精神世界の旅

精神世界のいくつかの領域を探求します。

心に響く癒しの言葉:能動的な聞き取り

2007年02月27日 | 心に響く癒しの言葉
K・ウィルバー

もし、わたしが、内的な独白(絶えまないひとりごと)を前にして、
能動的な聞き取りの態度を取り、
この独白に何でも好きなようにいうことを認めてやれば、
つまり、「聞いてやるから話なさい」
とうきまり文句で定義されるような態度を取るなら、
独白が(わたしの強制や抑圧なしで)止まるのが観察できる。
それは、用心深く待ち受けるわたしの姿勢が崩れるまでは再開されない。

(ウィルバー『意識のスペクトル2』春秋社)

至高体験の事例:障害児の母Jさん4

2007年02月26日 | 覚醒・至高体験の事例
Jさんは「迷うこと」がなくなった。そして、振り返れば、考え方が「百八十度変わった」という。あれほど苦しんだ娘さんの問題も、いまでは、「苦しいことも悲しいことも味わわせてもらったんだな」と感謝の気持ちをもっている。「苦しみ、悲しみ、そういうものは全部自分の感情が作っているということがよくわかった。それを娘は私に教えてくれていたんだ」と。

いま彼女は「よくやってきたな」と自分に対しても素直に誉められるようになったし、「娘をもたせていただいたことが本当によかった」と深い感謝の気持ちを抱いて毎日を暮らしている。そして、Jさんはいう。

「生きていること、日常そのものが瞑想なのだ」と。

(安藤治『私を変えた<聖なる体験>』春秋社より)

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覚醒・至高体験事例集のほとんどは、体験者が直接語ったものだが、Jさんの体験は、著者である安藤治氏がまとめたものである。しかし、苦悩の極限からの劇的な精神変容は、きわめて印象深く、捨てがたいものがあった。

Jさんが、本当に死のぎりぎりの間際までいったのかどうかは定かではない。しかし、この事例集で取り上げた鈴木秀子氏の場合のように「臨死なき臨死体験」を報告する人もかなりおり、臨死体験とは何かを考える上でも、大いに研究すべきものと思う。

その体外離脱体験の特徴も、その間に肉体的な苦痛を感じていないことも、体験後の「宇宙との一体感」も、プラスの方向への精神の変容も、多くの臨死体験者の報告と共通するものである。

至高体験の事例:障害児の母Jさん3

2007年02月25日 | 覚醒・至高体験の事例
娘さんの体調がひどく悪く、その看病疲れも極限的な状態に達していたある日だった。その日は滅多に口にしなかったコーヒーやアルコールなども、ストレスを紛らわすために少し取り過ぎていたようだという。夜十時ごろだった。自宅でくつろいでいたのだが、急に呼吸ができない状態になってしまい、「七転八倒の苦しみ」のなかで「血の気が引いていった」という。「死ぬと思った」その時である。全身の毛穴のなかから「何かが抜け出し、上に上がっていく感じ」がした。気がつけば、それは自分の意識だったのだが、天井から下を見ている自分に気がついたのである。倒れているJさんを見て、友人があわふためいて救急車を呼んでいたという。

ただ、Jさんは妙に落ち着いた気持ちだったとのことだ。「あー、窓が開いている。子供が風邪をひいちゃう。窓を閉めなくては。帰らなきゃ。ごはんを食べさせなくちゃ、この子は死んじやう。帰らなくちゃ」。そう思ったとたん、意識は身体のなかにあった。そしてまた、「七転八倒」の苦しみのなかにいたというのである。

実際に身体に「死」の危険が訪れていたのかどうかはわからない。だが、彼女は、その時から「死」というものに何の恐れもなくなって、生きることにさえも執着しなくなったと語っている。「なーんだ死ぬってことは死なないってことじゃない」。Jさんは奇妙な、そして飛び上がるような至福感を感じたのである。

彼女は詩を作っている人なのだが、その体験の後で最初に書いた詩が次のようなものだ。

あ-な、うれしや
あ-な、おかしや
あ-な、おもしろ
あな、めでた

それまではうまく作ろうという気持ちが強かった詩作も、それ以来は、「そのままでいい」と思うようになったという。

「この世界がすべてではないことがわかった」。

そして「木も車も、人の心もみな一つに溶け合って生きている。木の葉の一枚も本当に生きている、そして生かされている」

「迷うことは何もない。自分の思うままに生きればいい。問題が起きたら、ただ受け止めればいい」

「ただそれだけ」。(続く)

