石田芳恵のツボ

フリーアナウンサーのお仕事日記のはずが、大好きな映画・音楽・本のレビューに。感動とやさしい気持ちをお届けしたいです。

チェーホフ「かわいい女」 チェーホフ文学はおしゃれだ

2010年02月20日 21時01分28秒 | 本の感想(小説)
かわいい女・犬を連れた奥さん (新潮文庫)
チェーホフ
新潮社

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この短編集は、とにかくどの作品も素敵です。
おしゃれで、人間味があって、にやっとしちゃう共感もある。

ロシア文学は苦手意識がありましたが、
この短編集に出会って、価値観が変わりました。
本当にどの作品もきらめきがあるので、
この短編集に収められている作品ごとに少しずつ感想を書いていきたいと思います。


まずは表題の「かわいい女」。
 
夫や愛する男性の職業や考えが、そのまま自分の意見・思想になってしまう、
そんな可愛い?女性オーレンカの物語。
相手に染まる、というより相手一色になってしまう女性って、
かわいいいし、愛しいし、はかないし、放っておけない。
同時に、滑稽で情けなくもあるけれど。

とはいえ、少なからず、特別な人ができたら影響を受けるのは当然で、
つまりは恋する人は皆、かわいい人なのかもしれない。

人の意思は、不変のようで、変わり続けるもの。
人は人の中でしか生きていけない。
人は影響されあって変化していくものだ。

だから、影響されるだけの女よりも、
影響を与えられる女の方が、より豊かな関係になるのではないかと思う。
だけど、
・・・往々にして、かわいくないかもしれない・・・。


一方、個人ではなく、社会の単位で考えると、
市民も視聴者も、
「かわいい女」であってはいけない。
政府の方針や、社会の流れ、マスコミの論調、
そういった耳に入る情報を鵜呑みにして信じてそのまま語ることは恐ろしいことだ。
理解や分析といった咀嚼力のある、
そんな、かわいくない?、いや賢い市民であるべきだと思う。


だけど、私個人はどこかで、「かわいい女」を愚かと思いながらも憧れるのです・・・

映画「アバター」くやしいけど見ごたえありました

2010年02月17日 20時53分09秒 | 映画の感想
The ART of AVATAR ジェームズ・キャメロン『アバター』の世界 (ShoPro Books)
ピーター・ジャクソン(序文),ジョン・ランドー(前書),ジェームズ・キャメロン(エピローグ),リサ・フィッツパトリック
小学館集英社プロダクション

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いま大ヒット中の映画「アバター」を見てきました。
もちろん、3Dで!

当初は、3Dに対して懐疑的な思いもあり、あまり期待していませんでした。
別に絵が飛び出さなくてもいいし、それは技術者や開発者の自己満足では?と感じていたのです。
ただ、観ることなしに批判するのもおかしな話なので、
まずは観てみよう!と(ちょっぴり渋々)映画館に足を運びました。

結論から言うと、
観て良かった!!!
素晴らしい映画でした。
映画の歴史の中で、意味のある一本だと言われ続ける作品だと思います。


一般的に映画というエンターテイメントを、
おもしろい・素晴らしいと感じる要素はさまざまで、
ストーリー・脚本・監督・キャスト・照明・音楽・セット・・・
どれかひとつでも輝いていたら、それは素敵な映画であることに変わりありません。
その映画を構成する要素がひとつ増えたといえるのが、この3D。
単なる技術の躍進ではなく、映画の魅力の可能性を広げたと言えそうです。

また、この「アバター」では、見せ方が上手い。
始めから「どうだ!」という3Dてんこ盛りではなく、
雨滴のみ立体だったり・・・
字幕だけ前に出てきたり・・・
と少しずつ、3Dに目が慣れてくるわけですね。
効果的な出し惜しみ。
だから、どきどきしてくる。

そして中盤、あのアバターの世界にどーん!と奥行きが出てきて、
広がりと深みのある舞台を縦横無尽に役者が動く。
生命力や勇気、といったメッセージをダイレクトに感じられる躍動感ある画面です。

ストーリーはアメリカ的だな、という突っ込みどころはありますが、
でもそんな物語もシンプルに楽しめる。
シンプルに感動でき、シンプルに驚ける。
その積み重ねが、なかなか複雑で濃厚な感動となる。

3時間の対策なのに、
もっとアバターの世界に居たい!と思いました。

一人でじっくり観る映画というよりも、
お友達や大切な人、家族などで観にいって、
その後ワイワイと感想を語りあってほしい映画です。

「川喜田半泥子のすべて」展(松屋銀座)

2010年02月02日 20時09分52秒 | 映画の感想

先月、松屋銀座で開かれていた「川喜田半泥子のすべて」展(12/30~1/18)に行ってきました。
図録や映像で見たり、企画展があっても数点しか見られなかったりという状況だったので、
こんなにどーんと一気に半泥子さんの作品を直接見たのは初めてです。

半泥子さんは、裕福な家に生まれ、実業家であり政治家。
陶芸だけでなく禅や書など芸術や文学といった文化に幅広く精通されていて、
近代の陶芸界に新風を吹き込み、
「昭和の光悦」とも呼ばれていたそうです。

正直、私は「金持ちの道楽でしょー」と思っていました。
それまで、断片的に拝見する半泥子さんの作品は、
どれも個性が強くて使いにくそうだったから(図々しくも)。

けれど!けれど!
たくさんの作品を見て、びっくりしました!
半泥子さんに会いたかった!
すごく素敵な人だったんだろうなと思わずにいられません。


どの作品も、
堂々として、のびやかで、おおらかで、自由で、茶目っ気があって、
でもストイックさもあって、人の心を揺さぶる芯の強さがある。

陶芸も書も茶道具も、見ると笑みがこぼれます。
ほっこり温かくなるんですよね。
年齢・キャリア・出自を超えた、半泥子さんのもつ人間味そのものが伝わってくる。
いつまでも作品のそばに居たくなって、作品と会話ができる雰囲気があります。

川1-9-2010_008

刷毛目茶碗「一声」

川1-9-2010_003

粉挽茶碗「雪の曙」

 

$野の花屋

なんてテキトーな龍虎図・・・なんて思わないでください。
実際に目の前にあるとすごいんですから。すごいです、この勇気。

 圧倒されて、3時間は会場にいたかなあ。
ずっと半泥子さんの作品とおしゃべりして、心地よい疲労感さえありました。
美しいだけでない「存在感」を感じることができたことは貴重。
見ごたえのある企画展でした。