IVYポサリのディープな港区

港区のちょっと変わった情報パークどす

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秋祭り

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このシーズン秋祭りが盛んである。大人も楽しんでいるが、やはり子供達に「お祭りという思い出」を作ってあげようという親心を感じる。その最たるものが、この風船神輿、聞くと子供用ではなく幼児用とのこと。うん、これならかつげるかもしれないな。それを見ている両親や、ジジババのデレデレの笑顔が目に浮かぶ。うん、いいですね。風船で思い出したけれど、ディズニーワールド20周年だったか、シンデレラ城(あちらでは、キャッスル オブ スリーピングビューテイというらしい)がすべて風船でできていた。しかもピンク色が主体で。ビックリしたなあ、もお!2泊1日のオーランドだったけれど、見といて良かった。アメリカの派手さは刺激になります。やるならここまでやれ!という。 でも、幼児風船神輿もほほえましくて良いどす。
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白金の花屋さん

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最近、只の壁面緑化では驚かなくなりました。これも規模が大きくなれば面白いのですが、まあ努力賞。店の周りの壁面を17種類の植物で囲っております。このようなものはビルに金型をはめ込み、それに1cmぐらいの厚さのフェルトを貼り、フェルトに切り込みを入れてお椀のように半分膨らまし、そこに植物をいれ、あとは時間が来れば水がしたたり落ちる自動灌水。港区白金の銀杏並木の真ん中あたりにある日比谷花壇のお店です。HKショップといいますが頭文字ですね。シロカネに御用の方は覗いてみてください。スタッフの人たちは気さくでした。
ところでボクはどうも白金が好きになれない。シロガネーゼ、とかプラチナ通りとか、昔井上順の元カミサンの青木えみがケーキ屋を開いたあたり、またスノッブな蕎麦屋ができたあたりから、街の雰囲気が変わってきた。田中康夫がナンパしているのも見たし、つまり浮ついた街になってしまったのね。 でも、もう落ち着いた銀杏並木は戻って来ないだろうな。
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小説「霊南坂の星条旗」 その33 by FUNAYAMA 

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エルシィの婚約者セシル・ライオンが香港出張の際、彼女のためにコカスパニョールの仔犬を買ってきた。
サンボゥと名づけられた仔犬はひょうきんで、邸内を我が物顔で走り回り、アリス夫人のベッドを自分の寝室と思い込み、もぐりこんではアリスを驚かせ、
「サンボゥ、あなたは私とエルシィのどちらを、ご主人さまと思っているの」
と言わせ、みんなを笑わせた。
そのサンボゥを連れてグルーとエルシィが皇居のお濠端に散歩に出かけたときだ。一瞬、目をはなした隙に、サンボゥが薄く氷の張った濠に落ちてしまった。
悲鳴をあげるエルシィ。石垣に取りつこうともがくサンボゥ。とても手の届く高さではない。グルーは助けを求めて交番に走った。
そのときである。通りかかったタクシーの運転手と一人の少年が駆けつけてきた。
「どうしたんだ?」
エルシィが悲鳴とともにサンボゥを指さすと、
事情を察した運転手はすぐさま車からロープを持って引き返し、体に巻きつけると、少年がそのロープを伝わり降り、お濠の水で自分のズボンが濡れるのもいとわず、懸命になっていまにも溺れそうなサンボゥを救い上げたのだった。
エルシィはガタガタ震えているサンボゥを抱きしめ、二人の機敏な行動に、
「ありがとう。ほんとうにありがとう」と、何度も礼を述べ、お金を差し出した。
「冗談じゃありませんよ。そんなもの受け取れませんよ。なあ」
「そうです。要りません」
二人は固く拒んだ。
「ではお名前を」
「いいんですよ、名前なんか。なあ」
「はい」
「でも・・・」
「なにね、困ったときはお互いさま。なあ」
「そうです」
こうして二人は、グルーが戻ってくる前に名も告げず、立ち去っていった。
「なんという謙虚な人たちなんだろう」
グルーは感激したが、事の経緯を聞いたアリス夫人も、
「本当に勇気があって、親切で、しかも謙虚で・・・・」
と深く胸を打たれ、なんとしても感謝の意を伝えたいと強く願った。
そのことはやがて新聞記者の知ることとなり、日本人の美談として紙面を飾り、さらに発展して、運転手と少年を見つけた人に報奨金を出すという記事が新聞に載った。すると偽の運転手が名乗りを上げたりして、また話題を呼んだのだった。そんなこともあって、やっと本物の二人が見つかり、大使夫妻をいたく喜ばせた。
これには、さらに素晴らしい後日談があった。
宮中で皇太子誕生の祝宴が催されたとき、お祝いを述べたグルーに天皇は、
「サンボゥはどうしているか」
と尋ねられた。新聞でサンボゥ事件の顛末をご存知だったのだ。
グルーは天皇の心配りに感嘆の声をあげた。
国家間の友情を築くのも、人と人との信頼に基づく。これがグルー大使の信念であり、
このようにして上は天皇から下は公邸の使用人たちまで、政府上層部から出入りの植木職人までと、幅広く日本人に会って理解を深めていったのである。
           (前編終了)
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著者FUNAYAMA氏、休暇休養と取材のためしばらく休載とさせていただきます。その間「IVYポサリ」によるみなと区ネタを時々載せさせていただきます。ご愛読を御礼いたしますとともに、続篇をご期待ください。
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小説「霊南坂の星条旗」 その32 by FUNAYAMA 

