【70才のタッチ・アンド・ブースト】ーイソじいの”山””遍路””闘病””ファミリー”ー

【新連載】 『四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ』

四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 3 写真は熊谷寺にて

2023-02-03 23:51:29 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 発心の道場(徳島県)編
 (4日目・4月23日) 8番札所 熊谷寺~11番札所 藤井寺 遍路ころがしを前に雨が…

 快晴。5:15起床・食事・ストレッチ→8:15出発→9:10⑧番札所 熊谷寺。標高120m 
のちょっとした山寺。靴中足激痛対策にカジュアルサンダルが大正解だ。つま先がオ 
ープンで履き慣れたサンダルが大変楽だった。念のために、荷物になるけどoffの日に 
と思い持ってきたのだが、試しに履くと軽くて足への圧迫もなくて大変楽だった。靴 
中激痛はひとまず解決。舗装された道や参道、特に下り坂は滑りにくいスポーツ系の 
カジュアルサンダルにインナーソールを張り付けて、五本指のショートソックスを履 
いて使ったら、力強い味方となった。朝から14:00頃まで快調に動けたのも骨盤サポ 
ーターがやはりちか良かったのだろう。昨日十楽寺の宿坊でご一緒だった女性の遍路 
さんと境内で合い、挨拶後写真を取り合った。御健脚のようであとはお互いマイペー 
スで、ということでお参りを済ます。9:50→10:20⑨番札所 法輪寺は在所の人が集 
う里寺。10:50→11:55⑩番札所 切幡寺。山寺で本堂まで333段の階段、奥の院までさ 
らに109段、全部上り切って奥の院にお参りし、階段を少し降りたとかろからは懐か 
しい吉野川と向こうには鴨島の街並みが望める。ここまでは以前に愛車ビスタを駆っ 
てファミリーみんなで来たところ。13:20切幡寺を下り街中の道を吉野川の堤防方向 
へと歩く。いったん堤防上へ上がり、すぐに14:40有名な吉野川の潜水橋の一つ、大 
野島橋を渡る。そこから河川敷の開墾農地のようなところを歩き、途中の遍路休憩所 
で行動食。進行方向奥の方高い山は剣山かなあと思いつつ、15:00 ポスターなどで有 
名な川島潜水橋に辿り着いた。結構歩いて辿り着いたという実感。ただ、ポスターで 
の川島潜水橋は橋下からのアングルで、お遍路さんたちが歩いているシルエットなど 
が多く『期待』していたのだが、実際は両方とも歩行者専用ではなくて車もバンバン 
走ってる。まあ、生活道路だからしかたがないのだけれど、情緒はいまいち。橋を渡 
りすぐに土手を登り、近くのJR阿波川島駅を探した。結構歩いたのと、時間が迫って 
いるのとで、本日の旅館の最寄り駅JR鴨島駅までの近距離2駅間はJRのお世い話にな 
ることとした。地元の方に道を聞きながら阿波川島駅着。15:43 JR阿波川島駅発。
  
(8番札所 法輪寺は里寺)

(9番札所 切幡寺山門)

(切幡寺の境内までの階段は、ちょうど333段ありました)

(切幡寺奥の院階段下から吉野川越しに鴨島の町)

(最初の潜水橋 大野島橋)

(この方向の高い山は、剣山か?)

(有名な川島潜水橋。実際は車がバンバン走っている

 (15;50 JR鴨島駅着。駅から旅館の場所を見当を付けたが、道不明でパ二くる)
 遍路地図をひっくり返したりして見当をつけようとしてもなぜかわからずパニック
状態。ついに宿に電話して道順や目印をおしえてもらい、やっとのことで6:30 旅館
着。荷物を置いて急いで藤井寺にお参りに行く。16:45 11番札所 藤井寺着。明朝は即
出発し『遍路ころがし』を歩くために、お参りを済ませて納経を頂く。納経を済ま
せ、寺前の遍路接待ハウス(兼ビニールハウス)のおじさんに呼び止められ、いろい
ろ話していただく。おすすめの宿や善根宿のリストやネットの特設ページでの探し方
等々。そんなことやらで17:35 旅館に戻った。宿泊客は約10人程度で、明日『遍路こ
ろがし』に行くのは自分を含めて男性4名、女性1名のよう。天候が気になる。荷物
を軽くするために荷造りして出荷を頼む。25日着予定の旅館宛て。藤井寺に近く、歩
き遍路さんがよく利用される旅館のようだ。荷物を軽くするために明日の宿泊予定の
旅館が荷物を取りに来てくれたり、遍路道途中(柳水庵)に荷物を取りに来てくれる
など、ありがたい。旅館での細やかなおもてなしに感謝。Wi-fiも使えて、聞けば多く
の宿泊施設ではWi-fiが使えるとのことで、ありがたいやら絶えず持ち歩く、つまり重
たいやらで。遍路道全般や明日のコースのポイント、エスケープなどなんでも親身に
教えていただける。就寝前に『遍路日記』を書いて、22:00就寝。
(11番札所 藤井寺の藤棚)

