へそ曲がりの真っ直ぐ日記

反日の韓国と中国、国内の反日マスコミを斬る

論破され、教え諭される<偉そうな反日左翼・金平茂紀という男>

2015年06月01日 | 報道・ニュース

こんなインタビュー記事があることを初めて知った。<【悲報】北岡伸一氏がTBS金平茂紀氏のインタビューに答えたら容赦なさすぎて、ひいた。無編集だとこうなるのか…>と書いていたこのブログで知った。http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20150406/p3

記事はTBS「報道特集」の番組のサイトに掲載されている。昨年4月30日に収録されたものである。読み応えがあった。
<北岡伸一・安保法制懇(「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」)座長代理 インタビュー全文>とのタイトルだ。http://www.tbs.co.jp/houtoku/plus/20140503_1_1.html

<偉そうな反日左翼>の思い込み、妄言、イデオロギーによる偏向・偏見、デマがすべて論駁されている。本来なら、今の安保法制論議でも続けられているこれらの左翼的言辞はすべて無効となるはずの内容なのだ。熟読玩味に値するものだ。

何箇所か抜粋してみよう。

■金平キャスター
今おっしゃった、内閣法制局の解釈ですね、1981年の答弁書を読み上げますと、自衛権の行使は我が国を防衛するために必要最小限度の範囲に止めるべきで、集団的自衛権はその範囲を超えるため許されない、というのが当時の内閣法制局、つまり政府答弁書ですね。この解釈を変えると?

北岡氏
遡れば72年にもっと同じようなことを言っているので、その解釈は72年以後なんですよね。何故、必要最小限を超えるかは書かれていませんね?

金平キャスター
いや、つまり必要最小限度の範囲を超えるとこの答弁書には・・・。

北岡氏
なぜ超えるかということは、書いていない。その考察はされていないんですよ。つまりもともと、集団的自衛権という概念が明記されるようになったのは、国連憲章ができた時ですけど、その時の考え方は、世界では一応武力の行使は禁止なんですよ、戦後の世界では。

二つだけ例外があって、それは国連軍を作って悪いやつを制裁する時、これは滅多に起こらないので今回は棚上げにしておくと。もう一つは自衛なんですよね。自衛の時に必要最小限、守るために武力行使するのはこれだけはしてもいいよ、ということになっているんですよ。その中に個別的自衛権、自分が襲われたら排除する、闘うのと、自分の親しい仲間が襲われたときに、これに協力してこの攻撃を排除する。この二つはOKですよ、ということになっているんですよ。これ、そもそも必要最小限なんですよ。

例えば大きな国は、自分で反撃する。それで自分は守れます。でも中小の国が大きな国に襲われた時に、個別的自衛権だけでどうやって自分が守れるんですか? そこの論証が、政府解釈に全く無いんですよ。安全保障で守れるかどうかというのは、法律家が判断することじゃなくて、安全保障の専門家が判断することです。そういう作業が行われていないんですよね。ただ具体的に81年の答弁書が面白いのは、集団的自衛権は行使できなくても事実上不都合は無いといっているんですよ。それが、72年の答弁書と違って面白いところなんですよ。そこは意外に正しいんですよね。そのとき、アメリカは圧倒的に強くて、しかも中国も日本側で、ソ連と向き合っていたわけです。

その時は日本を守れば、日・米・中の連携の必要を満たすことができたんですよね。ですからその時はたまたまそうだったんです。でも理論的に必要最小限というのが、どうして自分が襲われた時だけなのか。それは最小限であるけど、必要性は満たしていないと、私は安全保障の専門家として考えるし、かつ81年にあった、たまたまそれでも不都合は無いという現実は、今日既に失われていると思うんですよ。■

■金平キャスター
集団的自衛権も固有の権利として、国連憲章51条からずっとあるにも関わらず、憲法上行使が許されないなら、憲法解釈が不適切だと?

北岡氏
必要最小限の中になぜ入らないのかと。最小限であるかもしれませんが、必要最小限というのは、必要かつ最小限です。集団的自衛権がなければ守れない国は、世界中たくさんあります。それで集団的自衛権は必要最小限の中に入りませんというのは、理論的に、証明不可能です。


■北岡氏
・・・・・
私は日本が関係する紛争に武力行使すべきでないというのは、私全く賛成なんですよ。だからそれは、竹島とか北方領土とか、そういうことに解決に武力は使ってはいかんと、それには私は強く賛成だし、それは変える必要はない。それからPKOで、隣にいる部隊を助けに行くのは、これは日本の国益にかなった、日本が当事者である紛争ではないんですよね、国連のもとの紛争解決というのは。それから国連のPKOでいけば、そこで行われる武力はユース・オブ・ウェポンズという武器使用なんですよ、基本的に。武力行使というのは、国際法の概念では、より大きな主権行為の発動としての組織的な行動を指すんですよ。その意味で、武力行使という言葉自体にバイアスがあるんですよと言ったのは、そういう意味なんですよ。■