(安藤治『私を変えた<聖なる体験>』春秋社より)

至高体験の事例:障害児の母Jさん2

2007年02月25日 | 覚醒・至高体験の事例
★引き続き、臨死体験・気功・瞑想の中の「覚醒・至高体験事例集」から「臨死体験者の場合」からである。

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寺に飛び込むと、Jさんはひたすら座らせてもらった。ものすごく気持ちが落ち着いた。「あーこれなんだ」。「ここにしか本当のことはないんだ」。「やすらぎ、静けさ、この気持ちで接することができたら、運動も何も必要はない」「なすべきことをやらないで運動ばかりしていた。苦しみから逃げるために運動にすりかえていたんだ」。

深い感動と静寂のなかで、Jさんは進むべき道を得た。いままでやってきたことが「音をたてて崩れていくような気がした」と彼女はいう。

Jさんはその後一年間、毎日なりふりかまわず禅寺に通い、座り続けたとのことだ。何カ月も人に会わない日々が続いたが、一年を過ぎたころからは、遠出もするようになった。そして、Jさんは、各地にでかけ、水行などを行ったり、キリスト教や神道などにも体験を通して関わるようになっていった。

もちろん、Jさんはそうした道のなかで数多くの深い体験をしている。だが、彼女にとって自分を変えた最も大きな体験は、と聞かれれば、迷わず一つの大きな体験があるという。それはいまから六年ほど前に訪れた。(続く)

至高体験の事例:障害児の母Jさん1

2007年02月25日 | 覚醒・至高体験の事例
★サイト 臨死体験・気功・瞑想の中の「覚醒・至高体験事例集」から「臨死体験者の場合」として集めた中の一つである。このブログに再録しながら、訂正や追加をおこなっている。

今回からは、その一部を載せるのではなく、サイトに載せている全文を改訂しつつ、掲載していく。よって、Jさんの事例は、数回続くことになる。

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これは、安藤治『私を変えた<聖なる体験>』(春秋社)に収録された事例である。

Jさんは、最初の出産で、出産時の脳損傷のため重症を障害をもった娘さんを産んだ。その事実を知った衝撃、そしてその後の生活の想像を絶する苦労。家の中は糞尿にまみれ、すぐに激しいけいれいが起こる娘さん。おむつを洗いながらとめどもなく涙がながれた。「神も仏もない」、「私の人生は終わった」と嘆いた。

やがて彼女はたった一人で「障害者運動」をはじめた。
「ハンディーをもつ子供たちをふつうの子たちと同じように」と始められた運動は7年後に2000人もの会員を擁するようになった。

しかし、 やがて彼女は「もっと根本を考えなければいけなかたのに、外側にばかり解決を求めていた。自分の内側をきちんと見なければダメだ」と思うようになる。彼女は自分がはじめた大きな社会運動を解散させた。多くの非難を浴びたが、彼女の決意は堅かった。


以下『私を変えた<聖なる体験>』から引用する。

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混沌とした日々が続いた。 「外側に求める」のをやめたとしても何かそれに変わるものがあったというわけではない。一人だけのさみしさ、弱さもつくづく味わう毎日だった。

そんな日々のなか、ふとJさんの目に止まるものがあった。新聞に出ていた禅の本の広告の「あるがまま、なすがまま」という言葉である。彼女はそれを見ると、翌日すぐに禅寺に向かったのだという。いてもたってもいられない気持ちで、寺が開くまで夜中から門の前で待ったほどだ。(続く)

心に響く癒しの言葉:常に完全に実現しているもの

2007年02月24日 | 心に響く癒しの言葉
ガンガジ

「問題は、どこかへ行こうとする試みはみな、
結局のところ、あなたはまだそこに到達していない、
と示唆しているということです。
実際、どこかへ到達するためにあなたがする行為も、
常にそこに完全に実現しているものを
あなたが最も深いところで認識するのを邪魔しているのです。」

(『ポケットの中のダイヤモンド』)

臨死体験者の場合:ユング

2007年02月24日 | 覚醒・至高体験の事例
★今日も、サイト 臨死体験・気功・瞑想の中の「覚醒・至高体験事例集」から「臨死体験者の場合」として一例紹介する。ユングの例である。

ユングは、その晩年にの臨死体験をしている。彼の場合は、「宇宙との一体感」を語っているわけではないが、自己への囚われや執着からの解放という点では、体験ごの変化にかなりはっきりとした自覚を持っている。自伝『思い出・夢・思想』のなかで、69歳でのその体験をつぎのように語る。