(本日宿の夕食。遍路道の情報、アドバイス、頼れる宿でした)


四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 4 写真は藤井寺、遍路ころがしへの登り口

2023-02-03 17:16:50 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 発心の道場(徳島県)編
(4日目・4月24日) 11番札所 藤井寺~12番札所 焼山寺 は雨で中断、思案の結果…
 
 雨小振り後本降り。5:15起床・準備→6:15朝食→7:00発→7:15⑪藤井寺 で昨日お参
りの時本堂で脱いだ愛用のキャップを忘れたことを納経所のご婦人に告げると、すぐ
に住職さんがやってきて一緒に探していただいた。結局見つからず、住職さんが
 「ちょっと待って」
 と言われて奥の部屋に戻られた。しばらくすると戻ってこられ、
 「これをどうぞ。お気に召すかはわかりませんが。」
 とおっしゃられてご自分のハットを差し出された。少し小さかったがお礼を言っ
て、お接待のキャップを被り、8:00に、少し遅くなってしまったが、小雨そぼ降る今
日の遍路道『遍路ころがし』入り口に入る。
 藤井寺(H40m)から400mほどの登りで、9:11長戸庵(ちょうどあん)着。雨が本降
りになってきて、足元が滑り時間もかかりかなりやばい状況。長戸庵からはさらに
150mほど登りそして100mのダウンで荷物を引き取りに来ていただく場所の柳水庵
(りゅうすいあん)がある。この間のアップダウンが、本降りの雨に加えて石畳や石
を敷き詰めた道、さらには木の根道のうえに雨の水が流れる状態で滑って危ない。し
かも単独行で前後に人の気配なし。何回か滑って転倒しながら4km弱の距離の柳水庵
に2時間近くかかって到着。柳水庵下の駐車場で本日宿泊客の荷物を車で取りに来て
くれた旅館の大女将(以後『ばあちゃん』…ごめんなさい)さんと相談。怪我して骨
折など動けんようになったら迷惑かけるから中断したい旨言うと『遅いので心配して
いた。それがいい』と車に乗せてもらって旅館に直行させてもらう。車中いろんな楽
しい会話。
 「婆ちゃん、年いくつ?」
 「恥ずかしいから言わん」
 とのこと。
 「90歳くらい?」
 「そこまで行っとらん」
 とのことだが?しかし運転はカーブの多い山道をぶっ飛ばす、ぶっ飛ばす。ばあち
ゃんが、
 「近くに神山温泉があるけど行くか?」
 「せっかくやから連れてって。」
 そんな話や、年季の入った遍路の話、接待の話、旅館の歴史など、かなりめげてい
たメンタルが癒された。
 11:40旅館着昨日の旅館の接待のおにぎりを食べて13:30温泉へ出発。14:00神山温
泉着
 「帰りは歩いて1時間ぐらい?」と聞くと
 「私も入っていく。4時にこの辺におって。私は、ゆっくりするから」
 「ばあちゃん入りたかったん?」
 「うん、久しぶりにな」
 という話。帰りの車中では、
 「宿は先代(婆ちゃんの親)が始めて、今は娘と私がやってる。最初は食堂もして  
 たけど、今は遍路だけ」
 なんかも話してくれた。18:15夕食。昨日の同じ旅館泊りで、遍路ころがしに行っ
た男性4名は全員本日も同じ旅館泊まりだが、全員自分の足で来られなかった。単独
の人は途中転倒。何とか12番 焼山寺まで来たけれど歩くのが困難で焼山寺までやっ
とのことでタクシーに来てもらって旅館まで。二人連れは山中で暗くなってきて
SOS。作業道の山中の林道までばあちゃんが自動車で迎えに行って夕食には1時間ほ
ど遅れて現れる。友人同士らしい。
 0:00 明日には本日のリベンジ、を計画し遍路日記を書いて就寝。夕食を頂きなが
ら同宿の方と話していたが、本日の行程は『健脚向き』でそれぞれそのつもりだが、
楽観的に見てはいけない。遍路道だから何とか大丈夫、は厳禁。転倒し骨折でもして
前後に人も居ず、の状況で動けず、ずぶ濡れで低体温で重大遭難のケースは珍しくも
ないケース。これが遍路でなく登山なら安全な場所で防水して沈殿のケース。日帰り
ハイキングならエスケープ道がないなら最初から本日中止のケース。私の場合も、婆
ちゃんが柳水庵に来てくれていなかったら、かなりの人に心配や迷惑をかけていたか
もしれない。反省・・・