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皇太子誕生を告げるサイレンが高鳴った。
昭和八年十二月二十三日の朝のことである。
「皇居の様子を見てきて欲しい」
グルーの依頼で貞吉はグルー家の愛犬キムを連れて宮城前広場に出かけて行った。
広場は日嗣の御子の誕生を祝う群衆で溢れていた。
「万歳! 万歳!」
昭和の御代を寿ぎ、慶びに沸く万余の群集から歓喜の叫びが迸り、貞吉もともに和した。
戻ってからこの光景を興奮気味に話す貞吉に、アリス夫人は、
「このような素晴らしい日に巡り合わせて、私たちはなんて幸せなんでしょう」と、涙ぐみながら何度も言い、グルーは、
「この慶びは、日本に住む者でなければわからない」
と、歓喜を満面にあらわし、おめでとうを繰り返し、貞吉と固い握手を交わした。
そしてこの後、在京外交官の誰よりも早く皇居へお祝いに駆けつけたのだった。
「日本に住む者でなければわからない」というグルーには、天皇と国民の結びつきが、欧米の尺度では計り切れない日本人固有の財産であり、日本人の精神土壌の上に築かれた独自の文化遺産、すなわちそれが天皇であることを肌で感じることができたのだ。
だからこそ皇太子の誕生は、次代の天皇を意味し、日本国民にとって天皇家の安泰は心の支柱であることを、グルーはよく認識していたのである。
このように皇室は日本人には欠かせない存在と理解し、個人的にも天皇を尊敬するグルーを、さらに感激させることがあった。
それは娘エルシィとセシル・ライオンの結婚のお祝いに、天皇家から梨地金蒔絵の見事な道具箱が下賜されたことだ。
披露宴はアメリカ大使館公邸で催され、秩父宮殿下夫妻も出席された。
当時、皇族に話し掛けることが許されるのは。公使以上の者に限られるという不文律があったのだが、殿下夫妻は自ら人々に気さくに話かけられた。
妃殿下がワシントンのフレンド・スクールに通学されていたことが披露されると、館員たちから拍手が起こり、しかも一等書記官コビィル夫人の妹が妃殿下と学友の間柄だと分かると、妃殿下は親しく夫人に声をかえられ、夫人は感激に頬を紅潮させたのだった。
なお、天皇家からの梨地金蒔絵の道具箱はアメリカのニューハンプシャーに住むエルシィの居間に今も、傷ひとつなく大事に飾られている。
(土曜、日曜は休載させていただきます)
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小説「霊南坂の星条旗」 その31 by FUNAYAMA 

