「皇室問題INDEX」設立準備室

マスメディアによる皇室の偏向報道、ネットに流れる東宮家への誹謗中傷を検証しています。

■検証:2006年に女帝法案を潰した「紀子妃懐妊リーク」と「着床前性別選択」について

2016-11-07 06:52:40 | 皇室問題
湯浅宮内庁長官は2003年12月、秋篠宮家に「三人目を強く希望したい」と発言。紀子妃はこれを受けて、男子懐妊のための産科治療を開始します。2005年12月には国民を驚愕させた「こふのとりの歌」を詠み、翌2006年2月にはNHKが「妊娠6週」を速報しました。愛子さまの皇位継承を可能にする皇室典範改正案(通称:女帝法案)は、この懐妊スクープにより頓挫したのです。

このトピックでは、女帝法案を潰した懐妊が男子受精卵の着床前選択によるもの(生命倫理に反するとして日本では許されていない産み分け法)であり、同時に「皇室による政治介入」であったことを、状況証拠を集めて明らかにすることを目指します。

なぜ状況証拠かといえば、医師の守秘義務により「証明」は絶対に不可能だからです。証明不可能であることを盾に、また皇室という聖域であることを盾に、これほど大きな意味を持つ不正を看過していいのでしょうか。もしそれが事実であれば、生命倫理違反で誕生した男子が日本国の象徴となることを、国民は容認できるのでしょうか? 男系男子派は、その方法を用いて男系が継承されていくことを望むのでしょうか?

男子偏重が引き起こした「着床前性別選択」と、公営放送であるNHKが介在して行われた「皇室による政治介入」。この2つは、これからの時代の皇位継承を考えていくうえで避けては通れない問題であるはずです。しかし、マスメディアはこの重要問題についてとりあげたことはかつて一度もなく、学者も言論人も正面から論じた人は一人もいません。このままでは、皇位継承をめぐる議論は、現実から目をそらした、実の無いものとなってしまうでしょう。

このトピックは、一般庶民が入手できる範囲の情報を持ち寄って、可能な限り、傍証を固めていこうとするものです。ネットの片隅から、いま進められている皇位継承に関する論議に、異議申し立てをしようとするものです。もしここを読んでいるあなたが少しでも関連情報をお持ちであれば、どうぞコメント欄に書いて教えてください。事実関係を明らかにしていくために、お力添えを、お願いします。

まず、2003年の湯浅発言からの流れを見ていきましょう。

【1】湯浅長官「第三子発言」から、懐妊スクープによる国会頓挫(女帝法案潰し)へ

■2003年12月:湯浅利夫宮内庁長官「秋篠宮家に第三子希望」発言

湯浅長官は2003年12月、「秋篠宮さまのお考えはあると思うが、皇室の繁栄を考えると、三人目を強く希望したい」と述べた。この発言の意味は重い。「三人目」が女子であってはならず男子を指していることは疑いない。また、宮内庁長官といえども一役人が独断で言えることではなく、両陛下の意思を代弁した言葉であることも疑いない。つまり、両陛下が男子出産を弟宮夫妻に希望し、それを公にした、ということである。両陛下が「男の孫が欲しい」と秋篠宮に直接、内々で言えば済むはずのことが、長官に会見で言わせ「公けにした」のはなぜか? 雅子さまはこの長官発言に強い衝撃を受け、以後、長期療養に入られた。いっぽう紀子妃はこの長官発言を受け、愛育病院で(男子懐妊のための)産科治療を開始したのである。

■2004年5月:皇太子さま「人格否定発言」

皇太子さまは2004年5月、欧州歴訪前の記者会見で、「それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と発言。雅子さまの海外訪問が制限されていたこと(籠の鳥状態にあった)などがクローズアップされ、国民の同情が集まった。世論の批判はもっぱら宮内庁役人に向かったため、東宮ご夫妻は以後、宮内庁を敵に回すことになったとも指摘された。

