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聖書の音信、日々のニュース関連を書いています。

あなたはどちらを信じますか ― 進化それとも創造?

2018年11月21日 | 日記

 

あなたはどちらを信じますか ― 進化それとも創造?

 

進化を信じているなら,あなたはそれを立証できますか。


創造を信じているなら,あなたの信仰は事実に立脚していますか。

進化と創造 ― あなたはどちらを信じますか

あなたは何百万年も昔にいたサルに似た獣の子孫ですか。

それとも,人間の最初の先祖は神によって創造されましたか。


今日の学校の教科書はたいてい,人間は獣から変わってきたと述べています。
そして今日の科学,歴史,哲学,そして宗教においてさえ,
わたしたちは進化が確証された事実のごとく扱われているのを見ています。


しかし,現代進化論の父とされるチャールズ・ダーウインが「種の起源」の中で認めたことに注意してください。
「ここまで来る以前に読者の心には幾多の難問がわいているだろう。
そのあるものはきわめて重大であり,それを考えるとき,わたしはいまだに多少の動揺を禁じ得ない」。
ダーウインがその理論上の難問のために「動揺」していたなら,当時の進化論はどこまで事実に立脚していましたか。

以来一世紀余にわたる調査と研究は何を示しましたか。
「サイエンス・イヤー」1966年版はこう伝えました。
「数々の功績をあげたとはいえ,考古学は人類史の復元というぼう大な仕事の手始めの域をまだ出ていない」。
また「大英百科事典」1946年版は,進化論について,「このような変化をもたらしたしくみについて我々はまだ無知である」と述べています。
そして進化論者W・ル・グロウ・クラークは,
「人間の根本的な起源は何か。……遺憾なことに,こうした疑問に対する現段階での答えはすべて……推測の域を出ない」と語りました。
さらに,「科学アメリカ」1966年11月号は,「現代人に至る進化の系統は……まだ純然たる仮説である」と述べました。
そしてアメリカ,ノースウエスタン大学の科学者M・マリニは,
1967年に,「ある哺乳動物が別の哺乳動物に進化しつつあるということを,生物学上の現実の証拠をもって示した者はいない」と語りました。

 

進化論上の諸説

証拠の不足を補って進化論を説明するためにさまざまな説が提出されてきました。
しかしそれらは科学上の事実によって次から次に否定されてきました。

下等生物は無生の物質から自然に発生すると考えられた時代がありました。
しかし顕微鏡の発明とパスツールの研究とによって,この自然発生説は否定され,退けられました。
「あなたの生物学」という本はこう述べています。
「我々がこれまで生物学的に研究した動植物のすべては,その子孫を自分のからだからのみ生み出し,それ以外の方法で生み出すことはない」。

ついで獲得形質遺伝の説が提唱されました。
これは,環境の影響で生物のからだに小さな変化が生じ,その特質がのちの世代に伝えられてさらに発展し,
やがて何百万年もするうちに新しい種族が出現するという説です。
しかし現代の遺伝学はこの説の誤りを証明しています。獲得した形質は遺伝しません

後にダーウインは,生存競争を通じて有益な変異が自然選択され,強い者が生き残ってより高等な生物に進化すると唱えました。
しかし単なる生存によって一つの生物が別の種類の生物に変わるわけではありません。
また目,耳,心臓などの器官をこの説によってどのように説明できますか。
こうした器官は十分に発達しなければ役だたないのです
また完全に整うまでは役だたない母親の乳房は幾千年にもわたってどのように発達を続けたのですか。
こうして自然選択説は不十分なものであることが示されました。


では今日,進化論は一般にどのように説明されていますか。
小さな突然変異が重なり,そうして起きる変化が進化となったと説明されています。
しかし事実はどうですか。この分野の研究でノーベル賞を受けたH・J・ミューラーは,
「突然変異のほとんどは不良な変異であり,優良な変異はきわめてまれであるから,突然変異はすべて不良であると見てさしつかえない」と語りました。
それで,今日の進化論の中心である突然変異は進化を少しも支持していません。
むしろ突然変異は生物の退化傾向を示しています。突然変異が大きければ大きいほど,その生物は奇形的になります。


パートⅡへ続く

 

 

 

 

                      


カナン人が滅ぼし絶やされたことは残酷な神?~聖書~

2018年11月21日 | 日記

 

カナン人が滅ぼし絶やされたこと」


人々の言うこと
カナン人を滅ぼしたことは,現代の集団虐殺にも匹敵する残酷な戦争犯罪だ」。

聖書の教え
「神のすべての道は公正である。神は忠実の神,不正なところは少しもない」。
(申命記 32:4)

神の公正な裁きの執行は,人間の戦争とは全く異なります。なぜなら,神は人間とは異なり,どんな人の心も読めるからです。

例えば,神が二つの都市ソドムとゴモラを裁いて,滅ぼすことに決定された時,
忠実な人アブラハムはその公正さに懸念を抱きました。
公正な神が「義人を邪悪な者と共にぬぐい去られる」とは思えなかったのです。
神はアブラハムに辛抱強く接し,ソドムに義人が10人でもいれば,その人たちの
ためにその都市を滅ぼさない,と確約なさいました。