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グルーは昭和天皇に敬愛の念を抱いていた。
末娘エルシィによれば、
「父は天皇を日本の古代からの連綿たる歴史や伝統、そして日本独自の文化や政治の構図の上に成り立ち、国民の崇拝を受けるに相応しいお方と理解していたのです」
すなわちグルーは日本における皇室の価値を認め、天皇に敬愛の情を寄せていた。
グルーが初めて天皇に拝謁したのは、着任して間もない昭和七年六月十四日の信任状捧呈式の時であった。
その日は生憎、梅雨の最中で朝から雨が降り続いていたが、グルー大使、アリス夫人、エルシィたちは宮中差し回しの馬車に乗り、大使館から皇居に向かった。
馬車の前後には、羽飾りのついた帽子をかぶり、美しく着飾った近衛の騎兵隊が付き従う。
途中、通行人のお辞儀に会うと、グルーは帽子の庇に手をやり答礼をする。もちろんグルーには嬉しい市民の歓迎である。
帰ってきてから貞吉にこう語った。
「非常に美しい皇居に入ると、儀杖兵の一隊が気を付けの姿勢で並び、ラッパを高々と鳴らし、予定の十時五十分ちょうどに一秒の狂いも無く、馬車は玄関に到着した」
それはまさにお伽の国の出来事のようだったという。
グルー家の人々はしばしば「日本はお伽の国のよう」と貞吉に語ったものだ。
謁見の場に通されたグルーは、まず部屋の豪華さや衝立、漆塗りの扉の見事さに感嘆した。
天皇の前では扉のところでお辞儀をし、半分ほど進んでお辞儀をし、すぐ前に行ったところで三度目のお辞儀をした。そして信任状を捧呈する。すべてが時計のように正確に厳かに行われた。グルーにはこうした作法はいささかも苦痛ではなかった。
こういう天皇との謁見はそうしばしばあるものではないが、他国の外交官のなかには窮屈だと不満を洩らすものもいた。しかしグルーは宮中の作法を、伝統ある厳粛な行事と理解していた。
このあとの饗応のテーブルで両陛下とグルーたちは共々に会話に打ち解け、グルーたちはこれまでの人生の経歴から旅行、前任地のこと、果てはエルシィの黒海遠泳のことまで披露したのだ。
このように腹蔵なく会話が交わせる皇室に、限りない敬愛の念と親近感をグルー家の人々は肌で感じていた
ちいさな口髭を蓄え、眼鏡をかけ、話をされるとき心地よい微笑を浮かべられる陛下との会見の体験は、後々まで天皇家とグルー大使を結ぶ見えざる絆と繋がっていくのである
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小説「霊南坂の星条旗」 その30 by FUNAYAMA 

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殿様にご恩がありながら、色に溺れたばっかりに大事な場所にも居合わせなかった。しかし仇討ちに加わりたいと必死に思うあまりに、大変な大罪を犯してしまった。今は死んでお詫びをするばかりと、勘平は無念の涙でいう。
その言葉に数右衛門が余市兵衛の体を改めると、鉄砲傷ではなく、刀傷だった。この犯人は定九郎と判明し、誤解は解けたが、勘平はすでに虫の息。
数右衛門は仇討ちの連判状に血判をさせ、勘平も義士の一人に加わったと告げるのである。
勘平は魂魄この世に留まりて、敵討ちのお供をせずにいられるか、と言い残して死んで行くのだった。
ドューマンはさらに言葉を続けて、四十七士が討ち入りを果たす忠臣蔵の結末まで解説した。
「役に入れば、日本人になりきれる」
舞台を終えた外交官たちは口々に言った。
しかし、同時に、
「なぜ勘平は自分から死ぬのか。それは自暴自棄なのか」
「死を恐れないのは何故か」
「日本人の責任の取り方は死ぬことなのか」
「面目とは何か」
「日本人のいう忠義、義理、情けとはどこから生まれるのか」
「なぜ彼らは復讐したのか」
「なぜ日本人は『忠臣蔵』を好むのか」
等々の疑問がアメリカ人たちの間に雲のように湧き上がったのだ。そして貞吉たちも巻き込んで、喧々諤々の議論が展開された。
日本の理解に意欲を燃やす外交官たちは、グルーを交えて日本人の心を理解するキイ・ワードは何かと真剣に取り組んでいた。
「義と情に挟まれたとき、日本人はその二つにともに誠を尽くそうとして、その解決策として死を選ぶ」
彼らは一応こう結論を下した。こうしてグルーは歌舞伎にとどまらず、あらゆる機会を通して日本人の深層心理を掘り下げようと努力を重ねていた。
それにしても、と貞吉は思った。アメリカの外交官たちが、日本と日本人について、これほど熱心に学ぼうとしているのだから、日米間に戦争など起きるはずはない、と。
しかも彼らは日本とそこに住んでいる人々が好きなのだ。この人たちがいる限り、日本とアメリカは友好を保っていける。そう貞吉は信じたのだ
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小説「霊南坂の星条旗」 その29 by FUNAYAMA 