■北岡氏
そうですね。ただ更に言っておきますとね、私どもはその上に、実際に武力を使う、自衛隊を動かすのは大事件ですから、それはきちっと法律に基づいてやるべきだという意見なんですよね、だから自衛隊法の何条を変えると、PKO法の何条を変えると、周辺事態法を変えるということをやって初めて、その集団的自衛権の行使は可能になるのであって、それ無しにできることではありません。

だから私ども言っているのは、万が一の時に、集団的自衛権(行使)を可能とするような仕組みをつくっておこうではないか、ということを言っている訳で、反対のかたというのは、集団的自衛権の行使を一切どんな状況にも要らないという、そういうかたの対立なんですよね。一切ゼロであるべきかという議論か、ひょっとして必要かもしれないから、それは可能なようにしておこうという対立なんですよね。金平キャスター極端に言うとそうですが。北岡氏いや極端ではない。

金平キャスター
現行の個別的自衛権の行使、あるいは警察権の行使で、今言われているような事態は、対処可能ではないかと、そういうような考え方の人もいますね?北岡氏それは全く違います。なぜならさっきいったように、今のPKO法で何故隣にいる部隊が襲われたときに助けに行けないか。あるいは南スーダンでいえばJICAの職員がもし襲われたときに、今の自衛隊は助けに行けないんですよ。

何故そうかと突き詰めると、何度もその議論を今まで外務省あるいは推進派の(方々)、民主党(政権)の時もやろうとしたし、自民(党政権)の時もやろうとしたんですけど、議論して、(内閣)法制局との議論で、躓いてできていないんですよね。

それから日本周辺の場合でも、周辺事態法というのがありますよね。周辺事態法で、仮にアメリカの船がどこかから攻撃を受けると、日本がまだ攻撃されていない事態で、その時日本は、米軍が戦っている地域の中で補給できない。外では補給しても宜しいと。しかしその時も武器弾薬はいけません、という解釈になっているんですよ。

私はこれは不十分な規定だと思うんですけど、これがそうなったのは、結局集団的自衛権をどうみなすかという憲法解釈で、そこで躓いてできていないんですよ。だから今の個別的自衛権で処理できるというお考えのかたは、その今までのプロセスからいってもとてもできないと思うし、また個別的自衛権で処理できるのであれば、例えば自衛隊法をどう変えたらいいのか、周辺事態法をどう変えればいいのかという対案が出てきそうなものですけれど、私は今まで聞いたことがない。■

次のくだりは今、左翼が俎上に上げている「リスク論」についての考察である。

■北岡氏
最悪の事態ってなんですか?

金平キャスター
いや例えば、自衛隊員に死者が出るとか、血を流すみたいなことがあり得ますよね。少なくとも日本の戦後の歴史の中で、これまでの歴史の中で自衛隊が海外へ出かけていって血を流したり、相手を殺傷したりということはないですよね。そういう意味では質的に物凄く変わるんじゃないですか?

北岡氏
これはですね、勿論そういうことはあって欲しくないし、ないようにできるだけの努力はすべきですよ、だけども今の法制度でもありえないことはないですよ。今のPKOでもあり得る話ですね。

金平キャスター
しかし今までなかったことが、これによってなお可能性が増すという、もっと大きくなるということはありませんか?

北岡氏
それはどうでしょうか。それはそうかもしれないし、そうでないかもしれません。というのはですね、"何々の恐れ"ということを皆さんよくいうんだけれど、"恐れ"の中には、"不作為の恐れ"というものもあるんですよね。

今の例えばPKOに限って言えば、南スーダンで絶対、死者を出さないようにしようと思えば、これは引き上げるのが一番でしょう。するとそこで、結果的に、かつてのルワンダの虐殺のようなことがあっていいのかということを、日本が"不作為"によって引き起こされる。日本人の自衛隊はセーフだったけども、そこでより多くの現地の人が傷ついたり怪我したり死んだりしたということが起こっていのかと。両方考えなくちゃいけないということでしょうね。

私どもは、日本の安全も勿論です。日本人の安全もその通りです。そして世界の安全にも貢献したいと。色々なことを考えないといけないので、ある局面だけ取り出して、そこでネガティブなことが起こるということだけに集中すべきでないと思うんです
。同じことは実はドイツでもね、実はドイツはアフガニスタンでドイツ人が現地で人を殺したということは、最近まで起こらなかったんですよ。最近、割合数年前に起こってですね、ドイツで大きな話題になりました。■

金平はカンボジアなどのPKOにも否定的な評価を下しているらしいが、なぜか明言を避けている。見苦しい男である。

■金平キャスター
ですからつまり、兵を出さないということによって、築かれたものの重みというのはあるんじゃないでしょうか、ということを申し上げているんです。

北岡氏
いや日本のPKO参加はとても評価されていますよ、世界では。

金平キャスター
PKO参加自体について、私は是非を言おうなんていうことは全く考えていませんし、PKOについての評価は、ご承知のようにそれは、例えばカンボジアとか、ああいうところでの活動があったから、実は今カンボジアが民主化されてとか、そういうことをおっしゃる方がいるということは勿論存じ上げていますけどね。

北岡氏
知っているだけで評価はしないわけですね、あなたは?