■2004年11月:秋篠宮による「皇太子批判」

秋篠宮は11月29日の誕生日会見で、「記者会見という場で発言する前に、せめて陛下と内容について話をして、そのうえでの話であるべきではなかったか」と兄宮を批判。皇太子さまの「時代に即した公務の見直し」発言についても、「私個人としては自分のための公務はつくらない。公務は、かなり受け身的なものと考えています」と、あたかも皇太子さまが「自分のための公務」を希望されたかのような曲解に基づく批判を行い、多くの国民を凍り付かせた。「公務の見直し」は宮内庁の利権を削ぐものでもあるため、宮内庁は皇太子さまを敵視し、代わりに弟宮を持ち上げるようになったとの指摘もなされている。

■2005年12月:「こふのとり」の和歌を秋篠宮夫妻が提出

2006年1月12日の歌会始め用として、秋篠宮夫妻は前年の12月初旬に「こふのとり」の和歌を提出した。

 人々が笑みを湛へて見送りし こふのとり今空に羽ばたく(秋篠宮さま)

 飛びたちて大空にまふこふのとり 仰ぎてをれば笑み栄えくる(紀子妃)


公務でコウノトリ放鳥を体験した思い出を歌ったものとされるが、雅子さまのご懐妊について尋ねられた時、皇太子さまが「あまり騒がしいようですと、コウノトリのご機嫌を損ねてしまいます」と答えられたことから、国民にはコウノトリは皇太子ご夫妻のご懐妊と関連付けて記憶されている。その言葉を躊躇いもなく横取りし、第三子(男子)懐妊を手放しで喜んでいるかのように解釈できる歌である。この歌が詠まれた2005年12月にはすでに、男子懐妊治療が順調に進んでいた可能性が高いと推測される。

■2006年1月下旬:妊娠検査薬で陽性反応を確認

年が明けて1月下旬、紀子妃は妊娠検査薬で陽性反応を確認したという。超音波で胎児を確認できるのは妊娠6週目以降のため、約2週間後に宮邸で検査を受けることが決まった。両陛下はその検査結果を御所で聞きたいと希望され、葉山御用邸に行く予定を取りやめられた(週刊文春2006年2月23日号)。

■2006年2月7日:超音波検査で「妊娠6週」確認、直後にNHKスクープ

2006年2月7日、愛育病院の女医(中林正雄院長とした雑誌もある)が秋篠宮邸を訪ね、超音波検査で胎児の心拍等を確認。その検査の結果は、羽毛田宮内庁長官、および金澤一郎皇室医務主官に即刻伝えられ、間を置かずNHKがこれをスクープした。医師が確認してから5分後にNHKで速報が流れたとも言われ(要確認)、NHKと秋篠宮家の関係が疑われた。この懐妊スクープにより、国会上程寸前だった「皇室典範改正案(女帝法案)」が頓挫することとなった。

【2】「着床前性別選択懐妊」の疑い

「着床前性別選択」とは、生命倫理に反するとして、現在の日本では日本産科婦人科学会により禁止されている男女の産み分け方法です。

・着床前診断をするために取り出した受精卵に異常が見つかれば捨てる。
・異常がないとされた受精卵は分裂を続け胚となるが、女子になりうる胚も捨てられる。
・受精卵を培養て5日ほどで胚盤胞と呼ばれる着床前の状態まで発育した胚を移植する。(着床率が高い、ただし、ここまで進む可能性は全体の30~40%)
・さらに、この性別を調べた胚盤胞を子宮に戻す。
無事に着床し、出産にまで至る確率は約30%前後と言われている。皇室では男子が40年間生まれていないという状況を考えると、確率はさらに低かったと思われる。

■「不妊治療の後の自然妊娠」とアナウンス

 紀子妃の懐妊発表後、主治医の坂元正一氏(愛育病院を運営する母子愛育会総合母子センター所長)は、「現在の医療技術では、体外受精をすれば産み分けは理論的には可能だが、倫理面はまた別。両殿下は今回、自然妊娠を待たれて良かったと思う」と発言している(アエラ2006年2月20日号)。また、NHKのアナウンサーは「不妊治療の後の自然妊娠ということです」とニュース原稿を読み上げている。つまり、紀子妃は「自然妊娠」だったと大本営発表がなされているわけだが、この発表をそのまま信じる人はいるのだろうか?