(昨日の旅館の夕食)
(『遍路ころがし』の藤井寺の入り口)
(8:00 まだ、小雨)
(長戸庵ではかなりの本降り)
(柳水庵に、やっと着いた感じ)

四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 5 写真は焼山寺 境内

2023-02-01 00:44:26 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 発心の道場(徳島県)編
(5日目・4月25日)  12番札所 焼山寺をリベンジ。いろんな人と出会う。これは巡礼の道とい うより修験道かと改めて思う

 曇り後快晴。6:00起床・朝食。昨夜、ばあちゃんにリベンジ(『打ち直し』とでも
いうのか)の話をすると、7:00に柳水庵に送ってくれると快諾を頂いてた。7:30に少
し遅れたけど旅館発で7:50昨日の中断場所柳水庵(H500)に到着。軽くストレッチをし
て早速出発。8:45浄蓮庵・左右内の一本杉(H745m。距離2km強、標高差250m)に
到着した。
 柳水庵を出発して10分ほどすると一人の遍路さんが追い付いてきた。一昨日の藤井
寺近くの宿を朝に出発されたのだろうが、この時間に柳水庵はかなり速いペース。し
ばらく一緒に歩き挨拶などしたが、Hさんと言われた。そのうちもう一人追い付いて
こられて、その方はAさんと言われ、やはり健脚。しばらく3人で談笑をしながら歩い
た。お二人とも気さくでポジティブな好漢だった。何しろAさんはフルマラソンで3時
間38分。Aさんも4時間8分とのこと。そして山屋でトレランにも挑戦とのこと。お二
人とも40才代くらいか。お遍路さん同士では『遍路の訳や理由』などは誰も聞かない
し話題にもしないけれど、特に歩き遍路さんとは少し打ち解けてくると10人7~8人は
山の話になると盛り上がることが多い。お二人も同様で、北海道の山、南アルプスの
山、剣岳の話になると盛り上がった。私も加わって楽しく話したけれど、話の中では
気持ちは若くて無謀気味だけれど肉体は73才、そのうち
 「私は歩くの遅いですし、特に下りはまるでダメなので、お互いマイペースで行き 
 ましょう。」と言い、
 「それでは」
 と、それぞれ歩き出して、あっという間に『置いてきぼり状態』。道は浄蓮庵の一
本杉から今度は標高450mの県道43号が貫いている集落まで『遍路ころがし』2つのア
ップダウンの2つ目のダウン。下り坂なのに集落手前でお二人に追い付いてしまっ
た。集落に入るころには昨日が嘘のような快晴。そしてこの集落は20年前の自転車遍
路の時自転車で押して通った記憶が、かすかに湧いてくる。川(左右内谷川)があっ
て、川沿いの平地に民家が点在し、庭や畑には柑橘類の木(みかんやスダチか)があ
ちこちにといった景色。ここしばらくまた3人で談笑しながら、やがて2度目のアッ
プ、いよいよ焼山寺へのアプローチに差し掛かって、再び『マイペース』で進むこと
とした。
 浄蓮庵の下りからずっと、本日は靴で行動しており靴中の足が激痛に近づいてく
る。やはり、心配のネタが現実に被さってきた。何とか約200m登り、十丁の丁石を
見てやれやれの思いで、少し歩きやすくなってきた遍路道を登り、11時15分に焼山寺
(H700)山門に到着。よもやの2日がかりだったが、どっと安ど感と達成感が。
 境内に入り、すぐに靴からカジュアルサンダルに履き替えほっとして階段を上ると
、先行していたHさんとAさんがお参りを済ませてリラックスしていた。私がお参り
