週刊文春の被災地ご訪問憶測叩き記事もひどい内容でしたが、同日発売の週刊新潮8月29日号(22日発売)にさりげなく載っていた「悪魔の現代用語基礎知識」の「適応障害」項目も、よってたかって一人の人間の心をふみにじって恥じない、日本のマスコミの病根の深さがよく窺えるものでした。心ある人には、編集者の知性の低さや心の冷たさ、真実を追い求めてペンをふるうのではなく、権威にごますり大衆の悪意におもねる「太鼓持ち」のような情けない体質が、余すところなく伝わったことと思います。
▲週刊新潮2013年8月29日号(8/22発売)に掲載された『悪魔の現代用語基礎知識』の「適応障害」
「東宮御所においては」と場所を限定することで、公に対してもの申すのだ、と免罪符を手に入れたつもりなのでしょうが、以下におどる「『わがまま病』の別名」「基本症状は公より私の優先、子への偏愛、目上への不服従などで、発作的作用として昼夜逆転」「実親との頻繁な会食、海外訪問などが有効な治療法」といった文言にただよう無知と偏見、人の不幸は蜜の味と言わんばかりの品性の下劣さ、これが大出版社の社名を名乗る週刊誌なのかと思うと、あきれてものが言えません。出版業界が不況に陥るわけです。
●「愛」を「偏愛」と決めつける根拠は?
まずは、物事に対する一方的な決めつけを読者に植え付けようとする言い回しが卑怯といえます。「公より私の優先、子への偏愛、目上への不服従」を非難しているのですが、文脈(状況)から切り離した決めつけは、単なる煽りに過ぎません。「公」が常に正しいとは限りませんし、「目上」が常に正しいとも限りません。「愛」を「偏愛」と決めつける根拠はどこにあるのでしょうか。こうした問いを封じて、ただ一つのものの見方を押しつけている。これは悪質かつ下劣な煽りでなくて、いったい何だというのでしょうか。
●悪意と偏見に満ちた病名解説
とりわけ問題視すべきは、「適応障害」という歴とした心の病の説明として、こういう低劣な煽り文をつらねていることです。心の病は、ウイルスや寄生虫が体内に入ったとか、悪性新生物にできたとか、体の○○が傷つき損なわれたとか、目に見えてわかりやすい病因がないため、さまざまな身体症状が出ても、「気のせい」「わがまま」と言われてしまいがちです。風邪を引いて熱が出ている人が横になっているのは「大変だね」と言われるのに、うつ病になった人が朝起きられないのは「だらだらしている」「なまけている」とされてしまう。
日本では心の病について、それを病気と受け止めて理解する、社会的な知がまだまだ育っていません。それだけ、まだ心の病につい、わからないことがたくさんあるのでしょう。しかしだからといって、週刊新潮のようなマスコミが、「悪魔の」「東宮御所では」を免罪符に、悪意と偏見に満ちた病名解説を勝手に繰り広げて良いわけがありません。
●雅子様を傷つけるだけでなく、心の病に苦しむ人すべてを傷つける
この記事を読んだ人の多くは、週刊新潮の低劣さに気づくことでしょうが、一方で「適応障害はわがまま病」というフレーズも印象に残ることになる。きちんと「適応障害」について知ることもなく、何となくわがまま病という文字だけ頭に残っているうちに、とんでもない偏見をもってしまいかねません。実際に、うつ病に苦しむ人に対して「皇太子妃と同じ」「わがまま病」という言葉を投げつけられた体験をおもちの方もいらっしゃるようです。
週刊新潮の記事は、皇太子妃という「適応障害」に苦しむ一人の人間を傷つけるだけでなく、ひいては心の病についての偏見を植え付けて助長し、心の病にかかった人や、大切な人が心の病にかかった人すべてを傷つけているのです。
このトピでは、週刊新潮の該当記事からうかがえる、マスコミの皇太子妃の「適応障害」に対する無知や悪意について考えるとともに、ひろく日本社会における、心の病に対する無知や偏見をについて考え、心の病について考えるものにしたいと思います。
(執筆:Dianthus)
▲週刊新潮2013年8月29日号(8/22発売)に掲載された『悪魔の現代用語基礎知識』の「適応障害」
「東宮御所においては」と場所を限定することで、公に対してもの申すのだ、と免罪符を手に入れたつもりなのでしょうが、以下におどる「『わがまま病』の別名」「基本症状は公より私の優先、子への偏愛、目上への不服従などで、発作的作用として昼夜逆転」「実親との頻繁な会食、海外訪問などが有効な治療法」といった文言にただよう無知と偏見、人の不幸は蜜の味と言わんばかりの品性の下劣さ、これが大出版社の社名を名乗る週刊誌なのかと思うと、あきれてものが言えません。出版業界が不況に陥るわけです。
●「愛」を「偏愛」と決めつける根拠は?
