精神世界の旅

精神世界のいくつかの領域を探求します。

掲示板より:生体エネルギーの活性化と霊的覚醒02

2007年03月30日 | 掲示板より
◆ishiinbr 2000/08/12 23:51
>ある超感覚的な「体験」に没入して、「感覚している」ということを見失ってしまうと、その瞬間に霊的覚醒状態から外れていると思います。「体験」は覚醒ではなく、「体験」を捨て続けること(自覚していること)が覚醒で・・・ということです。

これは、道を求める者として忘れてはならない大切ポイントして肝に銘じておこうと思います。

私自身のことで言えば、瞑想でありかつ生体エネルギーの活性化の手法である気功、これを続けていくことが今の自分に出来そうな唯一の修行法だと思っています。これを本格的に続けていくほかないなと。それもある特定の型というよる自発動気功しかない。

そう思って取り組みはじめたら、自分の内側から出てきたのは、もっともオーソドックスといってもよい、痰タントウ功でした。しばらくはタントウ功に付き合っていくことになると思います。

>ぼく自身としては、生体エネルギーの活性化を行うと、瞬間瞬間の 「体験」を捨てやすい、つまり覚醒状態に留まりやすいような気が するので、最近その系統の手法も取り入れることにしました。

具体的にはどんな手法ですか。よろしかったら教えてください。

◆S氏 2000/08/14 07:03
ぼくが最近少し始めたのは、肛門の開閉や止息を伴うヨーガの呼吸法と全身をゆらすことによるリラックスです。後者は高岡英夫氏の「ゆる」や和尚ラジニーシの「クンダリニー瞑想」に通じるものがあるような気がします。脱力して全身をゆらしているだけで、気道(脈管)の詰まりがどんどん取れて、「気」の流れがスムーズになってきます。 しばらくやると、意識が頭上から抜けて、深い意識に入っていきます。これらを、出来るだけ自覚を保つようにしてやっています。

でも本来、覚醒とはいかなる知覚作用が生起しても、それを受け流せる状態であり、その知覚の内容は問わない・・・と思うので、たとえ気の停滞や心身の不調があっても、理論的には覚醒が損なわれるものではないような気がします。
それは、肉体に深刻な病が生じても衆生済度を続けた、古来からの多くの聖者方の存在が証明しているようにも思います。
しかし、覚醒に留まることが未熟な者は、どうしても、エネルギー・心身の調子に覚醒が左右されてしまい勝ちである・・・ということも、また事実ではないかと思います。