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やがて勘平とおかるが旅姿で登場する。
「勘平さん」と、姿態(しな)をつくって女形の声色でコビィルのおかるが、ベニングホフ扮する勘平に声をかける。
勘平「これ、鎌倉を出て、やうやうと、ここは戸塚の山中。石高道で足は痛みはせぬかや」
おかる「なんの、なんの。それよりはまだ、行き先が思われるわいなぁ」
♪恋に心を奪われて、お家の大事と聞いたとき、重きこの身の罪科と…
と、ドューマンの朗読が入ると、
勘平は武士の面目にかけて自刃しようとするが、必死になっておかるはそれを止めるのだ。しかし勘平は、後先のことを考えず、ここまで来たが、主君の大事のときに余所にいた自分の責任を思えば、とても生きてはいられぬ。なまじ命を永らえていたら、腰抜け武士と笑われる。さらばおかる。と、なおも刀を腹に突きたてようとする。
私ゆえの不忠であなたが死ぬなら、私も死ぬ。でもそれは只の心中で終わってしまい、誰が誉めるだろうか。いまはひとまず私の故郷で世を忍び、時を待ちましょうと切々と訴えるおかるの言葉に、ようやく勘平は切腹を思い止まる。
このとき二人を追う高師直の家来、鷺坂伴内が現れ勘平と立ち回りになるが、伴内を追い払い、二人はおかるの故郷に帰っていく。
♪先は急げど心は後へ、お家の安否如何にぞと、案じて行くこそ、道理なれ。

ここで幕が閉じると、会場から一斉に拍手が起こった。松竹から衣装を借りたり演技指導があったとはいえ、アメリカ人の彼らが、よくここまで演じたと貞吉たちは舌を巻いた。
この後はドューマンの解説が入る。
主君の仇を討つには軍資金が必要で、そのために悩んでいる勘平のため、おかるは内緒で祇園に身を売り、金を調達する。その金を受けとった父親、余市兵衛は一刻も早く婿の勘平を喜ばそうと夜道を急ぐが、不運にも盗賊定九郎に殺され、金を奪われてしまう。
その定九郎を勘平は猪と間違え、鉄砲で撃ち殺してしまう。が、それが人間だと分かり愕然とするが、暗闇で勘平には殺した相手が誰だか分からない。だが死体の懐の金に気がつき、悪いこととは知りながら、主君のためと自分に言い聞かせ、その金を手にする。
家に帰ると余市兵衛の遺体が運ばれてきた。殺したのは自分かと思い込んだ勘平の落ち着かぬ態度に不審を抱いた義母は、余市兵衛を殺し、折角の金を奪ったのは勘平だと決め付け、恩知らずな不幸者と責めたてた。
そこへ来合わせた同志の不破数右衛門も経緯を知り、お前の非道な行為は亡君への不忠、恥辱だと罵り、立ち去ろうとする。
暗闇で間違えたとはいえ、舅を殺してしまったと思い込んだ勘平は、死をもって詫びようと、刀を腹に突き立てた
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小説「霊南坂の星条旗」 その28 by FUNAYAMA 