まずは、物事に対する一方的な決めつけを読者に植え付けようとする言い回しが卑怯といえます。「公より私の優先、子への偏愛、目上への不服従」を非難しているのですが、文脈(状況)から切り離した決めつけは、単なる煽りに過ぎません。「公」が常に正しいとは限りませんし、「目上」が常に正しいとも限りません。「愛」を「偏愛」と決めつける根拠はどこにあるのでしょうか。こうした問いを封じて、ただ一つのものの見方を押しつけている。これは悪質かつ下劣な煽りでなくて、いったい何だというのでしょうか。
●悪意と偏見に満ちた病名解説
とりわけ問題視すべきは、「適応障害」という歴とした心の病の説明として、こういう低劣な煽り文をつらねていることです。心の病は、ウイルスや寄生虫が体内に入ったとか、悪性新生物にできたとか、体の○○が傷つき損なわれたとか、目に見えてわかりやすい病因がないため、さまざまな身体症状が出ても、「気のせい」「わがまま」と言われてしまいがちです。風邪を引いて熱が出ている人が横になっているのは「大変だね」と言われるのに、うつ病になった人が朝起きられないのは「だらだらしている」「なまけている」とされてしまう。
日本では心の病について、それを病気と受け止めて理解する、社会的な知がまだまだ育っていません。それだけ、まだ心の病につい、わからないことがたくさんあるのでしょう。しかしだからといって、週刊新潮のようなマスコミが、「悪魔の」「東宮御所では」を免罪符に、悪意と偏見に満ちた病名解説を勝手に繰り広げて良いわけがありません。
●雅子様を傷つけるだけでなく、心の病に苦しむ人すべてを傷つける
この記事を読んだ人の多くは、週刊新潮の低劣さに気づくことでしょうが、一方で「適応障害はわがまま病」というフレーズも印象に残ることになる。きちんと「適応障害」について知ることもなく、何となくわがまま病という文字だけ頭に残っているうちに、とんでもない偏見をもってしまいかねません。実際に、うつ病に苦しむ人に対して「皇太子妃と同じ」「わがまま病」という言葉を投げつけられた体験をおもちの方もいらっしゃるようです。
週刊新潮の記事は、皇太子妃という「適応障害」に苦しむ一人の人間を傷つけるだけでなく、ひいては心の病についての偏見を植え付けて助長し、心の病にかかった人や、大切な人が心の病にかかった人すべてを傷つけているのです。
このトピでは、週刊新潮の該当記事からうかがえる、マスコミの皇太子妃の「適応障害」に対する無知や悪意について考えるとともに、ひろく日本社会における、心の病に対する無知や偏見をについて考え、心の病について考えるものにしたいと思います。
(執筆:Dianthus)
皇室は、病気に苦しむ人たちに救いの手を差し伸べる役割を期待されているはず。とくに、天皇皇后両陛下は、かつて偏見の目で見られていたハンセン病について、世間の誤解を解くように努められ、患者さんたちを長期にわたって励ましてこられた実績があり、宮内庁はそのことを国内外に誇りを持ってにアピールしています。
そうした配慮が、なぜ、心の病については、なされないのでしょうか。宮内庁は、ご病気の雅子様をマスコミに叩かせ続けることで、世間の偏見を助長しているとしか思えません。
この新潮の記事について、宮内庁は正式に抗議し、訂正と謝罪をさせるべきです。それをしなければ、日本の皇室は、天皇皇后両陛下は、心の病について無理解で、無慈悲で、病に苦しむ皇太子妃を、叩かせ放題にして病気への偏見を助長していると、国内外にアピールするに等しいです。
ご自分への些細な誤解はすぐさま抗議し訂正を求められる皇后様が、なぜこのような残酷極まる記事、心の病への偏見を助長する記事を放置なさるのか、とても理解できません。
こんな毒針のような記事を載せていたなんて。
適応障害はれっきとした病気です。
一時的な症状などではなく、わがまま病でもなく、ストレスがのぞかれなければ長引くことも十分あるのです。
この病で苦しんでいる患者さんは雅子様をはじめ、
一般の方もたくさんおられる。
悪質なサイトの記事ならいざ知らず、
一応きちんとした体裁を持つ週刊誌の書くことではありません。
そして数ある雅子さまバッシングの中で一番私が腹わたが煮えくり返るのは、
(まあ、どれも煮えくり返るんですけどね。)
ここでも「偏愛」という表現がなされてますが、
愛子様へのお付き添いのことを多分揶揄してるのでしょうが、
雅子様の母としての愛を馬鹿にしたこと。
親が子供を守るのは当たり前じゃないですか?
