精神世界の旅

精神世界のいくつかの領域を探求します。

覚醒・至高体験:ガンガジ04

2007年04月29日 | 覚醒・至高体験の事例
引き続き、ガンガジが覚醒に至るまでの経過を『ポケットの中のダイヤモンド』から紹介する。

なお、そのほかの「覚醒・至高体験事例集」は、臨死体験・気功・瞑想を参照のこと。

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私の「物語」はある人の物語とは違うけれどある人の物語とは似ている、ということには気づいていたものの、私はまだ物語を信じており、私の苦しみは続いていました。私の心の中と外面の生活の出来事のほとんどを、悲しいほどにロマンチックな物語が覆っていることに私は気づいていましたが、この物語が現実でないなどとは夢にも思わなかったのです。

どうしたらいいのかわかりませんでした。比較的幸せで、ときには深い充実感さえ感じながら、名づけることのできない何かを強く切望するなということがあり得るのでしょうか? この、心理的な苦悩のもつれを解きほぐすために、私は知っている限りの手を尽くしていました。

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『ポケットの中のダイヤモンド』において「物語」という言葉が印象的に繰り返し語られる。自分とは、こういう人間で、こういう人生を送ってきた、これからこういう生き方をしたい等々。自分が重ねてきた経験の自分なりの解釈、これからの人生への希望。それがどのようなものであろうと、それは「物語」に過ぎないとガンガジはいう。

「物語、つまりある経験から蒸留されたものとして、それは相対的な真実かもしれませんが、最終的な真実ではありません」とガンガジはいう。P86 そして、たった今、自分の物語を語るのを止めよ、という。今、物語を語るのを止めるということはすなわち、どんな物語も超越して存在する真実に気づくのを先送りにするのうぃを止めるということだという。

ガンガジ自身は、どのようにして彼女の「物語」から解放されていったのか。

覚醒・至高体験:ガンガジ03

2007年04月25日 | 覚醒・至高体験の事例
引き続き、ガンガジの覚醒体験。『ポケットの中のダイヤモンド』より

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私はクタクタでした! 私は、自分自身にも、日々自分を改善する努力に充てる、絶え間ない注意にも、すっかり幻滅していたのです。私は、自分がある周期にのっとって自分との関係を持っていることに気づいていました。その周期の一端には、自分に満足し、人生はうまくいっている、という感覚があり、反対の端には、迫り来る破局、人生の底に流れる惨めな経験、そして、宇宙全体の状況は絶望的である、という確信がありました。

その周期を何百回と繰り返すと、すっかりそれに慣れてきます。浮かんでくる思考も、イメージも、感情も、結論も、すべては以前にもあったものです。嫉妬、羨望、初めは感覚的、知的満足を、やがては精神的な満足を与えてくれる経験の探求――それらはみな私を、私にとっての不満足状態に連れ戻すのです。

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ガンガジのいう「周期」は、多かれ少なかれ誰にでもあるだろう。それほど振幅が大きくはないかも知れない。また、それほどはっきしりとした形はとらないかも知れない。順調でそれなり満足し、さらに充実させたいと邁進する自分。しかし、一方には、そういう幸せが崩れるのではないかという不安と恐れ。

この不安と恐れは、人間が生きるということの根底に横たわる条件に根ざすようだ。いのちと一体化した「自我」の幸せと安定、金や名誉による「自我」の満足と拡大。それは永続するものではなく、いつかは崩れ去る以上、「自我」は根底に不安と恐れを抱え込んでいる。そして、「自我」自身は、その恐れの根を断つことができない。

覚醒・至高体験:ガンガジ02

2007年04月22日 | 覚醒・至高体験の事例
引き続き、ガンガジが覚醒に至るまでの経過を『ポケットの中のダイヤモンド』から紹介する。

なお、そのほかの「覚醒・至高体験事例集」は、臨死体験・気功・瞑想を参照のこと。

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その時点の私の人生は、一般的なものさしで測れば素晴らしいものでした。私は二人目の夫、イーライを心から愛しており、私たちの間にはすべての面で、生き生きとした、情熱的な関係がありました。私の娘は自分の人生に満足していました。健康状態もまずまずでしたし、経済力はほとんどの人のそれを上回っていました。私は自分の仕事を愛し、その価値を信じていました。それでも、私はそれ以上のものを探し続けていました。私は自分が持っているものを失うのを恐れ、将来に希望を馳せたり、将来を恐れたり、を繰り返していました。

覚醒・至高体験:ガンガジ01

2007年04月21日 | 覚醒・至高体験の事例
ガンガジは、アメリカ人女性だが、ラマナ・マハルシの弟子パパジとの出遭いによって覚醒を得たという。ガンガジの『ポケットの中のダイヤモンド』(徳間書店)は、2006年に翻訳出版された。この本の冒頭に、彼女が覚醒に至るプロセスが書かれている。それを何回かに分けて紹介したい。

