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 弁護士 美 和 勇 夫

早稲田の礎を作った 二代目の総長、 高田早苗 in 多治見

2021-11-23 21:34:38 | Weblog

 

 

近づきて 仰ぎ見れども  み仏の

      みそなはすとも あらぬ 淋しさ

              〈會津八一〉 奈良にて

 

  ★  みそなはす・・・・ごらんになる

      私は、近寄って仏様をじっと仰ぎ見るけれども、

      み仏様が私をご覧下さることはない

          ああ なんと 寂しいことだろうか

 

 

幾山河  超えさり行かば  寂しさの

       はてなむ国ぞ 今日も旅行く

           〈若山牧水〉 宮崎にて

 

 

 

早稲田の二人の歌人とならぶ人に高田早苗がいる。女性をおもわす名前だが、

大隅重信内閣の時、文部大臣をつとめ、のち二代目の早稲田大学の総長となっ

た。

 

 

 

 

多治見がまだ草深い田舎町であった頃、昭和の始めに、

高田早苗が、多治見の「永保寺」を訪れた。

夢想国師の造園にかかる「心(しん)字(じ)池」(こころの形)のほとりで、

あでやかな紅葉を愛(め)で、ひさごの酒をかたむけた。

 

 

山にしき 水はくれなひ われはまた

     ひさごの酒に 茜(あかね)さしけり

 

 山の木々は、今まさに紅葉のさなかにある

 木々の色が映って、池の水がくれなゐになり、

  私がひさごに酌(く)んで一献(いっこん)傾けた(かたむけた)酒にも 

  紅葉が映えて、茜(あかね)色に染まった)

 

 

 

 

石碑と歌碑がつくられたが、平成22年の東濃地方大豪雨で歌碑」は流され、こけむした「石碑」のみが残されているが、永保寺紅葉の絶好スポットとして画家、写真家に愛されている。

 

 酒と旅も愛した高田早苗は、

 

  長旅の 重荷残して 昼寝かな

 

    この句を残して昭和13年故人となった。

 

早稲田大学の創設者は大隅重信であるが、実際に「東京専門学校」から早稲田大学発展へ導いたのは、初代「学長」をつとめ、大隈没後二代目の総長となった、この高田早苗であった。

 

東京大学で「英米流政治学」を学び、読売新聞の社説執筆のジャーナリストを経て、衆議院議員を6期つとめ、大隈内閣の文部大臣、きらめく経歴である。 (ワセダ人は あまり 知らない)

 

 

早稲田キャンパスには、高田の銅像もある。

 

 

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