子供が不登校になるほどのいじめって、決して甘く見ていいモンじゃないですよ?
下手すれば自殺の可能性だってあるんですよ?
愛子様のお母様である雅子さま以外、誰が愛子様を守れたんでしょう。
山中湖へのお付き添い、アンチどもがいっせいに非難し、あざけりました。
「異常な母」と。
でも雅子様はどんなに罵られても、お付き添い、がんばりぬきました。
不登校のお子さんへの親の付き添いというのは一般でもあるようです。
出口の見えない状態に親御さんは大変つらい思いをするようです。
ただでさえ大変なのに、雅子様はご自身もつらい病を抱えながら、
バッシングの中、耐え抜いたのでのです。
「これだけは譲れない。」そう思われたのではないでしょうか。
そして、お付き添いは功を奏し、愛子様は今元気に学校に通ってらっしゃいます。
誰もそのことを褒めないけど、私にはそんな雅子さまが輝いて見えます。
「公務はやらず、子育てばかり熱心。」
はっきりいって、あの時は子育てすら辛い状況だったんじゃないでしょうか。
雅子さまはやるべきことを成し遂げたと思います。
一見すれば、雅子さまに特定できるわけで、宮内庁がこのことに抗議しないこと自体、異常なことだと思います。
それは宮内庁のバックにいるご夫婦のせいでしょう。美智子皇后は実に些細なことでも、自分の気に入らない記事がでるといちいち抗議し、訂正させています。
それなのに、皇太子妃が侮辱されていることには知らん振り。あまりにひどい扱いではありませんか。
こういう環境のなかで20年、雅子さまは本当によく頑張ってくださいました。
頭が下がります。雅子さまが皇太子妃に決定したとの報道を見たとき、まあなんと素晴らしい女性がおられたものと感嘆したものですが、才色兼備、語学堪能、スタイル抜群などは、雅子さまの美点のうちではほんの表面的なものにすぎません。
本当の美点は、雅子さまの内面にある信念のつよさ、優しさではないでしょうか。
そういうものをきちんと評価できない人たちが権力を持ち、ペンを握っている、この国の現状が情けないです。
http://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_adjustment.html
これほどひどい記事に対し医学界が沈黙していることも不思議です。
治療中の患者や治療に当たる医者の妨げになり、病気に関する知識のあまりない人に誤解させるものです。
一方で香山リカのように診察をせずに病名をつける医者が頻繁にメディアに登場し「新型うつ」であると決めつけていることを放置していることも疑問に思います。
「新型うつ」はメディアが行っていることで医学界では認めていないという記事をずいぶん前に見た記憶があります。
お立場上、反論されない為に医学学会等はメディアからの火の粉を浴びないよう沈黙しているように思えます。
偏愛とは「偏った愛」ですよね。
「強い愛」ではないですよね。
母が子を愛する、当たり前です。
愛子様を虐めていた子、手すりにしがみつく女の子の指を引き剥がして突き落とすような子です。
そんな乱暴児に虐められていたのに、絶対的地位のある方から「退学させないよう」と指示が来た。
雅子様、絶望されたでしょう。我が身を以て娘を守るしかなかったのです。それがどうして偏愛?
