事実と一致するのはどちらですか
進化論と聖書の創造の記述とを比べる場合,事実と適合しているのはどちらですか。
進化論は,単一の細胞が幾百万年ものあいだに複雑な形態の生物に徐々に発達したと論じています。
しかし地質学上の事実は,複雑な形態の生物が突如として出現したことを示しています。
それで進化論者はこうした証拠の不足について,
「我らの住む世界」という本のごとく,「地殻に刻まれた年代記の少なくとも四分の三は白紙である」と結論しています。
さらに,最古の化石を見ても,動物は非常に多くの科や類に分かれており,主要な種類の間をつなぐ鎖の環は発見できません。
ハーバード大学の動物学教授A・S・ローマーは,「『鎖環』は我々が最も求める所にかぎって見あたらない」と語りました。
別の学者D・トムスン教授は,「科から科,類から類へ移るごとに……一つの境界を越えねばならない」ことを認めました。
聖書の次の記述はこうした科学上の事実と一致しています。
「神いひ給ひけるは 水には生物さはに生じ 鳥は天のおほぞらのおもてに地の上にとぶべしと……神いひたまひけるは
地は生物をその類に従ひていだし 家畜とはふものと地の獣をその類に従ひていだすべしと すなはちかくなりぬ」。
(創世記 1:20,24)
『ついで神は,「水は生き物の群れが,群がるようになれ。また鳥は地の上,天の大空を飛べ」と仰せられた。
……神は,「地は,その種類にしたがって,生き物,家畜や,はうもの,その種類にしたがって野の獣を生ぜよ」と仰せられた。するとそのようになった』。
(創世記 1:20,24)
進化論は人間がサルに似た獣から徐々に進化したものとしています。
しかし考古学上の発見は文明がそのはじまりにおいてすでに高度のものであったことを示しています。
聖書はこの事実と合致しています。聖書は人間が当初完全であり,以後堕落の課程にあることを述べているのです。
進化論が正しいとするなら,人間の寿命はいま最も長くなっているはずです。しかし考古学者は古代人の寿命が今よりずっと長かったことを確証しています。
聖書は古代の人間が今よりずっと長く生きたことを述べており,この点でも事実と一致しています。
セムの系図は次のとおりである。セムが百歳になったとき,アルパクシャドが生まれた。それは洪水の二年後のことであった。
セムは,アルパクシャドが生まれた後五百年生きて,息子や娘をもうけた。
アルパクシャドが三十五歳になったとき,シェラが生まれた。
アルパクシャドは,シェラが生まれた後四百三年生きて,息子や娘をもうけた。
シェラが三十歳になったとき,エベルが生まれた。
シェラは,エベルが生まれた後四百三年生きて,息子や娘をもうけた。
エベルが三十四歳になったとき,ペレグが生まれた。
エベルは,ペレグが生まれた後四百三十年生きて,息子や娘をもうけた。
ペレグが三十歳になったとき,レウが生まれた。
ペレグは,レウが生まれた後二百九年生きて,息子や娘をもうけた。
レウが三十二歳になったとき,セルグが生まれた。
レウは,セルグが生まれた後二百七年生きて,息子や娘をもうけた。
セルグが三十歳になったとき,ナホルが生まれた。
セルグは,ナホルが生まれた後二百年生きて,息子や娘をもうけた。
ナホルが二十九歳になったとき,テラが生まれた。
ナホルは,テラが生まれた後百十九年生きて,息子や娘をもうけた。
テラが七十歳になったとき,アブラム(のちのアブラハム),ナホル,ハランが生まれた。
テラの系図は次のとおりである。テラにはアブラム,ナホル,ハランが生まれた。ハランにはロトが生まれた。
ハランは父のテラより先に,故郷カルデアのウルで死んだ。
アブラムとナホルはそれぞれ妻をめとった。アブラムの妻の名はサライ(のちのサラ),ナホルの妻の名はミルカといった。
ミルカはハランの娘である。ハランはミルカとイスカの父であった。
サライは不妊の女で,子供ができなかった。
テラは,息子アブラムと,ハランの息子で自分の孫であるロト,および息子アブラムの妻で自分の嫁であるサライを連れて、
カルデアのウルを出発し,カナン地方に向かった。彼らはハランまで来ると,そこにとどまった。
テラは二百五年の生涯を終えて,ハランで死んだ。
(創世記 11:10~11:32)
進化論者は人間の言語が動物のほえ声やうなり声から発達したと教えています。
しかし事実から言えば,最古の言語は最も複雑であり,現代の言語はそれを簡略化したものです。
聖書はこうした事実と合っており,最初の人間が言語の使用において完全であり,
新しいことばを作って鳥や獣のすべてに名をつけたことを示しています。
あなたはその十分の一にさえ名前をつけることができますか。
「主なる神は,野のあらゆる獣,空のあらゆる鳥を土で形づくり,人のところへ持って来て,人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと,それはすべて,生き物の名となった。
人はあらゆる家畜,空の鳥,野のあらゆる獣に名を付けたが,自分に合う助ける者は見つけることができなかった」。
(創世記 2:19,20)
最もりこうな獣と人間とのあいだにも大きな隔たりがあります。人間は獣をはるかに上まわる知的また精神的能力を備えています。
人間は前代の知識を集積し,その上に新たな知識を積み重ねてゆくことができます。人間以外の動物でこれを行なえるものは一つもありません。
動物は知的な面ではいつまでも先祖と同じ段階にとどまっています。
動物がかなりの知恵を示すこともありますが,それはその動物自身が働かす知恵ではなく,創造者によって植え込まれた遺伝的な本能です。
進化論は知的な面で人間と獣を分けるこの非常に大きな隔たりの理由を説明できません。
しかし聖書は説明できます。神はこう言われました。
『次いで神は言われた,「わたしたち(神と天のイエス)の像(かたち)に,わたしたちと似た様に人を造り,
彼らに海の魚と天の飛ぶ生き物と家畜と全地と地の上を動くあらゆる動く生き物を服従させよう」。
そうして神は人をご自分の像に創造してゆき,神の像にこれを創造された。男性と女性にこれを創造された」』。
(創世記 1:26,27)
『神は言われた。「我々(神と天のイエス)にかたどり,我々に似せて,人を造ろう。そして海の魚,空の鳥,家畜,地の獣,地を這うものすべてを支配させよう」。
神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された」』。
(創世記 1:26,27)
人間は動物にではなく,神にかたどり神のかたちにならって造られたのです!
人間が豊かな知覚力を持ち,物事を推論し,論議を比較し,論理を考え,善悪を判断できるのはこのためです。
進化と創造 ― 人間はどちらの結果ですか
進化論は世界中のたいていの国で教えられています。
生命や人間の起源が論じられるときには,必ずといってよいほど進化論の用語を用いて論じられます。
しかし進化論は科学上の事実と一致しません。
進化論について著名な進化論者自身が述べたことばを読んでください。
この問題を注意ぶかく調べてください。
それはあなたの命と将来とに直接結びついているからです。