私は,エホバの証人ではありませんが,時々,
エホバの証人より配布いただいてる,「目ざめよ!」誌・「ものみの塔」誌,パンフレット等より引用の記事もあります。
(どこの宗教,宗派にも属していません)
*いろんな宗教にも交わりました(立正佼成会,創価学会,キリスト教のカトリック,プロテスタント等)
その中で,聖書に忠実に教えてるのは,エホバの証人と思います。
「目ざめよ!」誌~1988-6/8
手 ―『最も優雅で器用な器官』
緊急事態が発生しました。一人の年若い少女が,オートバイによる事故で右足の大動脈を切り,病院の入り口に横たえられています。
傷口から流れ出る血を止めるのに外科用器具は手元にありません。居合わせた医師には何ができるでしょうか。
ネイピア教授は,自分の著した「手」という本の中で,こう回想しています。
「わたしはどうにかその動脈を親指と人さし指で挟み,自分の手を鉗子代わりにした。ほかに何もなかったので,やっとのことで少しの糸を手に取り,その糸を動脈に巻きつけて縛った。
血液の流出は止まった。……あの緊急事態をあれほど素早く効果的に処理できるものは手以外になかっただろう。……手術中に適切に当てられた指一本で命が助かった,ということを悟る患者はまずいない」。
そのような動作は,親指の関節が鞍関節でなかったなら不可能だったでしょう。
親指の鞍関節は,その造りからして肩の球関節と大体同じような動きが可能ですが,肩とは違い,関節を周囲の筋肉の塊に支えてもらう必要がありません。
ですから,親指を他の指先と合わせるような繊細な動きができるのです。
親指を使わずに小さな物体を拾い上げるか,あるいは雑誌のページをめくってみてください。
南アフリカのある医師は,「わたしは親指の怪我をした人を何人も,親指に添え木を当てて治療してきたが,患者たちは再びやって来ると大抵,親指がどれほど必要なものか十分悟っていなかったと言う」と語りました。
親指が他の指と向かい合うようになっている人間の手は,極めて多様な働きをする道具です。
手がなかったら,どのようにして手紙を書き,写真を撮り,釘を打ち,電話を使い,針に糸を通すことができるでしょうか。
手のおかげで,ピアニストは絶妙な音楽を演奏し,画家は美しい絵をかき,外科医は細心の注意を要する手術を行なうことができます。
「親指が短く他の指が長いサルは,手先の器用さの点で不利な立場にある」と,新ブリタニカ百科事典(英文)は述べています。
人の手とサルの手とでは,もう一つ重要な違いがあります。人間の脳の運動領の約4分の1は専ら手の筋肉のために用いられています。
ガイトン教授の「内科生理学教本」の説明によると,人間の脳の運動領は「下等動物のそれとはかなり異なっており」,その結果,「手や指を使ってたいへん器用に手作業を行なう並外れた能力」を発揮することができます。
なおその上に,神経外科医たちは,「手の技能のための領野」と呼ぶ,人間の脳にあるもう一つの領域を発見しました。
手が器用な働きをするには,感覚受容器がなくてはなりません。人間の手,特に親指には,そういう微小な神経終末が沢山あります。
「目ざめよ!」誌のインタビューに答えたある医師は,「人々は親指の先からほんの少しでも感覚を失うと,ねじのような小さな物の位置を定めることが難しくなる」と語りました。
人の腕には,真っ暗やみの中でも自分の手を正しい位置に動かせるようにする,他の型の感覚受容器があります。ですから,夜,床に就いている時に,自分の顔にパンチを食らわせることなく鼻の頭をかくことができるのです。
水の入ったガラスのコップを持ち上げるために手を伸ばすといった単純な動作でさえ,不思議なことです。もしつかむ力が弱すぎるなら,コップを落としてしまうかもしれません。
力が強すぎるなら,コップは割れて指に怪我をするかもしれません。どのようにしてちょうどよい圧力でそれを持つのでしょうか。
手にある圧覚受容器が脳にメッセージを送り,その脳が,伸ばされた腕と手の筋肉に適切な指示を送り返すのです。
すぐにコップは,見守るまでもなく,静かに唇に触れます。その間,注意はテレビ番組か友人との会話に向けられているかもしれません。ミラー博士は自著「体の不思議」の中でこう述べています。
「コップが顔にたたきつけられることなく唇のところへ持ち上げられるという事実は,伸ばされた手の鋭敏な計量能力のすばらしさを物語る。しかも,水がなくなるにつれて軽くなってもコップが口元にとどまっているという事実は,その情報が刻々と更新されていることを示している」。