偏った愛なら、あの方こそそうではないですか。
あの方が赤ちゃんの愛子様を抱っこして可愛くて仕方ない、という顔をなさったのを見たことがありません。
いつも遠巻きに白けた顔で眺めるだけ。
「ちっ、女か、どうして産み分けしなかったんだ」という露骨な嫌悪感をあらわにして。
あげくマスコミにまで悪口を。
そんな不憫な子を、母親が守らなくて誰が守るのですか。
一方であちらのお子さん
男児だというだけで、涙を浮かべて「キコ妃のためにありがとう、ウルウル」
毎日半蔵門を通らせて参内させ、溺愛した。
本来傍系は使えない御用邸にも呼び寄せて。
21世紀にもなって、性別でこれだけ孫を差別しますよ、という姿を国民に示している。
これこそ偏った愛ではないですか。
今はあの老夫婦がテレビに映るたびに、速攻チャンネルを替えます。
そんな目上に服従するとは、倫理違反をして性選別をしたり、女児は親でもいい加減に扱えということですか。不服従けっこうです。
それからこれは全国の心を病む病人への侮辱です。
やい、新潮、二度とお前んちの本は買わない。
真面目な作家の方、他の出版社から出してください。
知的な文章の多いここで、下品なレス失礼します。
私のガス抜きのためです。
アップしなくて結構です。
雅子様の愛子様への愛は偏愛ではなく、いたって健全な母親の愛情ですよね。賢明で強靭な、母の愛。いじめ問題への対処にしても、絵本や書道、語学、乗馬、水泳などの学びやお稽古事についても、日本中の母親がお手本にしたいほどのものです。難しいご病気の身でそれを成し遂げておられるところに、雅子様の「母は強し」をひしひしと感じます。
また、偏った愛なら、あの方こそ、という言葉にはハッとさせられました。「21世紀にもなって、性別でこれだけ孫を差別しますよ、という姿を国民に示している」というご指摘は、今の皇室がかかえる根本問題を明示されていると思います。だから、今の皇室は明るくなく、諸外国に誇れない、なんだか恥ずかしいものになっているのですよね。心の病気について理解がなく無慈悲であることとあわせて、頑迷な後進国というイメージを発散しているように思います。残念です。
>私のガス抜きのためです。アップしなくて結構です。
こうした率直な意見はマスコミは取り上げないし新聞にも投稿できないし井戸端会議にも適さないし、もっていきどころがないですよね。しかし、国民の間に深く静かに広がっていると思います。ネットはそれを表現し、同じ思いの人たちが連携していくツールになるのではないでしょうか。
■speranza様へ(Re:医学界の沈黙)
厚生労働省サイトの「適応障害」解説ページのご紹介、有難うございます。
http://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_adjustment.html
なぜ医学界がこうした誤解をまき散らす記事や本を放置するのか、私も以前から疑問に思っていました。雅子様バッシングに関わる全てが疑問でした。一人の心を病んだ女性をマスコミ総出で袋叩きしているのを、なぜ誰も止める人がいないのか。医学会も、女性問題や人権問題に取り組む人たちも、なぜ何もしてくれないのかと。かかる火の粉を恐れてのことだとしたら、その火の粉の大元はなんなのでしょうね。マスコミを動かしている大元は。
宮内庁も医学会もこの新潮記事に抗議しないとすると、やはり海外に向かって発信するしかないのでしょうかね。この国では、こんな恐ろしい偏見が放置されています、人権侵害が行われていますと。外圧でしか動かない国なのかもしれません。民主主義も女性の選挙権も外から恵んでいただいたようなものですし。
■九重様へ(Re:なぜ宮内庁は抗議しないのか)
宮内庁は両陛下の意思で動いているとしたら、抗議しないのも両陛下の意思ということになりますね。悲しく無念なとです。
雅子さまの美点は、あの超絶すばらしいスペックよりも、内面にあるというご指摘、深くうなずいたところです。これほどまで凄い方であることがわかったことは、バッシングの唯一の功績(などとは言いたくないですが)かもしれません。
■シロキジ様へ(Re:あまりにひどい)
愛子様へのお付き添いを異常とか偏愛とか叩くマスコミこそ異常なのですよね。逆にたいへんな偉業であることは明らかで、マスコミが正常なら、イジメに苦しむお子さんや親御さんへの励ましとなる、すばらしいモデルケースとして、取り上げられていたはずです。雅子様がなさったことを掘り下げれば、イジメをなくしていくための大きな広がりも作れたのではないかと思います。
