今年の修学旅行は、ベトナム社会主義共和国
12月に予定されています2年生の皆さん、楽しみですね~
学生生活の大きなイベントの一つ 修学旅行
皆さんは、どんな思い出がありますか?
さてさて、『創立五十周年誌』(昭和34年発行)によりますと・・・
朝倉高校の前身の 朝倉中学 創立当時 第1回目のの修学旅行先、なんと朝鮮だったのです
明治45年5月18日~27日間だったそうです
『本校は四年生五年生の宿泊旅行を五年生の時1度行ふこととし、其の場所として朝鮮を選んだのであります。御承知の如く挑戦は我国の新版図にして国家がその経営に力を用ひつつあることなれば、国民も亦此の意を体して国力発展のために尽すべきであらうとぞんじます。本県は特に朝鮮に接近して県民の往復交通も繁くありますから、将に中学を卒業せんとする本県の学生は朝鮮を目撃せしむることは、内地の名所見物以上に必要があると思ひます。且つ海を航して海の観念を体得せしめ、大陸が島と趣を異にする所を知らしめる利益もあるのであります。
旅行概要 明治45年5月18日門司出帆、4日目仁川着、この間は寄港せず、5日目即ち鎮南浦上陸平壌1泊。23日平壌見物、午後同地高等普通学校生徒の案内にて町内見物、一同朝鮮人の日本語に巧なるに驚きました。24日京城見物、大院君が築かれたる景福宮の殿前にて、我校の開校記念を祝して記念歌を合唱しました。夫より釜山に出で27日帰校しました。この旅行は大に得るところがありましたと感じましたから、今後に於いても朝鮮旅行を継続する積りであります。』
大正7年までは実施されていたようです。(大正8年3月1日の万歳事件により朝鮮旅行は不能となりました)
大正13年になると満州まで延長しての「鮮満旅行」として復活しましたが、昭和6年満州事変以降それができなくなり、東京・京阪神旅行になったそうです。
もう一つの 朝倉高等女学校 の修学旅行は・・・
『明治43年12月16,17日の2日間、職員、生徒83名が福岡に修学旅行を行った。島津製作所見学、県立福岡高等女学校、県立工業学校参観後、福岡高等小学校で平野次郎、野村望東尼の遺物を参観、更に山野、松尾両氏の琵琶を聞き、川端町太田屋に宿泊。翌日は福岡日々新聞社及医科大学見学後帰校した。
尚大正13年から、期日は3月中旬、目的地は門司、下関、宮島、広島方面となった。』
だそうです。
ちなみに・・・明治43年ってのは、近代文明を象徴する伝統が、甘木町に初めてともった年だそうですよ