と納経をして頂いている間、二人はおにぎりを食べている。私は行動食はとりあえず
パスして、再び三人で行動再開。Hさんは私が昨日世話になったばあちゃんの旅館へ
のコース、Aさんは車を藤井寺に駐車してあるので、一旦11番に戻って明日の遍路拠
点まで車で移動。Hさんは歩き、Aさんはその日その日の拠点に移動して遍路をする
といったやり方。お二人とも通し打ちを何とかしたいけれど、仕事の関係でできるか
どうかはわからないとのこと。
 とりあえず焼山寺から一番近い路線バス停のある鍋岩へ向かう。舗装道路を歩き50
分ほどで1日3本の路線バス停、その先少し行くとばあちゃんの旅館へと向かう山道の
遍路道入り口に旅館の看板が出ている。Hさんが最初は舗装道路を歩いてと言ってお
り、私は山道を行くならお付き合いします、と言っていたけれどやはり一人で頑張っ
てきますと言ったので山道入り口で別れた。
 県道43号線を辿り鮎喰川(あくいがわ)の橋を渡ると、やっと1時間に1本程度の
路線バススターミナル着。発車直前の路線バスに乗って国道438号線を昨日の神山温
泉を過ぎ、15時15分青井夫(あおいぶ)バス停で下車。Aさんはそのまま徳島駅迄。
青井夫谷川や鮎喰川に沿って舗装された道を歩き、16時丁度に荷物を預けてあるばあ
ちゃんの旅館に到着。勝手に中に入って遅い行動食のおにぎりを食べていると女将さ
んが戻ってきた。旅館のすぐ前のバス停から38分発のバスがあるというので、急いで
荷物を詰め込みバス停に向かうと、山の方からHさんが元気にやってきた。さすがに
早くて健脚。
 路線バスの乗り継ぎと歩きで13番札所 一宮寺近くの旅館を目指す。女将さんの息
子さん、ばあちゃんの孫さんで徳島市内に下宿している大学生君も遠隔授業のため家
で授業を受けていたのだが市内の帰るということで同じバスに乗車。好青年。友達と
出会う機会がなかなかできないのつらいねえ、とか話していたが、私は行者野北バス
停で下車して孫君と別れた。
 再び鮎喰川を渡り、路線バスを乗り継ぎ、17時30分一宮
札所前バス停下車、本日の旅館着。旅館の客はほかにお一人。あとで顔を合わすと、
4日前に十楽寺宿坊でご一緒で、一昨日藤井寺の旅館でもご一緒で、昨日雨中の遍路
ころがしに挑まれた女性の遍路さんだった。食事前に苦労話を話し合い、明日以降の
遍路にエール交換。
 私は明日はこの遍路最初の半日off日。昼までに17番札所 井戸寺に到着し、そこで
待ち合わせのうえ大学時代の仲間、Kさんが美味しい親子丼をお接待してくれるとい
う。初めて気持ちのゆとりを実感する。明日はいろいろ整理、写真整理もできそう。


(ばあちゃんの旅館の窓からの朝。下は鮎喰川)
(一本杉庵に登る)
(一旦集落(H450m)ダウンして、この先は、再びアップ)
(やっと十一丁の丁石)
(焼山寺の歩き遍路へのウェルカムゲート)
(焼山寺への路線1日3本の路線バス)
(本日宿泊、一宮寺前の旅館の夕食)




四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 6・7 写真は、大日寺山門からの境内

2023-01-31 12:32:33 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 発心の道場(徳島県)編
 (6日目・4月26日)  13番札所 大日寺~17番札所 井戸寺 学生時代の仲間Kさんからの心のこもったお接待、Aさんも合流して美味しくて楽しいひと時
 