現実は真逆で落ち込みますが、シロキジ様はじめ、それに気づいている方も少なくないことが救いです。そういう方たちから、もしかして、たくさん声が届いているのではないでしょうか。何よりも皇太子殿下がすべてわかってくださっていて、心から讃えていらっしゃいますよね。そして、愛子さまもお元気に回復された。大きな愛には、もっと大きな愛がかえってきていて、それが雅子様の笑顔を支えているんだと思います。雅子様の笑顔、ほんとうに素敵ですもの。
この一心で、いろいろなネット上の説明をもとに考えました。
もっと詳しい方、いらっしゃいましたら、どうぞどんどんご訂正下さい。
これは、ずぶの素人の愚考です。逆に言えば、週刊新潮の記者が、かのような悪意に満ちた愚かな幇間体質でなく、まともな知性と思考力をもった人間であれば、これぐらいのことは理解できたろうと言うことです。
ことばを扱い、真実を見極めようとするのが、ジャーナリズムの本質、出版社の使命だったでしょうに。
本当に、恥ずかしく情けない出版社だなと思います。
それはさておき。
心の病気は、以下のように分類されているようです。
http://www.medcare-tora.com/care/case.html
気分障害(mood disorder)
<ある程度の期間にわたって持続する気分(感情)の変調により、苦痛を感じたり、日常生活に何らかの支障をきたしたりする状態のことをいう>wikiより
・うつ病(major depressive disorder)
・双極性障害(bipolar disorder)
ほかに、物質誘発性気分障害、アルコール誘発性気分障害など。
不安障害(Anxiety disorder)
<不安とは、明確な対象を持たない恐怖の事を指し、その恐怖に対して自己が対処できない時に発生する感情の一種である。不安が強く、行動や心理的障害をもたらす症状を総称して不安障害と呼ぶ>wikiより
・全般性不安障害(Generalized Anxiety Disorder、GAD)
・パニック障害(panic disorder、PD)
・恐怖症(phobia)
・強迫性障害( Obsessive-Compulsive Disorder, OCD)
・社交不安障害(Social Anxiety Disorder、SAD)
・心的外傷後ストレス障害(Posttraumatic stress disorder:PTSD)
★適応障害(Adjustment disorder)
発達障害(Developmental Disorder)
・自閉症スペクトラム障害
・ADHD(注意欠如・多動性障害)
「適応障害(Adjustment disorder)」は、「不安障害(Anxiety disorder)」の一つとして、分類されます。何かに対する強い不安感によって引き起こされる障害、ということのようですね。
さて、近年英語から遠ざかった者として、文法的にどうなっているのかよくわからないまま書くので恥ずかしいのですが
上記の病名群「○○ disorder」について、「〔○○〕が名詞+disorder」の病名については、〔○○〕部分が、disorder(障害、不調、混乱)の原因となっている(そういう病名のつきかた)ようです。
Mood disorder は、ある持続する気分(精神状態)によって引き起こされる不調、精神的混乱、ということのようですし。
Anxiety disorder も、持続する不安によて引き起こされる不調、障害ということらしいですし。
「Social Anxiety Disorder」は、「社会への不安(対人恐怖とか)」によって起きる不調、障害ということになりますし。
で、適応障害ですと、「Adjustment disorder」ですから、「Adjustment」、つまり持続する調節・調整状態によって引き起こされる障害、という意味になるのだと思います。
「調節(調整)できない、しない」から起きる障害(不調)というのではなく、むしろ「調節(調整)し続けようとする」ために起きる、心身の不調、という意味だということです。
