精神世界の旅

精神世界のいくつかの領域を探求します。

至高体験の事例:M婦人3

2007年03月10日 | 覚醒・至高体験の事例
さらにM婦人の手記から

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1月27日
朝、山手線目黒駅の改札を入って階段を降りホームに出た。ふと、目の前に開かれたホームを”受けて”みようと思った。すると、いつもの見方とは違う。そっくりその場が自分の中に入ってくるような感じである。電車を待っている人々がそこここに点在していて、なんとなくおだやかで、安らかさを感じる。これが自分が空っぽになったとき、現実のありようがそのまま自分の内に入ってくるということであろう。

電車に乗って池袋まで行った。居合わせた乗客たちが皆”真人”に見え、話し合っている人も、黙って座っている人も、皆柔和で少しも違和感がなく、自分も他人もなごやかな”一つの世界の中にある”という感じであった。

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ここで語られていることは、マズローが至高体験と特徴の一つとして挙げた次のような状態に対応するだろう。

「対象や世界と渾然一体と深くつながるようになり、以前には自己でなかったものとも融合する。創造者は作品と一つになり、愛する人とは一体となる」

以下に挙げるのは、原青民という浄土宗の僧侶の体験である。彼は、肺病にかかり、かかりつけの医者にあと五年しか生きられないといわれ、非常に悩んだという。そのうち弁栄聖者に出会い、その感化で毎日のように念仏を唱えるようになったという。彼は次のようにいう。

「しかししばらくして平常の自分にもどり、その晩はそれで寝てしまいました。ところが翌朝目がさめて、庭から外を見ていると、変で変でしかたがありません。きのうまではいっさいのものが自分の外に見えていたものが、けさは自分の中に見えています。それはつぎの日もかわりませんでした。」(佐藤幸治『禅のすすめ』講談社 )

これも、マズローが上にあげた至高体験の特徴に合致するものだろう。

心に響く言葉:「自己」が崩れ去ると

2007年03月10日 | 心に響く癒しの言葉
ラリー・ローゼンバーク

呼吸も、感受も、心の状態も、
やって来ては去って行くものすべてを見つめていると、
これらのことを「している自己」という概念が
想像上のものであることも理解されてきます。
生涯にわたって持つであろうその概念がすべて崩れ去ると、
あるいは少なくとも弱まってくると、
私たちは重荷を下ろすことができます。


(『呼吸による癒し』春秋社)