主(神)は言われた。「ソドムとゴモラの罪は非常に重い,と訴える叫びが実に大きい。
わたしは降って行き,彼らの行跡が,果たして,わたしに届いた叫びのとおりかどうか見て確かめよう。
その人たちは,更にソドムの方へ向かったが,アブラハムはなお,主(神)の御前にいた。
アブラハムは進み出て言った。「まことにあなたは,正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。
あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし,その五十人の正しい者のために,町をお赦しにはならないのですか。
正しい者を悪い者と一緒に殺し,正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを,あなたがなさるはずはございません。全くありえないことです。全世界を裁くお方は,正義を行われるべきではありませんか。」
主(神)は言われた。「もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば,その者たちのために,町全部を赦そう」。
アブラハムは答えた。「塵あくたにすぎないわたしですが、あえて,わが主(神)に申し上げます。
もしかすると,五十人の正しい者に五人足りないかもしれません。それでもあなたは,五人足りないために,町のすべてを滅ぼされますか。」主(神)は言われた。「もし,四十五人いれば滅ぼさない」。
アブラハムは重ねて言った。「もしかすると,四十人しかいないかもしれません。」主(神)は言われた。「その四十人のためにわたしはそれをしない」。
 アブラハムは言った。「主(神)よ,どうかお怒りにならずに,もう少し言わせてください。もしかすると,そこには三十人しかいないかもしれません。」主(神)は言われた。「もし三十人いるならわたしはそれをしない」。
アブラハムは言った。「あえて、わが主(神)に申し上げます。もしかすると、二十人しかいないかもしれません」。主(神)は言われた。「その二十人のためにわたしは滅ぼさない」。
アブラハムは言った。「主(神)よ,どうかお怒りにならずに,もう一度だけ言わせてください。もしかすると,十人しかいないかもしれません」。主(神)は言われた。「その十人のためにわたしは滅ぼさない」。
主(神)はアブラハムと語り終えると,去って行かれた。アブラハムも自分の住まいに帰った」。
(創世記 18:20~33)


神がソドムとゴモラの人々の心をくまなく調べてその邪悪さのほどを見抜いて
おられたことは明らかです。

それで,我が子ソロモンよ,あなたはあなたの父の神を知り,全き心と喜ばしい魂とをもって神に仕えるように。
すべての心を神(ヤハウェ,エホバ)は探り,すべての考えの傾向をわきまえておられるからである。
もしあなたが神を求めるなら,ご自分をあなたに見いだされるようにされるが,もしあなたが神を捨てるなら,あなたを永久に捨て去られるであろう
(歴代上・第一 28:9)

同様に,神がカナン人を裁き,その滅びをお命じになったのは正当なことでした。
カナン人は残酷なことで悪名を馳せていました。
子どもを生きたまま火あぶりにして生贄とすることなどもしていたのです。
(列王下・第二 16:3)

*考古学者たちの行なった発掘により,カナン人が崇拝の一部として赤子を生贄にしていたことが明らかになっています。


カナン人は,神(ヤハウェ,エホバ)がイスラエルにカナンの全土を所有するよう命じておられたことを知っていました。
ですから,そこにとどまって戦うことを選んだ者たちは,イスラエル人だけでなく
神(ヤハウェ,エホバ)にも敵対する立場を故意に取っていました。
神(ヤハウェ,エホバ)がご自分の民と共にいることの強力な証拠を与えておられたからです。


しかも神(ヤハウェ,エホバ)は,カナン人でも悪を捨ててご自分の高い道徳規準を受け入れた人には憐れみを差し伸べられました。
例えば,カナン人の遊女ラハブは自分の家族と共に救われました。
また,カナンの都市ギベオンの住民とその子どもたちも,憐れみを求めたので,滅ぼされることなく生き延びました。
遊女ラハブとその一族,彼女に連なる者はすべて,ヨシュアが生かしておいたので,
 イスラエルの中に住んで今日に至っている。エリコを探る斥候としてヨシュアが派遣した使者を,彼女がかくまったからである
(ヨシュア記 6:25)
しかし,ギブオン(ギベオン)の住民たちは,ヨシュアがエリコとアイに対して行なったことを聞いて,」
「彼 らはヨシュアに答えた。「あなたの神,主がその僕モーセに,『この地方はすべてあなたたちに与える。土地の住民をすべて滅ぼせ』とお命じになったことが僕 どもにはっきり伝わって来たので,あなたたちのゆえに命を失うのを非常に恐れ,このことをいたしました。御覧ください。わたしたちは今はあなたの手の中に あります。あなたが良いと見なし,正しいと見なされることをなさってください。ヨシュアは彼らにそのようにし,イスラエルの人々の手から彼らを助け,殺す ことを許さなかった」。
(ヨシュア記 9:3,9:24~26)

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カナン人に対する裁きから非常に重要な教訓が得られます。
今日,予告されていた「不敬虔な人々の裁きと滅びの日」が目前に迫っています。
(ペトロ・ペテロ第二 3:7)

 


神を愛している人は,神がご自分の公正な支配を退ける者たちを地から取り除いて人間の苦難を終わらせてくださる時,益を受けることができます。

神(ヤハウェ,エホバ)は愛情深くも,親のする選択が子どもに影響を及ぼすことを思い起こさせてくださっています。
神の言葉 聖書はこう述べています。
・・・あなたは命を選び,あなたもあなたの子孫も命を得るようにし,あなたの神,主を愛し,御声を聞き,主につき従いなさい・・・」。
(申命記 30:19,20)

これは,残酷な神の言葉でしょうか。

それとも,人々を愛し,正しい選択をしてほしいと思っておられる神の言葉でしょうか。