皇太子殿下の、「雅子にはこの10年、自分を一生懸命、皇室の環境に適応させようと思いつつ努力してきましたが、私が見るところ、そのことで疲れ切ってしまっているように見えます。」というご発言は、「適応障害」という病気についての、示唆に富むご発言だったように思われます。
ネットをいろいろ見ているうちに、精神科医の方の、とても親身な雅子様のご病気についてのご考察の載っているブログを見つけました。
ttp://blog.livedoor.jp/magokoroclinic/
ここの、「適応障害」という項目です。
(2013年3月20日、21日、31日)
とてもやさしく、心にしみ入ってくるような内容で、こんな風に、一人の患者としての雅子さまを真っ直ぐにみておられるお医者様がいらっしゃるんだって、うれしくなりました。
週刊新潮も、こういう悪辣な自らを示すような駄文をものする時間があったら、もう少しまじめに調べたり理解しようとすればよいのに。
身内がこんなにひどいバッシングに合っているのに、沈黙を守り続ける千代田の方々も、こういうブログを読んで、もっと人の心を理解してもらいたいものです。
身内への共感力の低い方々、もちろん周囲、社会に対する共感力も低いに違いない。
弱者に寄り添う心など、どの程度持ち合わせておられるのか、はなはだ疑問です。
「ストレス因子により、日常生活や社会生活、職業・学業的機能において著しい障害がおき、一般的な社会生活ができなくなるストレス障害である。‥‥急性ストレス障害やPTSDに見られるような、生死に関わる様な強大なストレスに限らず、家族関係や仕事のトラブル、パワーハラスメントなどもストレス因子の一つになりうる。ストレス量が本人の処理能力を圧倒したことによる心理的な機能不全なので、本人の治療と並行して、原因となる状況の改善が必要である。」
厚労省の説明では
「適応障害とは、ICD-10(世界保健機構の診断ガイドライン)によると「ストレス因により引き起こされる情緒面や行動面の症状で、社会的機能が著しく障害されている状態」と定義されています。
ストレスとは「重大な生活上の変化やストレスに満ちた生活上の出来事」です。ストレス因は、個人レベルから災害など地域社会を巻き込むようなレベルまで様々です。
http://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_adjustment.html
などのような説明があります。
「適応障害」の説明で、わりによく目に付くのが、「環境に適応できなくて起きる障害」という言い回しなのですが、前回考えたように、適応障害(Adjustment disorder)という病名は、直訳すると「適応・調節・調整状態の持続によって起きる不調、障害」というもののようですから、
これと「ストレス因子により、引き起こされる」の因果関係については、つまるところ、
「ストレス量が本人の処理能力を圧倒したことによる心理的な機能不全」(wiki)
「ストレス学説によれば、心理社会的ストレス(環境要因)と個人的素質(個人要因)とのバランスの中で、いろいろなストレス反応(心理反応、行動反応、身体反応)が生じますが、これらは外界からの刺激に適応するための必要な反応です。ところが、ストレスが過剰で長く続く時、個人がストレスに対して過敏である時に、このバランスがくずれてさまざまな障害をきたすようになります。」(ストレス講座~その14~ 適応障害)
ttp://www.fuanclinic.com/byouki/vol_35c.htm
と、理解するのが適切なのかなと思います。
例えば、極めてよくある身体的ストレスである、「少し小走りに歩く」などの身体運動状態。
この状態に適応(調整)するために、体温上昇、発汗、呼吸数の増加、脈拍数の上昇etcの身体反応が起きる。
「個人差」と「ストレス因子」の問題で言えば、同じ運動であっても、体温上昇、発汗、etcの反応には個人差があるし
同じ個人でも、この運動状態が過酷であればあるほど、大きな身体反応が起きることになる。
そして、ストレス因子が大変に大きくて、またあまりに長く続くと、「適応調節調整」では対応しきれなくなって、何らかの不調、障害状態になる。
ここで少しくせ者なのが、「個人差」という部分もあることと、身体運動等とは違って、心理的ストレス因子は数量化しにくく、見えにくくなってしまうことだと思います。
現在の皇室の心理的ストレス因子、と言った場合、男系男子で女子には皇位継承権が認められないこと