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私の師と向き合うことになったとき、すでに私は自分を高める努力をずいぶんと重ねていました。性格、感情、神経症を改善し、比較的成果も挙がっていました。心理療法、アファメーション、瞑想、数々のワークショップ、チャネリング、占星術、ヴィジュアライゼーション、自動書記、ダンス、向精神薬、あらゆる欲望の実践、あるいは抑圧――この苦しみを軽くしようと、私は様々な方法を試みました。自分を愛そうとも思いましたし、憎もうとしてみました。しかし何ひとつ、効果はありませんでした。もちろん素晴らしい瞬間を体験したこともありました――天啓、喜び、至福感、そして平安に満ちた瞬間です。それでも、そのすべてを、苦しみの糸が貫いていたのです。私自身の頭の中にネガティブな考えや敵対心は湧き起こり続けましたし、私の周囲の人々の中にもそれらが生まれるのを私は目にし続けました。

心に響く言葉:最も深く恐れているのは

2007年04月21日 | 心に響く癒しの言葉
A Course In Miracles

私たちが最も深く恐れているのは、
私たちが不充分な存在であるということではない。
私たちが最も深く恐れていることは、
私たちが計り知れないほどに
力に満ちた存在であるということである。
私たちを最も怯えさせるのは
私たちの闇ではなく、光である。

(マリアン・ウイリアムソン『愛への帰還』)

臨死体験・気功・瞑想のトップ「心に響く言葉」のENTERをクリックすると、過去に掲載したものが見れます。

至高体験の事例:ゴーピ・クリシュナ03

2007年04月17日 | 覚醒・至高体験の事例
それは、「認識主体がより広大な視野を獲得」し、「以前より大きくなった表層意識に世界が映しだされる」ような体験だった。その後、瞑想中の喜悦のなかで自己の限界を超えたエネルギーの噴出を許してしまい、再び灼熱のクンダリニーに苦しめられるようなこともあったが、そうした経験を経て彼の意識の座が限りなく広がっていくのも事実だった。彼はつぎのようにもいう。

「肉体と環境に束縛されていたはずの自分の存在が、名状しがたい形で、とてつもなく大きな人格として拡大し、自分のまわりにある宇宙が不思議にも内在する感じがして、意識そのものといえる大きな宇宙と自分が、自分の内部ですぐさま直接に接触できるのであった。」

こうしてゴーピ・クリシュナの意識の場は拡大するが、同時に彼は、「自分の内と外に知覚するものがゆっくりと輝きをまし始めていたこと」に気がつくのである。たとえば彼は、その知覚の変化をつぎのように語る。  

「眼前にある景色は私がよく見慣れていたものであったし、またある意味で、その出来事以前から私がなじんでいたものであった。しかし、私が現に見ていたものは、私を驚きのあまり棒立ちにささるほど異常なものであたった。この世のものとも思われない、何かおとぎの国のような風景が私の前にあった。  


古めかしい風雨にさらされた建物の正面には別にこれという飾りもなく、その上に青空が拡がっていた。さんさんとした陽の光の中で、建物も空も美しい、しかも荘厳味あふれた銀色の光沢に輝いていて、それがまた、筆舌につくしがたい驚くほど微妙な陰影効果をかもしだしていた。驚き怪しみながら別の方向に目を転ずると、そこで もまたあらゆるものが美しい銀色に輝いていた。あきらかに私のクンダリニー開発は 新段階に到達していたのである。私がどちらを向いても何を見ても知覚したあの銀色 の光沢は、物体から発していたのではなく、あきらかに自分自身の内部にある光が投射されたものにほかならなかった。」

 こうした意識と知覚の変化ののち、46歳になった彼に突如として詩人としの才能があらわれた。素晴らしい詩句が、インスピレーションのようにひらめくようになり、その詩集の発行などによって彼の名は全インドに知られていった。

至高体験の事例:ゴーピ・クリシュナ02

2007年04月16日 | 覚醒・至高体験の事例
「パチンと気道に音がしたかと思うと、銀色の流れが白蛇の這うがごとく脊髄をジ グザグ状に動いて昇り、最後に生命エネルギーの光り輝く滝となって脳髄に降りそそいだのである。それまで3時間あまりも私を苦しめていた火焔にかわり、至福の白光 で私の頭はみたされた。少し前まで私の神経組織をはせめぐっていた火の流れが、このように突然変わったことに驚き怪しみながらも、私は苦痛がやんだことに深い喜びを感じていた。」

こうして危機を脱したのちも、クンダリニーの光は、彼の中で不断に発光し続けた。それはもはや、焼きつくすような熱気ではなく、すべてをいやす快い温かさをともなっていた。その光によって彼の脳や神経組織は再調整され、意識は、確実に覚醒に向かって拡大していった。彼は、自らの意識の変化をつぎのように語る。

