直前のブログで、朝日と北海道新聞が安倍首相の靖国参拝批判で、「国益」という言葉を使ったことを笑ったが、同じ感想を持った人がいた。「産経抄」の筆者である。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131228/plc13122803080003-n1.htm
長生きはしてみるもので、きのうの朝日、毎日両新聞の1面にそろって「国益」という活字が躍っていた。朝日新聞ではコラムでも使っており、「国益」より「平和と民主主義」が大事だと考えておられる両紙の愛読者はさぞ失望されたのではないか。
▼両紙ともに、安倍晋三首相の靖国神社参拝に中韓はもとより、米国も「失望した」と表明したのを喜ぶかのように「国益を損なった」と筆をそろえている。日ごろの紙面からは、想像できぬほど国益を重視する筆致に感心した。確かに、中国、韓国の対日嫌がらせは増し、進出企業が少なからぬ損害を受けるのは免れまい。<続く>
反日新聞への皮肉が効いていて心地よい。ツンとくるわさびで、上質の刺身をいただいているようだ。酒もうまかろう。
「産経抄」は「首相が公約を守った」と評価しているが、さてその首相は、いつ参拝を決断したのだろうか?10月ごろからタイミングをはかっていた、との報道もあるが、直接のきっかけはなんだったのか?
こんな記事があった。う
<【「決める政治」の行方 安倍政権1年(下)】理不尽な中韓に隠忍自重 「勝ち越し」目指した2次政権>
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131228/plc13122808280008-n1.htm
首相は第2次政権発足から丸1年となった26日まで、常に中国、韓国の出方をうかがってきた。春と秋の例大祭での参拝を見送っても中国は尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺への領海侵入を繰り返し、韓国の朴槿恵大統領は執拗に歴史認識問題を持ち出して対話のドアを閉ざし続けた。そして首相周辺が「靖国参拝を決断するダメ押し」と証言するのが、小銃の銃弾提供をめぐる韓国の反応だった。
日本の迅速な弾薬提供に対し、韓国国防省の報道官は、銃弾が「不足していない」と強弁した。在京の韓国大使館が正式に要請し、現地の韓国軍は謝意を述べたのに、韓国から外交ルートでの感謝は表明されなかったのだ。
銃弾の提供要請の経緯については、この記事に詳しい。
<【名言か迷言か】銃弾1万発80万円無償提供 感謝もできない韓国>
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131228/plc13122807000005-n1.htm
韓国軍が展開する東部ジョングレイ州ボルで戦闘が激しくなり、韓国側の提供要請を受けた措置だった。ともに南スーダンの国造りに汗を流している「友軍」の緊急要請に応じるのは当然のことだろう。
そのため、安倍晋三政権は内閣法制局や連立を組む公明党とも調整しながら、銃弾提供をかなり速いスピードで決めた。
ところが、韓国側が日本への提供要請を否定し、日本側の説明と食い違っているのだ。
日韓の部隊同士のやり取りは、次のとおりだった。
部隊長「21日22時45分ごろ、韓国隊の部隊長より直接電話があった。『現在、ボルの活動拠点内には1万5千名の避難民がいる。ボルを守る部隊は韓国隊のみで周りは敵だらけだ。現在、銃弾が不足している。1万発の銃弾を貸してくれないか』という差し迫った要請があった。銃弾を韓国隊に引き渡した際、韓国部隊指揮官からのお礼の電話を昨日16時50分にいただいた。『たった今、空港で銃弾を受領した。ありがとうございます。この銃弾はボルの宿営地と避難民を守るために使う。改めて日本隊の協力に感謝する。この銃弾は日本隊と韓国隊の強い絆の象徴だと考えている。ジュバを訪れることができたら、改めて感謝の気持ちを伝えたい』。このようなお礼の電話をいただいた」
なのに、韓国外務省報道官は全く異なる見解を表明する。「追加の防護力を確保するため、国連南スーダン派遣団(UNMISS)に支援を要請し、UNMISSを通じて支援を受けたと承知している」と日本には直接要請をしていないと言い始めた。
さらに韓国国防省は「予備量を確保するため臨時で借りた。不足していない」と強弁。おまけに27日には、日本が提供した銃弾について、韓国から現地に追加物資が届いたら、国連に返却する方針を明らかにしたのだ。
日本側があきれ果てるのも当然である。信義や恩義、信頼感というものがまるでないのだ。
9月のロシアでの20カ国・地域(G20)首脳会合の控室で、首相は朴氏と会話したが、握手した事実は韓国の要請で伏せられた。靖国参拝前から韓国の体質は何も変わっていない。
「相手が求めて来ない限り、無理にこちらが近寄ることはない」
最近、首相は周辺にこう漏らすことが多くなっていた。
朴大統領の態度は、1年たっても変わらない。安倍首相のほうが、隠忍自重の姿勢を変えたのである。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131228/plc13122803080003-n1.htm
長生きはしてみるもので、きのうの朝日、毎日両新聞の1面にそろって「国益」という活字が躍っていた。朝日新聞ではコラムでも使っており、「国益」より「平和と民主主義」が大事だと考えておられる両紙の愛読者はさぞ失望されたのではないか。
▼両紙ともに、安倍晋三首相の靖国神社参拝に中韓はもとより、米国も「失望した」と表明したのを喜ぶかのように「国益を損なった」と筆をそろえている。日ごろの紙面からは、想像できぬほど国益を重視する筆致に感心した。確かに、中国、韓国の対日嫌がらせは増し、進出企業が少なからぬ損害を受けるのは免れまい。<続く>
反日新聞への皮肉が効いていて心地よい。ツンとくるわさびで、上質の刺身をいただいているようだ。酒もうまかろう。
「産経抄」は「首相が公約を守った」と評価しているが、さてその首相は、いつ参拝を決断したのだろうか?10月ごろからタイミングをはかっていた、との報道もあるが、直接のきっかけはなんだったのか?
