精神世界の旅

精神世界のいくつかの領域を探求します。

掲示板より:生体エネルギーの活性化と霊的覚醒05

2007年03月30日 | 掲示板より
◆ishiinbr 2000/08/15
Sさん、MHさん、ありがとうございます。

わたしは霊的覚醒と生体エネルギーの活性化の関係について体験的には何も言えません。しかし、ここにかなり重要な問題が隠されていて、またほとんど未解明のままであることは確かなのでしょうね。

覚醒事例集にも入れたゴーピ・クリシュナや島田明徳氏の場合などを見ると、確かに気のエネルギーの活性化(クンダリニーの上昇)が、覚醒に直接つながっている場合もあるようだと感じられます。

生体エネルギーの活性化が、直接的に誘導するような形で覚醒が体験されるようなことがあるのかどうか。 生体エネルギーの活性化をとくに伴わない覚醒もあるのかどうか。(それもあるのではという感じをもっていますが。)

両者の関係がどのようなものなのか、多くの事例にあたり、体験的にも確認しながら、追求していければいいなと思います。しかし、体験的なものは気長にやるほかない。私にとっても大変興味あるテーマです。

自発動功から入る站トウ功は、私にはとてもあっているようです。
レイキの体験はまだないのですが、ぜひ学んで見たいと思っています。

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上の覚醒事例集は、以下のサイトの中にある。

サイト臨死体験・気功・瞑想は、同名の掲示板を備え、精神世界に関して広く活発に議論したり、情報交換を行っていた。(現在は休止中)

ここでのやりとりのなかで、再録する価値のあるものを選んで、ここに随時保存している。ただし、当時それぞれの発言者が用いていたハンドルネームはそのまま用いず、頭文字を用いる。

掲示板より:生体エネルギーの活性化と霊的覚醒04

2007年03月30日 | 掲示板より
◆MH氏 2000/08/15 21:47
こんにちは。面白そうな話題をしているので、出てきました。

さて、私も気功とヨーガ、瞑想を習いましたが、瞑想の深化とエネルギー感覚とは深い繋がりがあるようです。
最近の関心というのは、この気=生体エネルギーとは単なる身体的なものではなく、意識としての性質もある、ということです。

よく、祈りとか、「光明波動」というものが言われますが、そのような高次意識世界を自覚し、それに焦点を合わせようとすると、エネルギーも入ってくる、という経験がしばしばあります。 レイキにしても、上級になると、マントラやシンボルによって、光明波動を意識し、それに接続するということをします(詳しくは書けませんが)。

レイキはなかなか面白いものですので一度体験されるといいと思います。

ishiinbrさんの自発動功とSさんの「ゆらし」は共通したところがありますね。気のブロックを解放するには効果がありそうです。私もゆらし系のものを取り入れようと思います。

私は、ヨーガの体操から、呼吸法、それに小周天をしてから各チャクラへの集中、などのコースをやるのですが、最近はとても停滞しています。この掲示板を見ていると刺激になります。

掲示板より:生体エネルギーの活性化と霊的覚醒03

2007年03月30日 | 掲示板より
◆ishiinbr 2000/08/14 10:48
Sさん、ありがとうございます。
Sさんが補助的な意味で行っている生体エネルギー活性化のイメージが具体的につかめました。

また、覚醒と生体エネルギーの関係についての捉え方もよくわかりました。覚醒は、本来、生体エネルギー云々とは独立したものだが、初心者・未熟者の場合は、気や心身の状態に左右されることも多く、その活性化を補助的に使うこともありうるということですね。

ところで今の私自身の状態を正直に語らせてもらいますと、これまで座禅や瞑想は、どうしても長続きしませんでした。ヨーガは、ある時期かなりやりましたが、今はやっていません。

そんな状態でまがりなりにも細々と続けてきたのが気功の自発動功でした。自分自身の深層から出て来る動きにまかせるやり方です。
最近、自発動功をやると静止した站トウ功になることが多くなりました。気功の中でも一番瞑想に近い気功と言えるでしょうか。
(「たんとうこう」の「とう」の字が見つかりません)

これは自分の中から自然に出てきたものですから、長続きすると信じています。これを手掛かりにして瞑想の世界に一歩でも足を踏み入れていくしかないと思っています。その方向で今は気持ちが定まっているという感じです。

◆S氏  2000/08/15 00:49
気の停滞があっても霊的覚醒の保持は可能・・・ともとれる書き込みをしましたが、ヨーガで想定する、背骨に沿う最重要な脈管については必ずしもそう言い切れないのかも知れないとも思います。

覚醒状態を作る手法はいろいろあると思いますが、そこに至れば最低限共通するエネルギーの状態というものはあるのかも知れませんし・・・。
エネルギー操作以外の手法で覚醒状態を作っても、エネルギー状態としてはある一定の条件を満たしているという可能性です。

ぼく自身、未だ模索中で、曖昧な点が多いので、瞑想に励んで体験によってそれを解明していきたい・・・と思っています。

掲示板より:生体エネルギーの活性化と霊的覚醒02

2007年03月30日 | 掲示板より
◆ishiinbr 2000/08/12 23:51
>ある超感覚的な「体験」に没入して、「感覚している」ということを見失ってしまうと、その瞬間に霊的覚醒状態から外れていると思います。「体験」は覚醒ではなく、「体験」を捨て続けること(自覚していること)が覚醒で・・・ということです。

これは、道を求める者として忘れてはならない大切ポイントして肝に銘じておこうと思います。

私自身のことで言えば、瞑想でありかつ生体エネルギーの活性化の手法である気功、これを続けていくことが今の自分に出来そうな唯一の修行法だと思っています。これを本格的に続けていくほかないなと。それもある特定の型というよる自発動気功しかない。

そう思って取り組みはじめたら、自分の内側から出てきたのは、もっともオーソドックスといってもよい、痰タントウ功でした。しばらくはタントウ功に付き合っていくことになると思います。

>ぼく自身としては、生体エネルギーの活性化を行うと、瞬間瞬間の 「体験」を捨てやすい、つまり覚醒状態に留まりやすいような気が するので、最近その系統の手法も取り入れることにしました。

具体的にはどんな手法ですか。よろしかったら教えてください。

◆S氏 2000/08/14 07:03
ぼくが最近少し始めたのは、肛門の開閉や止息を伴うヨーガの呼吸法と全身をゆらすことによるリラックスです。後者は高岡英夫氏の「ゆる」や和尚ラジニーシの「クンダリニー瞑想」に通じるものがあるような気がします。脱力して全身をゆらしているだけで、気道(脈管)の詰まりがどんどん取れて、「気」の流れがスムーズになってきます。 しばらくやると、意識が頭上から抜けて、深い意識に入っていきます。これらを、出来るだけ自覚を保つようにしてやっています。

でも本来、覚醒とはいかなる知覚作用が生起しても、それを受け流せる状態であり、その知覚の内容は問わない・・・と思うので、たとえ気の停滞や心身の不調があっても、理論的には覚醒が損なわれるものではないような気がします。
それは、肉体に深刻な病が生じても衆生済度を続けた、古来からの多くの聖者方の存在が証明しているようにも思います。
しかし、覚醒に留まることが未熟な者は、どうしても、エネルギー・心身の調子に覚醒が左右されてしまい勝ちである・・・ということも、また事実ではないかと思います。