「私は、子供の時から慣れ親しんできた自我に統御された一つの意識単位から一挙に拡大し、光り輝く意識の輪となり、最大限のところまでずんずん大きくなっていった。『私という感じ』は以前と変わらないものの、それはもはや一つの小さく固まった存在ではなくなった。私は四方八方の広大な次元に通達する光り輝く意識の球体の中に包みこまれていた。
 適切な比喩もないが、しいていえば、小さな明かりから出発した私の意識はしだいに大きな光の海に成長し、気がついてみると、自分のまわりを近くからあるいは遠くからとりまく歓喜を放射する大きな意識の中にひたされていた。」

至高体験の事例:ゴーピ・クリシュナ

2007年04月15日 | 覚醒・至高体験の事例
★このブログの目的のひとつは、サイト 臨死体験・気功・瞑想の各ページを、訂正したり、あらたな考察をつけ加えたりして、改訂・更新等をする作業をしながら、この場でサイトの記事の紹介をしていくことである。今回はゴーピ・クリシュナの事例を取り上げ、サイトに入れていなかった若干の考察を付け加える予定である。

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ごく一部の研究家やヨーガ行者のあいだでしか知られていなかったクンダリニーの教説が、世に広く知られるようになったのは、ヨーガ行者ゴーピ・クリシュナの『クンダリニー』という著作が1967年に英語で出版されて以来である。この著作でゴーピ・クリシュナは、自分自身のクンダリニーが覚醒していく過程をつぶさに、かつ具体的に語り、その身体的・精神的な変容の有り様を克明に記録した。

この著作は、東洋の行法に関心をもつヨーロッパやアメリカの若者たちに広く読まれ、クンダリニーを覚醒をめざしてヨーガ行法を行うものが続出したという。

ゴーピ・クリシュナは、1903年にインド・カシミールに生まれた。父が世捨て人同然の修行者となってヒマラヤに入ってから、母の期待と愛情を一身に受けて大学に進学。しかし読書に夢中になりすぎて、専門課程への進級試験に落第してしまう。その挫折を契機にして熱心なヨーガの行者となり、昼はカシミール州政府の中級官吏として黙々と堅実な生活を続けながら、毎朝早く休むことなく瞑想の行を続けるのである。

それから17年目、34歳の時、突如として予期せぬクンダリニーの上昇を体験する。 それは最初、筆舌につくし難い至上の幸福感をともなったが、しかし直後に死と隣り合わせの危険と辛苦に満ちた体験に変わる。クンダリニーがシュスムナ管以外のナディ(管)、特に脊髄の右側にあるピンガラから誤って上がると、心身にきわめて重大な混乱がおこり、制御できない体内熱のために時には死を招くことさえあるという。彼は、その最悪の場合を体験をしのだ。「体内の器官や筋肉が花火で焼き切られるような、無数の灼熱の針が身体中を走りまわっているような」苦痛が数週間も続いた。精神錯乱の一歩手前までいったとき、ふと正気にもどった彼は最後の賭けをする。もしクンダリニーがシュスムナ管の右側のピンガラを上ったのであれば、その左側の気道イダを開くこどでピンガラの焦熱を中和できるのではないか。彼は、最後の気力をふりしぼって一心にイダの気道が開くように念じる。すると、それを待っていたかのように奇跡が起こったのである。

掲示板の復活

2007年04月15日 | 管理
突然だが、今日からサイト臨死体験・気功・瞑想の掲示板を復活する。ただし、次のように用途を限定しての復活である。

掲示板
2006/2/12より休止していた掲示版を復活します。
ただし、書き込みは以下の場合に限らせていただきます。

1)ゲストブックとして。
2)このサイトを読んでのご感想やご意見。
3)このサイトを読んでお気づきになった間違いや不備を知らせていただく場合。(誤字、事実の間違い、リンク切れ等)
4)臨死体験や覚醒・至高体験の事例をご報告いただく場合。
5)その他、このサイトの充実に役立つ情報を提供していただく場合。

メールは、ジャンクメールがあまりに多く、重要なメールも見逃してしまうケースが多くなってきた。サイトに直接メールアドレスを載せることは止めることにした。それで掲示板をサイトを訪れる方との連絡用に機能させることができればと思った。

心に響く言葉:死は素晴らしい贈り物

2007年04月09日 | 心に響く癒しの言葉
辻邦生

死は自分を消滅させる。
どんなにじたばたしたって最後には自分を放棄するほかない。
人間はそのときになって初めて、
自分中心の気持ちから解放されるんだよ。
もう諦めて、自分に執着することをやめて、
ただ黙ってこの世を見るんだ。
そうすると雲も風も花も光も
今まで見たこともなかった美しいものに見えてくる。
波璃のような世界がそこに姿を現しているのに気がつくんだ。
だから人間にとって死とは、この世が何であったかを知る最後の、
最高の機会になるんだね。
その意味でも、死は、人間にとって、
やはり素晴らしい贈物であると思わなければならないんだよ。

(『樹の声海の声』1 朝日文庫)