金平キャスター
いや、そんなことはないですよ。

北岡氏
評価しているとすれば、はっきりそう言って下さい。


金平キャスター
一つはね、こういう議論があります。私はそこについては自分の立場を申し上げるつもりは余りないですけどね。憲法九条との関係で、つまり("改正")反対論者の方がかなり強く言っているのは、集団的自衛権を行使することが内在的に可能であるということを憲法がうたっているんだということは、憲法九条そのものの空洞化、否定につながるんじゃないかと。つまり"解釈改憲"という言い方ですね。つまり憲法解釈の変更ではなくて、そのことイコール"解釈改憲"ではないかと。そういう言い方をする人がいるんですが。

これは私自身がそう思って言っている訳ではないんですよ。これまで沢山取材してきた人たちの中で、かなりそういうことをおっしゃっている人たちがいるということがまた事実であるので、それは北岡さんはどうお考えですか?■

自分の違憲を隠して逃げの一手である。番組の中では、アレほど「私見」を口にするというのに。呆れた男である。
次のくだりでは、「戦前と同じ空気」などという左翼の寝ぼけた流行り言葉が論破されている。

■北岡氏
私が今危惧しているのはね、日本が1930年代の日本に戻るとか全く心配していません。中国が、1930年代の日本のようになることを心配しているんですよ。

金平キャスター
昭和史の研究家たちは、今の日本の状況というのが、昭和一桁の時代、あるいは1920年代の後半にとてもよく似ている、その類似性を指摘する人たちがたくさんいますよね。秘密法制の話でも近隣諸国との関係でも、ひょんなことから急に息苦しくなってくるとか含めてね。今の状況を1930年代論に近づけて論じる人もいますけど。

北岡氏
私は、昨年10月の中央公論に書いているんですけどね。何故日本に軍国主義が再来しないか書いています。一言簡単に言えば、1930年代の日本は非常に貧しく、大恐慌のときに世界の貿易が不自由になって、関税障壁ができてブロック化が進んだと。その中で、日本は地理的に膨張するしか道はないと考えた人が結構いたわけですよ。それは勿論間違いだと、私は思っていますよ。間違い。

石橋湛山のように、それは間違いだと思っていた人はいたけれど、彼ら以外の力や人がそういう意見を持った。第二に、当時の軍部のおごりで、(軍部は)周りの国は与し易しと、周りの国なんか、と思ったんですね。当時の国際秩序で言うと、日本への大した経済制裁もなかったわけですよ。第四に、当時の総理大臣のリーダーシップが非常に弱かった。軍に対して殆ど影響力がなかったんですよ。第五に、それに対する批判の自由は、満州事変・国際連盟脱退のころまではあったんですが、日中戦争以降、非常に厳密に弾圧されてできなくなった。

この五つは、今の日本の状況に当てはまるものは一つもありません。(今は)日本は地理的に膨張したいと思っている人なんていませんよ殆ど。日本は国際社会で経済制裁がもしあれば非常に弱い国ですよ。これだけ外国に依存しているわけですから。総理大臣の力は、十分強いですよ。言論の自由は十分にありますよ。これをみてちょっといくつか、やや類似しているところはあるかもしれないという程度で、30年代に戻る可能性は全くないと私は思います。私はその意味で日本の平和愛好性、それからデモクラシーをもっと深く信用しています。


金平キャスター私はそこに危惧を覚えますけどね。

北岡氏だからあなたは信用していないでしょ?

金平キャスター
いや信用してないんじゃなくて、信じたいからこそ、尚更危惧を覚えるという立場でね。■

この男が民主主義や国民を信じていないことがよく分かるやり取りだ。この男の志向は「前衛として無知なる大衆を指導、啓蒙すること」なのか?自分ら左派知識人エリートによる独裁が望みなのか?民主主義者の皮をかぶった異形の者であるらしいのだ。化けの皮がはがされている。

これだけ論破され、教え諭されてなお反日左翼的な言辞を撒き散らすキャスターを務めていることが不思議である。この男の論理は破綻しているではないか?論理ではなく偏向と思い込みと無知に過ぎない。それでも番組に居座るという厚顔無恥も発揮しているのだ。

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