一原堂便り

こちらは、一原堂・朝倉同窓会です♪

朝倉軌道ってご存知ですか?

2013-07-10 | 一原堂

朝倉中学が開校した明治41年(1908)

当時の甘木・朝倉の交通事情はどうだったんでしょう・・・

『創立百年史』によると 当時甘木朝倉で利用されていた車両は 人力車 172台 ・ 馬車 242台 (うち乗合39台) ・ 荷車 2272台 ・ 自転車 103台 そして自動車は 0台。

遠方の朝倉中学生たちは寄宿舎や下宿生活を行い、比較的近くの生徒は徒歩通学がほとんどだったようです。

朝倉中学が開校した同じ年 明治41年(1908)12月に『朝倉軌道』が開業しました。

二日市~甘木間(15.5キロメートル)の現・国道386号上に線路を敷設した軽便鉄道で、蒸気機関車が牽引し、最高速度は時速約13キロ、客車は1台連結が原則だったそうです。

営業開始後3か月で乗客65000人(1日平均720人ほど)と当時の記録。

明治44年(1911)には甘木~菱野、明治45年(1912)に菱野~恵蘇宿、大正11年(1922)には恵蘇宿から原鶴経由の杷木まで路線を拡大しています。

また、甘木~田主丸間の両筑軌道が 明治45年(1912)に開通、

甘木~秋月間の開通が 大正2年(1913)、

更に中央軌道の新町~小郡間の開通が大正10年(1921)ですので、大正の時代には、甘木を中心とした交通網がかなり充実していたようですね。

Amagi_station_asakura_tramway

甘木駅の様子。現在の甘木中央バス停付近と思われます。朝倉軌道と両筑軌道が交差しています。

沿線の朝倉中学生たちの利用も多かったことでしょう。

まあ、単線なので、速度もさることながら離合に時間がかなりかかったようです。

二日市から甘木まで 1時間以上かかったとか・・・

Asakura_kido_3

昭和になると乗合バスの出現で経営は厳しくなっていった模様。自動車部を設立したり、会社買収したり、バスに対抗するために運賃の引き下げやったり・・・

昭和10年(1935)に大刀洗飛行場への輸送力増強のために、基山~大刀洗~甘木を結ぶ国鉄甘木線(現・甘木鉄道)の建設が正式に決定され、その開業とともに『朝倉軌道』は会社解散・その歴史は終わりました・・・

コメント
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