な富豪モルガン財閥も名を連ねていて、ボストン上流社会でも重きをなしていた。
アメリカの富裕な名門家庭の子弟たちにとって、公共に奉仕する精神を幼い時代から植え付けられるのは、きわめて普通のことだった。グルー少年も、それ相応に果たさなければならない義務と社会的責任を指すノーブレス.オブリージを躾られた。
彼が通った地元のグロトン校は、さらに厳しい躾のもとに将来のエリートたちを育て、グルー家の宗教エピスコパル(聖公会)とあいまって、彼は優れた人格を陶冶(とうや)されていった。グロトン校には後年の日米開戦時の大統領フランクリン.ルーズベルトが二年後輩にいた。
裕福な家庭だったが贅沢は許されなかった。姉は精神に障害を持っていて、そのせいかグルーは弱者に対するいたわりの心を強く抱いていた。そして人間そのものに興味を持つようになった。父親は彼に出版界に進むことを望んだが、グルーは、
「ぼくは将来、世界の国々、世界の人々とつきあえる仕事をしたい」
こう言って外交官の道を志望するようになったのも、人間への期待や関心の表れだった。幼いときに罹ったしょう紅熱が原因で右耳の聴力がほとんど失われていたが、この感覚器官の障害は、彼にとって取るに足らない些細なものとする強い意志があった。
十九歳になった彼はハーバード大学入学を前に、父親と共にアジア旅行に出かけ、中国で猛虎を仕留めたりの数々の冒険を楽しみ、そのあと日本を訪れ、神戸、大阪、京都を経て東京に来た。宿泊は帝国ホテルだった。
その当時、奇しくも将来の妻アリスも東京にいたのである。
 アリスの旧姓はアリス.デ.ベルマンドワ.ペリーといい、一八五三年(嘉永六年)黒船を率いて浦賀に来航したペリー提督は祖父の弟にあたり、つまり大叔父である。

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