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「大使のお嬢さんエルシィとライオンさんの婚約祝いに、おかる勘平道行きは、少しおかしいと思いませんか?勘平は最後に腹を切るんです。それをなぜ選んだのでしょう?」
疑問に思った貞吉は、進行役を務めるドューマン書記官にたずねた。
「いや、いや、船山さん。この道行きには身を売ってまで男に尽くそうという日本女性の献身的な愛がみられるのです」
ドューマンとおこうは顔見知りで、二人は久しぶりの関西弁で話に夢中になった間柄であり、ドューマンの気さくな人柄に貞吉も初対面のときから好感を抱いていた。
日本の歴史、社会についての博識は群を抜き、日本人のメンタリティにもよく通じていて、グルー大使の右腕として大使館では欠かせない貴重な人材だった。
後年、グルーとともに終戦時の日本の将来に大きく関わってくる親日派の外交官だ。
いよいよ上演の日がきた。舞台は公邸の大広間があてられた。終戦後、天皇とマッカーサーの会見の場になった広間だ。
『仮名手本忠臣蔵』は、あの赤穂浪士が吉良邸に討ち入り、見事本懐を遂げた史実を復讐劇に仕立てた歌舞伎の外題である。
アメリカ大使館の館員たちが、なぜこれを採り上げたのか。彼らの日本人観をみるためにも、少し長くなるが内容を記さしていただきたい。
先ず配役は、勘平を、H・ベニングホフ書記官。彼は昭和の初期に早稲田大学で英語講師の経験があった。
おかるは、C・コビィル書記官。語学研修生として日本に派遣され、外交官試験にパスした未だ三十代のハンサムな青年外交官。
鷺坂伴内は、W・タァナー書記官。宣教師を両親として一九00年に神戸で生まれ、やはり語学研修生から外交官になり、戦後再び駐日アメリカ大使館に勤務している。
ドューマンの解説で幕が開いた。
判官の妻に横恋慕をした高師直(こうのもろなお・吉良上野介)から数々の嫌がらせを受けた塩冶(えんや)判官は、ついに堪忍袋の緒を切り、殿中松の廊下で刀を抜き、斬りつけたが、取り押さえられ、無念の切腹。お家は断絶。残された家臣たちは家老の大星由良之介(大石蔵之介)を頭領にして亡君の復讐を誓い合った。
しかし、このお家の大事のときに恋仲にあった家臣の一人、早野勘平と腰元のおかるの二人は、おかるの里へ逃避行せざるを得なかった。すなわち、おかる勘平の道行き、三段目返しである。
落人も見るかや野辺に若草の、薄尾花はなけれども、世を忍び路の旅衣.……
と、ここで清元浄瑠璃が入るところだが、ドューマンはギリシャ悲劇のコーラスのように、朗々と声を張り上げ、日本語で朗読する。
もちろん役者たちは全員、日本語の台詞をよどみなく喋った。
グルー大使たちの手元には英語版が配られていて、興味深げに舞台を見つめている。
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小説「霊南坂の星条旗」 その27 by FUNAYAMA 

