近づきて 仰ぎ見れども み仏の
みそなはすとも あらぬ 淋しさ
〈會津八一〉 奈良にて
★ みそなはす・・・・ごらんになる。
私は、近寄って仏様をじっと仰ぎ見るけれども、
み仏様が私をご覧下さることはない
ああ なんと 寂しいことだろうか
幾山河 超えさり行かば 寂しさの
はてなむ国ぞ 今日も旅行く
〈若山牧水〉 宮崎にて
早稲田の二人の歌人とならぶ人に高田早苗がいる。女性をおもわす名前だが、
大隅重信内閣の時、文部大臣をつとめ、のち二代目の早稲田大学の総長となっ
た。
多治見がまだ草深い田舎町であった頃、昭和の始めに、
高田早苗が、多治見の「永保寺」を訪れた。
夢想国師の造園にかかる「心(しん)字(じ)池」(こころの形)のほとりで、
あでやかな紅葉を愛(め)で、ひさごの酒をかたむけた。
山にしき 水はくれなひ われはまた
ひさごの酒に 茜(あかね)さしけり
山の木々は、今まさに紅葉のさなかにある
木々の色が映って、池の水がくれなゐになり、
私がひさごに酌(く)んで一献(いっこん)傾けた(かたむけた)酒にも
紅葉が映えて、茜(あかね)色に染まった)
石碑と歌碑がつくられたが、平成22年の東濃地方大豪雨で「歌碑」は流され、こけむした「石碑」のみが残されているが、永保寺紅葉の絶好スポットとして画家、写真家に愛されている。
酒と旅も愛した高田早苗は、
“長旅の 重荷残して 昼寝かな”
この句を残して昭和13年故人となった。
早稲田大学の創設者は大隅重信であるが、実際に「東京専門学校」から早稲田大学発展へ導いたのは、初代「学長」をつとめ、大隈没後二代目の総長となった、この高田早苗であった。
東京大学で「英米流政治学」を学び、読売新聞の社説執筆のジャーナリストを経て、衆議院議員を6期つとめ、大隈内閣の文部大臣、きらめく経歴である。 (ワセダ人は あまり 知らない)
早稲田キャンパスには、高田の銅像もある。
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