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小説「霊南坂の星条旗」 その32 by FUNAYAMA 

2007-08-31 11:59:20 | Weblog
皇太子誕生を告げるサイレンが高鳴った。
昭和八年十二月二十三日の朝のことである。
「皇居の様子を見てきて欲しい」
グルーの依頼で貞吉はグルー家の愛犬キムを連れて宮城前広場に出かけて行った。
広場は日嗣の御子の誕生を祝う群衆で溢れていた。
「万歳! 万歳!」
昭和の御代を寿ぎ、慶びに沸く万余の群集から歓喜の叫びが迸り、貞吉もともに和した。
戻ってからこの光景を興奮気味に話す貞吉に、アリス夫人は、
「このような素晴らしい日に巡り合わせて、私たちはなんて幸せなんでしょう」と、涙ぐみながら何度も言い、グルーは、
「この慶びは、日本に住む者でなければわからない」
と、歓喜を満面にあらわし、おめでとうを繰り返し、貞吉と固い握手を交わした。
そしてこの後、在京外交官の誰よりも早く皇居へお祝いに駆けつけたのだった。
「日本に住む者でなければわからない」というグルーには、天皇と国民の結びつきが、欧米の尺度では計り切れない日本人固有の財産であり、日本人の精神土壌の上に築かれた独自の文化遺産、すなわちそれが天皇であることを肌で感じることができたのだ。
だからこそ皇太子の誕生は、次代の天皇を意味し、日本国民にとって天皇家の安泰は心の支柱であることを、グルーはよく認識していたのである。
このように皇室は日本人には欠かせない存在と理解し、個人的にも天皇を尊敬するグルーを、さらに感激させることがあった。
それは娘エルシィとセシル・ライオンの結婚のお祝いに、天皇家から梨地金蒔絵の見事な道具箱が下賜されたことだ。
披露宴はアメリカ大使館公邸で催され、秩父宮殿下夫妻も出席された。
当時、皇族に話し掛けることが許されるのは。公使以上の者に限られるという不文律があったのだが、殿下夫妻は自ら人々に気さくに話かけられた。
妃殿下がワシントンのフレンド・スクールに通学されていたことが披露されると、館員たちから拍手が起こり、しかも一等書記官コビィル夫人の妹が妃殿下と学友の間柄だと分かると、妃殿下は親しく夫人に声をかえられ、夫人は感激に頬を紅潮させたのだった。
なお、天皇家からの梨地金蒔絵の道具箱はアメリカのニューハンプシャーに住むエルシィの居間に今も、傷ひとつなく大事に飾られている。
(土曜、日曜は休載させていただきます)
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