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実在するものの諸条件を、私の見たままに、私がそれを理解したように受けいれる。そして私自身の本質も、私がたまたまそうであるように、受けとめる。‥‥‥病後にはじめて、私は自分の運命を肯定することがいかに大切かわかった。‥‥‥私はまた、人は自分自身のなかに生じた考えを、価値判断の彼岸で、真実存在するものとして受けいれねばならないと、はっきり覚った。

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彼の臨死体験の詳細は、以下を参照して下さい。

ユング


臨死体験の場合:鈴木秀子氏

2007年02月21日 | 覚醒・至高体験の事例
★このブログの目的のひとつは、サイト 臨死体験・気功・瞑想の各ページを、訂正したり、あらたな考察をつけ加えたりして、改訂・更新等をする作業をしながら、この場でサイトの記事の紹介をしていくことである。

至高体験の事例は、このサイトのメインになる。それぞれの記事を手直ししながら、このブログでも取り上げていく予定である。

◆鈴木秀子氏は、日本近代文学を専攻する聖心女子大学の教授で、聖心会のシスターでもあり、エニアグラムやゲシュタルト・セラピーその他の心理療法にも豊かな実践経験をもつ。また、文学療法の開発者としても知られる。その著『死にゆく者からの言葉』(文藝春秋社)は、ベストセラーとなって、多くの人々の心に深く静かな感動を与えた。
彼女の「臨死体験」は、『死にゆく者からの言葉』でも報告されているが、ここでは、その体験がより詳しく報告されている、同氏の『神は人を何処へ導くのか』(クレスト社)から収録する。

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それは人格を持つ命そのものの光であり、深い部分で、自分とつながり、交流している生きた光なのでした。これが至福なのだ、完全に自由なのだ、と私は感じていま した。不思議なくらい、五感も思考もすべてが生き生きと冴えわたっています。オリンピック選手がベストコンディションで世界記録を破る瞬間とは、こんな状態のときなのでしようか。からだの全機能が最高の状態に保たれ、調和し、研ぎ澄まされているのです。 その冴えわたった意識の中で、私ははっきりと理解したのでした。

 「この命そのものの光の主に、私はすべてを知りつくされ、理解され、受けいれられ、許され、完全に愛しぬかれている」 これが愛の極致なのだと。 もし愛の究極の状態というものがあるのなら、こういう感情に貫かれることではないかしらとも思いました。真に満たされた状態とは、こういうことを言うのでしよう。 しかもその満たされた光の世界には、時がないのです。あっ、これが永遠なんだと私は思いました。 心は愛に満たされ、知性は冴え、能力のすべてが最高の状態で調和しています。

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鈴木秀子氏の臨死体験の詳細は、以下でご覧ください。

鈴木秀子氏

心に響く癒しの言葉:今この一瞬だけ

2007年02月20日 | 心に響く癒しの言葉
ガンガジ

「今、この一瞬、すべてを止めてごらんなさい――
探し求めることも、否定することも、拒否することも、
すがりつくことも、それら全部を手放し、
今この一瞬だけ、あなたの存在の真の姿の中に
身を委ねてごらんなさい。」
(『ポケットの中のダイヤモンド』)

心に響く癒しの言葉:取りあわず育てずにおけば

2007年02月19日 | 心に響く癒しの言葉
盤珪

「仏心は元来不生なものなれば
 その不生のままに
 その起こる念は起こらば起こり次第 
 取り合わず育てずにおけば 
 やむより外はおじゃらぬわいの」

 瞑想をしているとき、雑念が湧くと(湧きっぱなしなのだが)、ついつい、「あ、また雑然が湧いた、いけない、戻らなければ」と、雑念を否定しがちな自分に気づく。
 盤珪は、その雑念すら不生のまま、あるがままに受けとめよという。湧いても取り合わず、育てずにおけばそれでいい。
 空が雲をやさしく受けとめるように。否定するのではなく静かに見つめていれば、やがては消えいくほかないのだ。

◆盤珪の不生禅
「仏になろうとせうより 仏で居るが 造作がなくて近道でござるわいの」
 
その独特の禅は不生禅 (ふしょうぜん)と呼ばれ、人は生まれながらにして不生不滅の仏心をもつと説き,形式的な座禅修行を否定した。
 
「その不生の仏心のままで常に一切事が調うていまする」