こんな記事があった。う
<【「決める政治」の行方 安倍政権1年(下)】理不尽な中韓に隠忍自重 「勝ち越し」目指した2次政権>
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131228/plc13122808280008-n1.htm
首相は第2次政権発足から丸1年となった26日まで、常に中国、韓国の出方をうかがってきた。春と秋の例大祭での参拝を見送っても中国は尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺への領海侵入を繰り返し、韓国の朴槿恵大統領は執拗に歴史認識問題を持ち出して対話のドアを閉ざし続けた。そして首相周辺が「靖国参拝を決断するダメ押し」と証言するのが、小銃の銃弾提供をめぐる韓国の反応だった。
日本の迅速な弾薬提供に対し、韓国国防省の報道官は、銃弾が「不足していない」と強弁した。在京の韓国大使館が正式に要請し、現地の韓国軍は謝意を述べたのに、韓国から外交ルートでの感謝は表明されなかったのだ。
銃弾の提供要請の経緯については、この記事に詳しい。
<【名言か迷言か】銃弾1万発80万円無償提供 感謝もできない韓国>
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131228/plc13122807000005-n1.htm
韓国軍が展開する東部ジョングレイ州ボルで戦闘が激しくなり、韓国側の提供要請を受けた措置だった。ともに南スーダンの国造りに汗を流している「友軍」の緊急要請に応じるのは当然のことだろう。
そのため、安倍晋三政権は内閣法制局や連立を組む公明党とも調整しながら、銃弾提供をかなり速いスピードで決めた。
ところが、韓国側が日本への提供要請を否定し、日本側の説明と食い違っているのだ。
日韓の部隊同士のやり取りは、次のとおりだった。
部隊長「21日22時45分ごろ、韓国隊の部隊長より直接電話があった。『現在、ボルの活動拠点内には1万5千名の避難民がいる。ボルを守る部隊は韓国隊のみで周りは敵だらけだ。現在、銃弾が不足している。1万発の銃弾を貸してくれないか』という差し迫った要請があった。銃弾を韓国隊に引き渡した際、韓国部隊指揮官からのお礼の電話を昨日16時50分にいただいた。『たった今、空港で銃弾を受領した。ありがとうございます。この銃弾はボルの宿営地と避難民を守るために使う。改めて日本隊の協力に感謝する。この銃弾は日本隊と韓国隊の強い絆の象徴だと考えている。ジュバを訪れることができたら、改めて感謝の気持ちを伝えたい』。このようなお礼の電話をいただいた」
なのに、韓国外務省報道官は全く異なる見解を表明する。「追加の防護力を確保するため、国連南スーダン派遣団(UNMISS)に支援を要請し、UNMISSを通じて支援を受けたと承知している」と日本には直接要請をしていないと言い始めた。
さらに韓国国防省は「予備量を確保するため臨時で借りた。不足していない」と強弁。おまけに27日には、日本が提供した銃弾について、韓国から現地に追加物資が届いたら、国連に返却する方針を明らかにしたのだ。
日本側があきれ果てるのも当然である。信義や恩義、信頼感というものがまるでないのだ。
9月のロシアでの20カ国・地域(G20)首脳会合の控室で、首相は朴氏と会話したが、握手した事実は韓国の要請で伏せられた。靖国参拝前から韓国の体質は何も変わっていない。
「相手が求めて来ない限り、無理にこちらが近寄ることはない」
最近、首相は周辺にこう漏らすことが多くなっていた。
朴大統領の態度は、1年たっても変わらない。安倍首相のほうが、隠忍自重の姿勢を変えたのである。
こういう左翼反日連中は戦後長い時間をかけて生まれ育ち、受け継がれてきました。いつになったら是正されるのでしょうか?
私も学生時代から長い間、左巻きでした。このブログはその反省と償いのつもりで書いています。