 曇り時々晴れ。6:00起床 7:00朝食 8:30発。旅館のすぐ近くの 13番札所 大日寺にお
参り。四国88札所に大日寺は4番 28番 と13番の3か所があるが、おそらく本尊が大日
如来さんではないかと思う。だとしたら太陽を畏敬する古代からの信仰を繋いでいる
古寺なのかなあ、と勝手に想像。9:55に14番札所 常楽寺着、自転車遍路の時も感心
したが、当寺の石流の庭は珍しく、見事。10:50に15番札所 国分寺着。山門には臨済
宗の看板が掲げられている。国分寺も各県に一つずつあるけれど、以前から廃藩置県
は明治時代からなのに四国4県に対応して4か所の国分寺もどうも人為的だなあと、ど
うでもよい疑問を持っていたが、考えると桓武天皇のころには四国は、阿波、土佐、
伊予、讃岐の四つの国だったから、4県それぞれのにあっても何もおかしくないのだ
なあと、ここにきてふとどうでもいい納得をした。それと、四国霊場はすべて弘法大
師の真言宗かというとそうではない。ここの国分寺は臨済宗の看板が掛かっている
し、他にも大師堂には空海さんと並んで最澄さんを祀る大師堂が併設されているとこ
ろもあるし、紳仏混交で神社の末寺という所も多いし、本格的な山岳修験の寺もあ
り、在所の住民が集い四季折々の祭り楽しむ寺も沢山ある。今回歩き遍路を始めて、
四国遍路というのは特定の教義を持つ宗教的行為といったものではなく、古くからの
民間信仰を集め四国の人たちによって培われてきた文化が四国曼荼羅の世界を作って
きて、そこに身を置きそこにそれぞれのマイウェイを創っていくんだなあと、20年前
の自転車遍路の時とはまた違った実感として、思う。本日の半日コースは、徳島市の
シンボル眉山の南西に点在するいくつかの近在の里寺歩きで、そんなことを思いなが
ら歩いているメンタルの余裕が少しあった。
 11:40に16番札所 観音寺、12:40に17番札所 井戸寺。
 井戸寺の近くに住む大学時代の同期の仲間Kさんが、お昼に親子丼ぶりをお接待し
てくれる、ということで境内にて待つ。しばらくすると昨日一緒に行動していたHさ
んが井戸寺にやってきた。ばあちゃんの旅館から大日寺までの12Km以上を1時間30分
早く出たとはいえ追いつかれた。さすがアスリート。年齢を聞くと53歳とのこと。そ
こへ大学時代の仲間のKさんがやってきて二言三言しゃべって『ご一緒にどうぞ』と
いうことになり、Hさんも『いいんですか。それじゃいただきます。』と一緒にKさ
ん宅に車で送ってもらう。
 Kさんの自家栽培の安全美味の野菜たっぷりサラダのあと、阿波尾鶏とKB鶏卵の地
卵をたっぷり使った親子丼(KB鶏卵は同じ大学出身で1年先輩が経営していた会社
で、彼は早世し子供さんが継いでいるとのこと)。デザートは砂糖がたっぷりと浮き
出た手製の大きな干し柿と御抹茶の大接待。Kさんとは久しぶりで、懐かしく一杯い
っぱい話し込んで、Hさんも話に加わり、『ゼッケンがうまく開かない』というと
『安全ピンで留めたらよい』とかアスリートらしいアイデアを頂いた。たくさん食べ
て先にHさんがJRの駅に向かい、そのあと大学時代のM君やO君を懐かしみ、充実し
た時間を過ごした。阿南市にある22番札所 平等寺近くに住む同じく大学時代の1年後
輩で学術系サークルの部長をしていた、一言居士でインテリのKちゃんが楽しみにし
て待っているとのこと。うれしいことで、何とか旧交を深めよう。本日大雨警報の日
だったが何とか持って、現在は曇り空。本日徳島市内のビジネスホテル泊りで、久し
ぶりにラーメンでも食って、娑婆でマイペースの時間でいろいろと楽しい仕事をしよ
う。明日はリラックス日で買い物や余分な荷物の送り返しや物書きやら、いろいろ楽
しんで3時ごろに18番札所 恩山寺近くの遍路宿へ移動しよう。
(大日寺近くの宿から。朝の風景)

(13番札所 大日寺山門)
(大日寺境内)
※デジカメの写真編集ソフトの扱い不慣れのため、14番札所~17番札所、徳島市内~小松島への移動
の多くの写真データが行方不明になりました。

 (7日目・4月27日) 15:00までoffタイム。その後明日に向けて小松島市まで移動
 余分な荷物を家に送り返したり、傷バン、消毒液、爪切り等を補充し、スタバで遍
路日記の整理をして。毎日配信が予定だけれど、結構忙しくて、おまけに宿に着くと
バタンキュー状態になってきて大変~。15:00には明日スタートの18番札所 恩山寺近
くの民宿へ移動のため、JR徳島駅から阿波赤石駅、その後歩いて民宿へ行くこととす
る。(続く)


