一原堂便り

こちらは、一原堂・朝倉同窓会です♪

朝倉高校野球部 ばんざ~い♪

2013-07-16 | 朝倉高校

7月13日(土) 全国高等学校野球選手権記念大会 福岡県大会出場をかけた熱い戦いが繰り広げられました。

相手は、東福岡高校

白熱した試合展開でした。

Dscf1331_3

 結果は 東福岡 10-0 朝倉

東福岡 010  000 18 =10

朝倉   000  000  00  =0      

結果的には負けましたが、ここまでの頑張りは、勇気と希望を与えてくれるものでした。

Dscf1337

~梅井教頭先生 談~

『選手たちはよく頑張りましたが、チャンスにあと1本が・・・

残念な結果でした。1点入っていれば、展開は違っていたでしょう。

応援は大変盛り上がり、学校が一体となった時間でした・・・』

朝日新聞西部本社高校野球担当さんのツイッターで面白い書き込みを見つけました

 

「春日球場でかめはめ波のやり合いを両校スタンドでしています()。こんなやり取り初めて。仕掛けたのは東福岡。スタンドの選手がみんなでかめはめ波をすると朝倉のOBが倒れてくれた、10人くらい。2回目のかめはめ波でかなりの人たちが倒れる(保護者も含めて)

すると東福岡スタンドがそっちもやれとアピール。朝倉スタンドがかめはめ波をすると、東福岡スタンドはスルー!()。『え~~』というスタンドの声と同時に選手全員が倒れる。スタンド一同大爆笑。5回終了後のグラウンド整備の時間を楽しませてくれました。こんなこと他の県でもやってるのかな?」

とっても微笑ましいお話ですね

Dscf1351

今回の、朝倉高校野球部の躍進には、非常に大きな意味があります

校舎の改築のために、1年以上もの間 グラウンドもなく、練習場の確保も厳しい中で

頑張ってきた野球部なのです

多くの同窓生に、夢と感動を与えてくれた彼らに

大きな拍手を・・・

そして、今現在進行中の 110周年記念事業『第2グラウンド購入計画』にご賛同をお願いいたします。

頑張っている 彼らに、思いっきり練習させてあげたいと思いませんか?

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朝倉 剣道部!!

2013-07-11 | 朝倉高校

第95回 全国高校野球選手権 福岡県大会での 朝倉高校 野球部の快進撃

今日行われた、福岡第一高校との試合では、7-3 と 大きな勝利

連日の暑さの中、選手たち頑張っています。

でも、活躍しているのは 野球部だけではないのです

7月13日 全九州高等学校体育大会(いわゆる九州大会) に剣道部 2名が出場します

 <男子個人>   3年 瀬尾 光一

  <女子個人>  3年 橋本 瑞穂 さん     

開催地は鹿児島です。

がんばってきてくださいね応援していますよ

朝倉高校 剣道部って・・・すごく伝統ある強豪校なんですよ。

また改めてまとめたいと思っていますが、

大正6年の第2回九州学生武道大会(現・玉竜旗)において見事優勝

高20回・21回の先輩方は、埼玉国体3位入賞

そのメンバーのお一人である横尾英治氏(21回生)は在学中は玉竜旗20人抜き(高校1年時)の新記録樹立、2・3年連続でインターハイ出場、卒業後もかなりのご活躍で・・・書ききれないほどなんで、割愛させていただきますが、昭和51年の世界剣道選手権大会個人戦にて優勝世界一ってすっごいですね

と、朝倉高校 剣道部 は 歴史ある強豪校 

みなさん、こちらも応援よろしくお願いします

 

 

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朝倉軌道ってご存知ですか?

2013-07-10 | 一原堂

朝倉中学が開校した明治41年(1908)

当時の甘木・朝倉の交通事情はどうだったんでしょう・・・

『創立百年史』によると 当時甘木朝倉で利用されていた車両は 人力車 172台 ・ 馬車 242台 (うち乗合39台) ・ 荷車 2272台 ・ 自転車 103台 そして自動車は 0台。

遠方の朝倉中学生たちは寄宿舎や下宿生活を行い、比較的近くの生徒は徒歩通学がほとんどだったようです。

朝倉中学が開校した同じ年 明治41年(1908)12月に『朝倉軌道』が開業しました。

二日市~甘木間(15.5キロメートル)の現・国道386号上に線路を敷設した軽便鉄道で、蒸気機関車が牽引し、最高速度は時速約13キロ、客車は1台連結が原則だったそうです。