そのなかで、簡単に子どもができる状態ではなく、いくつかの不妊治療によって子どもが授かる状況であること、
つまり、過酷な不妊治療のすえにせっかく子宝に恵まれても、それが女の子だというだけで、我が子もろとも否定されてしまうこと
こういう環境が、もう、とてつもないストレス因子で、人の心を折るのに十分な過酷さだということは、私などは容易に想像できるのですが
「ストレス因子レベル○○」みたいに、わかりやすく数量化できないばかりに、
必ず「大したことない」「どうして病気になるのかわかりません、我々はうまくやった」
レベルの受け止め方しかしない人が必ず居る。
また、身体反応みたいに、通常よりも脈拍数呼吸数発汗がこれだけ増えていたのだ、と数量化できないのも、不運だと思います。
身体反応みたいに、適応調節のためにどれだけ無理しているのかを、数量できちんと示せれば、「こんなに長くストレス因子下に放置しておけば、いずれ障害が起きる、早くストレス因子を軽減させよう」となるはずです。
また、症状も、持続的な発汗によって体内の水分が不足して体温調節機能が阻害され、、、みたいに、数量化できる症状なら理解されやすいのに
「何だか涙が出てとまらない」「夜眠れない」「朝起きても何もする気がおきなくて布団から出られない」「急に不安になって、どうしようもなくなる」
みたいな、数量化しにくい症状なので、これまた「気のせい」と言われてしまう。
理解されにくい病気なんだとつくづく思います。
それなのに、ある思惑をもって、「意図的にねじまげた」無理解を垂れ流す。
正しく理解されにくいのを逆手にとり、間違った理解を垂れ流して、自分たちの思惑に利するようにする。
ひどい報道だと思います。
どうも「どうせ適応障害なんて言ってもうそでしょ、仮病でしょ」
みたいな論調にマスコミは持って行きたがり、に感じます。
雅子様は「適応障害」ではない、そう主張するときの論拠としてよく持ち出されるのが
「ストレス因子から離れると、おおむね半年程度で治癒するというのに、10年近くかかっている。だから、適応障害なんかじゃない」
という理屈です。ですが、例えば厚労省の説明でも
ストレスとなる状況や出来事がはっきりしているので、その原因から離れると、症状は次第に改善します。でもストレス因から離れられない、取り除けない状況では、症状が慢性化することもあります。
ストレス因が取り除ける、あるいは回避できるものであればいいのですが、家族のように動かせないもの、離れるのが難しいものもあります。こうなるとストレス因の除去だけではうまくいきませんので、次のステップも必要となります。
http://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_adjustment.html
と、説明されています。
雅子様の病状が長引いているのは、「家族など、動かせないストレス因子」があって、ストレス因子から離れる、という治療がうまくいっていないからではないでしょうか。
前回の比喩でいえば、「ジョギングなどの身体運動」をやめれば、体を運動状態に適応させるためのさまざまな調節調整反応がおさまり、調節調整状態を持続し続けたための不具合(障害)もなくなる、ということ。
でも、ストレス因子を取り除くことができない。
なので次のステップとしての、「自身の環境調整能力の向上」、身体反応でいえば、たとえばマラソン選手並の心肺機能を作り上げるべく、努力されている、というのが雅子様の状態なんだと思います。
心理的ストレス因子は、数量化できない。
だから、雅子様に現在求められている「自身の環境調整能力の向上」がどれほどのものなのか、人々には知られていない。これも不幸なことだと思います。
私から見るに、金メダリスト並の身体(精神)調節能力が求められているんじゃないかな。でも、そうとはっきり数量化して示されてはいないのです。
しかも、ストレス因子から離れられない状態が持続している。
私はスポーツ科学とかもわかりませんが、初心者ランナーに、「休むことも必要」とよく説かれていることから察するに、身体(精神)能力向上といったって、ずっと絶え間なくストレスをかけていては、ダメになってしまうわけで
少しきつい負荷をかけて、しばらく休んで、そして負荷をかけて、であるべきなんだと思います。