四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 8 写真は 民宿ちば さん駐車場にて

2023-01-30 16:09:14 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 発心の道場(徳島県)編
   (8日目・4月28日) 18番札所 恩山寺~19番札所 立江寺~ふれあいの里さかもと

 晴れ。 6:00起床・朝食・談笑→7:20発→7:50 18番札所 恩山寺→10:00 19番札所 立
江寺10:40→途中、遍路休憩所など立ち寄る→13:50昼食(ジビエレストランで鴨肉う
どん)14:35→14:50道の駅“ひなの里”15:30→15:45ふれあいの里 さかもと泊
 朝、“NO WAR 戦争は絶対悪”“RESPECT HUMANRIGHTS 人権の尊厳”のゼッケン
を安全ピンでとめてやっとみられるようになったので、民宿 のご主人に写真を撮って
もらう。ご主人自身も記念に撮っておきたいとのことで被写体了解。朝一の18番 札
所恩山寺の納経所のご婦人が達筆で写経をしておられた。納経をして頂いたが、今ま
で何気なく見ていたのだが、それぞれ個性があり、この方は梵字にしても美しく書か
れるのだなあと内心感銘して見ていた。  
 ゼッケンのことに触れられ、しみじみと『戦争は絶対にしてはいけませんねえ』
と。
 恩山寺から19番札所 立江寺への道にきれいな『お遍路休憩所』があり、立ち寄っ
てノートに英語でコメントを残しておいた。立江寺を過ぎてしばらく行くと道の北方
の山に地肌がむき出しのところがあり、20年前の自転車遍路の時にも見た景色が残っ
ていた。以前もあれは自然災害の崩落か、砂利採集などの乱開発か。いずれにしても
癒される景色ではない。県道や工事中道路など歩いているうちに、『真稔へんろ道』
などの案内が出ており、そちらの方を歩くと古道ではないけれど歩き遍路が歩きやす
いように山中につけられた道のよう。しばらく結構な距離の遍路道を歩き、県道に出
てやっとあった食事処。ジビエ料理のレストランで鴨肉うどんを頂いたが、美味しか
った。
 ご主人(オーナーさんと思うが)が挨拶にこられて、まだお若そうに見えたんだけ
れど30年ほど前には大阪で調理師をされていて、こちらへ移住とのこと。遍路日目以
降、昼は行動食のはずだったが、この工程は道の駅”ひなの里”があり、道中何軒か食
事所があると楽観していたが、実際はジビエ料理レストランまで何もなく、飢えに耐
えて遅い昼食だった。
 ひたすら歩き、道の駅から本日の宿泊所”ふれあいの里坂本”に電話をすると車で迎
えに来てくれる。本日宿泊の ”ふれあいの里 坂本”(地名)は、廃校になった小学校を
きれいに改築し農村体験型施設・おへんろさん大歓迎をキャッチフレーズに、在所坂
本の住民の皆さんが過疎対策、Uターン対策などで共同運営されている。本日担当の
ひとりに若い女性がおられて、京都の大学にいて、Uターンで戻ってきたとのこと。
楽しそうに仕事をしておられた。他のスタッフは地元の方。同宿は男性二人と女性一
人で女性は大阪出身で長野に移住し、鍼灸師をしており今回は明日が最終日というこ
とで、ここまでの行程を尋ねたら彼女もまたなかなかの健脚だった。歩き遍路の人
は、健脚の人が多い。
 明日は20番 鶴林寺、21番 太龍寺を回り、そのあと阿南市に住む大学1年後輩で学
術系サークルの部長をしていた一言居士で論客のKちゃんと会い、いよいよ発心の道
場(徳島県)も最終直前になる。

(民宿の夕食。客は私一人で心のこもった夕食に心より感謝。)

(遍路への出で立ち。)
(朝の静寂の18番札所 恩山寺)



(19番札所 立江寺山門)
(お遍路休憩所。英語でメッセージを残してきた)
(ジビエレストランで、鴨うどんの昼食)
(ちょっと痛々しい景色。20年変わらず)
(ふれあいの里坂本)
(部屋から校庭を眺める)
(教室がリニューアルされたきれいな客室)