営業開始後3か月で乗客65000人(1日平均720人ほど)と当時の記録。

明治44年(1911)には甘木~菱野、明治45年(1912)に菱野~恵蘇宿、大正11年(1922)には恵蘇宿から原鶴経由の杷木まで路線を拡大しています。

また、甘木~田主丸間の両筑軌道が 明治45年(1912)に開通、

甘木~秋月間の開通が 大正2年(1913)、

更に中央軌道の新町~小郡間の開通が大正10年(1921)ですので、大正の時代には、甘木を中心とした交通網がかなり充実していたようですね。

Amagi_station_asakura_tramway

甘木駅の様子。現在の甘木中央バス停付近と思われます。朝倉軌道と両筑軌道が交差しています。

沿線の朝倉中学生たちの利用も多かったことでしょう。

まあ、単線なので、速度もさることながら離合に時間がかなりかかったようです。

二日市から甘木まで 1時間以上かかったとか・・・

Asakura_kido_3

昭和になると乗合バスの出現で経営は厳しくなっていった模様。自動車部を設立したり、会社買収したり、バスに対抗するために運賃の引き下げやったり・・・

昭和10年(1935)に大刀洗飛行場への輸送力増強のために、基山~大刀洗~甘木を結ぶ国鉄甘木線(現・甘木鉄道)の建設が正式に決定され、その開業とともに『朝倉軌道』は会社解散・その歴史は終わりました・・・

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大阪からお客様

2013-07-05 | 一原堂

今日は、一原堂に 大阪からお客様が

高12回 の 田中偉夫 さまです

朝倉高校の「桃李プロジェクト」の 未来塾 にご尽力いただいている先輩です

お仕事で朝倉に来られたついでに、朝倉高校・一原堂にお立ち寄りになりました。

 

近畿朝倉同窓会でお会いしておりましたが、わざわざ来ていただいて 感謝・感激です

田中先輩 ありがとうございました。

 

Photo_2

いただいたお土産 ダイハツの車のお煎餅 かわいい~~

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「一原会」の創設と勤労奉仕

2013-07-03 | 一原堂

 昨日に続き、朝倉高校の歴史シリーズです。どうぞお付き合いくださいませ

明治41年5月24日 朝倉高校の前身の 福岡県立朝倉中学校が開校しました。

それと同時に生徒・職員により創立された校友会が『一原会』です。

「一原」とは、はじめ、根本 という意味があるそうですが、当時の教頭の園田益太郎先生によると 菅原道真の「原」から採られたとのこと。

最初、秋月の原古処を加えて、二原にしてはとの意見もあったが語呂がよくないため一原になったんですって。

翌年の明治42年5月24日太宰府天満宮の文書館にて発会式が行われ、全校遠足で天満宮に参拝の上とり行われたそうです。

ついで、明治44年1月20日財団法人の認可が下りています。

Photo

当時の定款、会則によると、生徒・職員の会費により運営され、本校職員・生徒・旧職員・卒業生及び会長が認可したものを会員とし、次の4部から構成されています・・・

総務部(庶務係・会計係・会報係 がいたようです、今の事務室の役割?)

文芸部(談話会という弁論大会が行われていたようです・・・現在の国際英語スピーチコンテストの前身か?

剣道部(そのまんま、剣道部)

運動部(蹴鞠支部・庭球支部・野球支部・夏季限定水泳支部

      ・・・蹴鞠ってサッカー??なんかびっくりしちゃいます

今の、あり方と全然違いますね。

当時の「一原会」というのは、主に課外活動を行い、正課教育を補うものとして位置づけられていたようですね。

それぞれの部の活動は、また後日触れたいと思います。

が、是非皆さんにお伝えしたいのは、この会の活動を支えた資金についてです。

もちろん、会費はもちろん、有志からの寄附もありましたが、なんとなんと生徒たち自らの勤労作業で稼いだのです

校舎を建てるにあたって必要になった地ならしを、校友会でやるからその予算を県からもらったってわけです。(今では考えられないですね)

Photo_2

地ならし、池堀り(防火用貯水池5つ)、スタンド築造、築後川から砂を、あるいは甘木川から石を運んだり・・・・生徒と職員が力を合わせて学校を作り上げてきた。

なんとも、すごい先輩方です・・・

朝倉中学は普通課程の中学校としては珍しい特異な存在としての「作業学校」として知られていたそうですよ

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