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軽井沢に来ると、暫しのあいだ公務を忘れ、ゴルフ・コースでクラブを振るのがグルーの楽しみだった。冬は暖房が整っているが、当時のチャンセリー(大使館事務所)や公邸には夏の冷房設備がなく、うだるような東京の夏からしばしば逃避するのはやむを得ないことだ。グルーのゴルフ好きはワシントンにまで聞こえていたほどで、東京にいるときも小金井、朝霞、川奈などでよくプレーをしていた。
「コースの攻め方は、外交戦略に似て役に立つ」
と、いうのがグルーの持論で、また人と人との交流にも役立つと信じていた。大使にならって館員たちもみなゴルフに熱中していた。こういうところはどこの社会でも同じだろう。
この軽井沢には外交官マホットに嫁いだ三女のレビットもカナダから子供たちを連れ、遊びに来ていた。レビットは祖母の絵心を受け継いだのか、油絵が得意で、浅間山の美しさに魅せられたように熱心にスケッチに励み、エルシィはアサマと名づけた愛馬に跨り、軽井沢を闊歩していた。脚が不自由なアリスはゴルフは出来なかったが、トランプのブリッジが得意だった。子供たちの歓声がこだまする雑木林、その孫たちに囲まれて、軽井沢の大使夫妻は幸せそのものの避暑を楽しんでいた。
趣味といえば、大使夫妻はもとより、アメリカ大使館には歌舞伎愛好家が多かった。貞吉も亡兄が猿翁こと猿之助の番頭を務めていたこともあって、多少はその世界にも通じていたので、彼らと梨園の役者たちの演技や劇評を交わすのは、楽しいひとときだった。
アリスも吉田茂夫人雪子の流暢な英語に助けられて観劇を楽しみ、貞吉たちにも切符をおくり、歌舞伎座行きを勧めていた。
グルーも着任早々、松竹大谷社長の案内で歌舞伎座に足を運び、菊五郎の『鏡獅子』を観劇し、
「舞台が織りなす日本の様式美に深い感銘を受けました」と、たちまち歌舞伎の魅力に傾倒するのだ。
夫妻の歌舞伎好きは館員たちの熱をますます上げさせた。そして、さらに、
「日本並びに日本人をよりよく理解するために、自分たちも演じてみたい」と、言い出した。ちょうどこの時期、グルーの部下セシル・ライオンと末娘エルシィの恋が実り、二人の婚約を祝って上演したいという。
もちろんグルー大使に反対する理由はなく、こうして館員たちは『仮名手本忠臣蔵』の三段目返し、戸塚山中の場、おかる勘平道行きを選んだ。
(土曜、日曜は休載させていただきました)
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小説「霊南坂の星条旗」 その26 by FUNAYAMA 

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晩餐会に出す料理には、それが西洋料理でもよく日本の陶器が使われた。
「船山さん、今夜のスープにはこの九谷焼を、と考えているのですが、どうかしら?」
アリスの優れた美的センスは殆んど貞吉が口をはさむ余地がないほどだった。メイン・ディシュには備前焼の皿を用いるなど、趣向を凝らし、日本情緒の巧みな調和と美的雰囲気を醸しだして、客の目を楽しませていた。
このアメリカ大使館の晩餐会には宮家の方々がしばしば姿をみせていた。アリスは特に秩父宮妃と気が合うように見えた。会食以外にも秩父宮妃はアリスを訪ね、女性ならではの話題に咲かせていた。
妃殿下は欧米のファッションに興味をもたれ、帽子を新調するときは必ずアリスのアドバイスを受け入れ、アリスが持っているファッション雑誌『ヴォーグ』の情報を参考にされるなど微笑ましい交歓が見られた。
この情報は天皇家にも達し、貞明皇太后は秩父宮妃とアメリカ大使夫人アリスの親交ぶりに好感を抱かれていた。
 グルー大使は日本の上流階級に属する、いわゆる穏健派と呼ばれる人々との交流を深めていた。彼らから得る情報は日本分析のデータにもなっていた。
ともあれグルー夫妻の誠実な人柄は、相手にアメリカ人を意識させない心安さを与えるのか、家族ぐるみで交際する日本人も多かった。例えば吉田茂の娘で、牧野伸顕の孫にあたる麻生和子。樺山愛輔の娘、白洲正子。来栖三郎の娘ヤエたちが、エルシィを交えて公邸に華やいだ明るい雰囲気をつくっていた。
夏になると、軽井沢がグルー家の恒例の避暑地になった。憲聖といわれた尾崎顎堂翁の令嬢が大使館に勤務していた関係から、別荘の手配には尾崎家の尽力があった。
アリスは浅間山鬼押し出しで採れる浅間葡萄(ブドウ)をたっぷりと仕入れて、客に出すデザートの欠かせない材料にしていた。東京の公邸でも美しく紫に彩られた浅間葡萄入りのババロアやアイスクリームは、招待客の間で殊のほか評判だった。
貞吉の子供たちにも軽井沢にわざわざ民家を借りいれ、避暑地の夏を楽しませ、また子だくさんの貞吉に洋服や食品をさり気なくプレゼントするのだ。
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