なのに、今の雅子様の場合、どうも持続的にストレス因子かかりっぱなし状態としか思えません。
マスコミのバッシングもありますし。
雅子様は、お医者様のすすめもあって、そういう類のものから遠ざかった生活をなさっているとは思いますが、
何かの拍子にお耳に入ってしまう可能性は十分あると思います。
そしてそもそもの「ストレス因子」
これを直視すると、「皇室という環境は、大変なストレス因子」ということになります。
私などには、どうも皇室(宮内庁、両陛下など)の、雅子様の適応障害に対しての冷ややかな態度や、このようなマスコミの悪辣悪質な報道を放置する姿勢の根底には
「皇室が大変なストレス因子だというのか!!!」
という逆ギレめいた反応があるように思えてなりません。
こういう話になると、すぐに「じゃあ、皇室をなくせというのか」「皇室にあわない人間は離婚して出て行け」みたいな極端な反応を示す人も多いのですが
それは結局、冷静な状況判断や事実認識から逃げているだけの、感情的な判断に過ぎないと思います。
雅子様は皇室に入り、10年過ぎて発病されました。
長い苦しい不妊治療のすえ、愛しい第一子が誕生されて、2年ほど経ってのことでした。
皇室に慣れる苦労、あるいは不妊治療の苦労のさなかではなく、愛しい第一子をこの手に抱くことができたあとに、なぜ「適応障害」を発症されたのでしょうか。
「皇居の落書き」のどこだったかで、ブログ主の西田氏が、「ご自身ばかりでなく、生まれてきた愛しい我が子の人格が否定され、そのために雅子妃は病に倒れられたのではないだろうか」と推察されていました。
(原文のままではなく、私の理解での文章です)
生まれてきてありがとう、そう心から思った我が子を、周囲が「女の子では意味がない、必要ない」「早く次を、男の子を」と軽んじ、否定したのだとしたら。
折しも、あのころは生殖面での医療技術が飛躍的に進化し、単なる体外受精だけでなく、受精卵の段階で性別を選択し、男の子だけを体内に戻すという方法で、性別を選択して出産することが可能になっていた。
もちろん、これを医療行為として行う場合は、伴性遺伝する致命的な遺伝病が予想される場合に、発症しない女児を選択して出産する、という場合に限られるそうですが。
この、倫理的にはいろいろな考えのある行為を、「男の子を産むために」と強要されていたのだとしたら。
後者の方はさすがに妄想という気もしますが、少なくとも前者、西田氏の推察されたようなことは、現在の「男系男子絶対主義」のもとでは、十分あり得たように思います。
別にはっきりとことばで言わなくとも、たとえば正月の写真で両陛下が敬宮様を抱かない、お誕生日のご挨拶に行ったのに、一足違いとのことでご公務に行ってしまわれたとか、そういう類の小さなことでも、ずっとストレス状態にあった身には、十分すぎるストレス因子になると思います。
皇室という制度を続けるのなら、皇配は外の環境から迎えることになります。
近親婚の弊害を思えば、外から血を入れるのは必須ですから。
外から入ったものにとって、皇室という環境がある程度のストレス因子となるのは仕方がない。
けれども、必要以上に大きくすることはない。
端的に言って、男系男子という幻想はそんなに必要なのか。
結局はこの疑問に行き着かずにはいられないのです。
私が 紀子妃に不信感を抱いたのは、何かの会見での発言でした。
「適応障害」を発病された、とされる雅子妃に対してコメントを求められた時に、紀子妃は、「なぜ病気になられたか、わかりません。私たちは、うまくやっています」というような趣旨の発言をされた、と記憶しています。
ネットをいろいろ見てみましたが、紀子妃を中傷するような書き込みはたくさんありますが、正確な記事がみつかりません。
紀子妃は、長く手話を学んでおられると聞きますから、弱者に寄り添う方だと思っていました。それが、心を病んでいると言われる兄嫁に対して、いたわる言葉もなく、かばうこともしない発言に、当時、私は驚き、紀子妃に対して、不信感を持ちました。
そういう人が身近にいたら、心を病むのも無理はないだろう、と、雅子妃に同情するようになりました。
これが、私の誤解だったらいいのに、と思っています。
その時の会見の全文を読める資料は、ないでしょうか。
断っておきますが、紀子妃を貶めるつもりではありません。私の記憶間違いであってほしいとさえ思っています。客観的に、会見の資料を読み直してみたいのです。