考え深い人々が人間の手に驚嘆してきたのも不思議ではありません。有名な科学者アイザック・ニュートン卿は,「ほかに証拠が全くなかったとしても,わたしは親指だけで神の存在を確信できる」と書きました。
ネイピア教授は,「我々は人間を月面に着陸させたが,その機械的また電子的妙技すべてをもってしても,手招きできる,感覚をも備えた人工的な人さし指を作ることはできない」と述べています。
新ブリタニカ百科事典(英文)によれば,人の手は,恐らく「最も優雅で器用な生物器官」であり,「人間を現存する他のすべての霊長類と区別する」ものなのです。
・ 親指の鞍関節は,他の指の同じ部位の関節と違って,独特の造りになっている。
・親指が他の指と向かい合うようになっている人間の手は,極めて多様な働きをする道具である。
・手と腕に感覚受容器があるので,脳は複雑な動作をつかさどることができる。
目 ―「コンピューター科学者のせん望の的」
網膜は,目の奥を覆っている小さな被膜です。紙のような薄さですが,そこには1億余りのニューロンが種々の層に分かれて並んでいます。
「生きている体」という本によれば,「網膜は人体の中で最もすばらしい組織の一つ」です。
サンドラ・シンクレアは,自著「動物はどのように物を見るか」の中で,網膜は「コンピューター科学者のせん望の的であり,毎秒およそ100億回の演算をやってのける」と述べています。
カメラのフィルムに映像が映るのと同じように,わたしたちの見る物の映像は目の網膜上に映ります。
しかし,ミラー博士が説明しているとおり,カメラのフィルムの感度は「網膜の非常に幅広い感度には及びもつかない」のです。
わたしたちは網膜という“フィルム”で,月の光の下でも,その3万倍も強い太陽光線の中でも物を見ることができます。
そのうえ網膜は,対象物に光の当たっている部分と影になっている部分とがあっても,その物の細かい点まで識別できます。
ガイトン教授がその著書「内科生理学教本」の中で説明しているとおり,「カメラは,フィルムの適正露光に必要な照度の臨界範囲が狭いため,これができない」のです。そのため,写真家はフラッシュ装置を必要とするのです。
「網膜の非常に幅広い感度」は,1億2,500万個の桿状体があることに幾分起因しています。桿状体はほんのわずかな光にも敏感で,夜でも物を見ることを可能にしています。
それに加えて約550万個の錐状体があります。これはより明るい光に反応し,明細に色を見ることを可能にします。赤色光に最も敏感に反応する錐状体もあれば,緑色光,また青色光に最も敏感に反応するものもあります。
それらが組み合わさって反応するので,あなたはこの雑誌の中のどんな色でも見ることができるのです。三つのタイプの錐状体がすべて同等の刺激を受けると,真っ白な色に見えます。
ほとんどの動物はカラーで物を見る能力に限界があり,色というものを全く識別しない動物も少なくありません。
「カラーで物が見えるということは生活の喜びを大いに増し加える」と,外科医のレンドル・ショートは述べ,「生きてゆく上で絶対に不可欠というわけではない体の様々な器官の中で,目は最もすばらしいと言えるかもしれない」と付け加えています。
「奇跡的なチームワーク」
物の姿は,カメラのフィルムに映るのと同じように,網膜上にも逆様に映ります。「天地が逆様に見えないのはなぜだろうか」と,ショート医師は問いかけ,自らの答えとして,「なぜなら,脳には画像を逆転させる癖がついたからだ」と説明しています。
映像を反転させるような仕組みになった特殊な眼鏡があり,科学的な実験としてそのような眼鏡を掛けた人たちには,あらゆる物が逆様に見えました。
しかし数日後,驚くべきことが生じました。正常に見えるようになったのです。「目と脳の奇跡的なチームワークはいろいろな仕方で示される」と,「体の本」は述べています。
あなたの目がこの行に沿って動く時,錐状体は白い紙と黒いインクとを区別しますが,網膜は人間が考え出した文字には反応できません。
わたしたちは脳の別の部分で一連の文字に意味を付すことを学習します。情報の変換が必要なのです。
網膜は,記号化されたメッセージを,脳の後頭部に近い部分に,100万の神経線維を経由して送ります。「脳」という本はこう説明しています。
「網膜から大脳皮質への投射は,高度に組織だっており,整然としている。……もし小さな光が網膜のそれぞれ別の部分に当たるなら,[脳の]視覚領野のそれぞれに対応する部分が反応する」。
・ カメラとは違って,網膜の光に対する感度は非常に幅が広いので,目のためにフラッシュ装置はいらない。
・網膜には,錐状体と呼ばれる何百万ものニューロンがあり,それらは緑,赤,あるいは青に対して敏感である。