 以下は、当ブログに寄せられたコメントの一部です。(関連コメントを順次、追加していきます)

●白々しい発言(Unknown)
紀子妃は、お許しが出るまで「東宮に遠慮していた(避妊していた)」と述べています。避妊していた人が不妊治療とは? 30代後半という年齢を差し引いても、産み分けでなく単純に第三子をということなら、2年を要したとはとても思えません。男子を産み分けるために、治療開始から懐妊まで、2年という時間を要したと普通は考えるでしょう。

●「妊娠6週」が意味するもの(Unknown)
妊娠週の数え方について意外にも知らない人が多い。「妊娠0日目」とは最終月経の開始日のことで、「妊娠4週目」を「2か月」という。「1か月」は28日、つまり4週間として考える(生理周期による)。最終月経開始日を妊娠0日として、そこから1週間(つまり月経期間)は妊娠0週目とする。よって、妊娠0~3週が妊娠1か月、4週から7週が2か月となる。排卵日(受精日)は、月経の1週間後、妊娠2週目とされる。0~3週目は等しく妊娠1か月になるから、受精した日には妊娠1か月なのだ。秋篠宮妃が「妊娠6週」とリークされたことが、いかにおかしなことか、これでわかるだろう。受精日が分かっていたということ、つまり自然妊娠ではなく準備万端整えて計画的に妊娠したということに他ならない。しかも、法案を進めようとした小泉総理に対し「おなかの子の皇位継承権を奪うのか」という言葉が出たということは、「受精卵を調べ、男子が生まれると判別できたものを紀子妃の子宮に戻し、それが着床した」ということに他ならない。

こうして国会審議は、秋篠宮夫妻によって(両陛下の指示のもと)中断された。その結果が今の混乱に繋がっている。秋篠宮夫妻、それを許した両陛下とも、民主主義の根幹をなす国会審議を潰し、倫理違反を犯したことになる。そこまでして男系男子に固執して誕生させたのが悠仁親王だ。女性宮家や女性天皇など決して認めるべきではない。男系男子である悠仁親王が1人で皇室を背負うべきだ。秋篠宮夫妻も両陛下も悠仁が1人残されて大変などと決して言うべきではない。ここで男子を誕生させたら当然そうなることは誰もがわかっていた。わかったうえで、自ら招いたことなのだから。

(コメントここまで)

 ここでは、「着床前性別選択懐妊」の状況証拠についてさらに収集・追加して固めていくと共に、何が問題であるかについても掘り下げて考察していきたいと思います。ご意見・情報を、どうぞお寄せください。
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79 コメント

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とうに越えていたハードル (Unknown)
2016-11-07 11:04:27
・01年、皇室の産婦人科担当医を四十年務めた坂本正一御用掛が退任。同年二月、お別れの挨拶で御所にて両陛下と長時間語り合った際、 別れ際に、「紀子様もそろそろ(限界が)来られている、お考えになった方がよい」との言葉に両陛下は深く頷かれた。(文藝春秋 2010年9月号)
・02年、11/21、高円宮 憲仁親王薨去
………………………………
 高円宮殿下の薨去であらゆる重しがとれ、東宮バッシング、秋篠宮家に男児をプロジェクトが加速していったと思います。
話がそれますが、Index様ご指摘のように、私も秋篠宮は皇后の甥ではないかと考える一人です。胞状奇胎の処置で子どもが望めなくなった皇后陛下を守り、これから成り上がろうとする正田家を守るための両陛下と正田家の決断ではなかったかと。

そしてこの決断が両陛下の着床前診断による男児産み分けに繋がったとも考えます。
すでに禁じ手を遣ってでも男児を設けるという心理的ハードルはクリアされていたのです。
「どうして産めないのかしら」という皇后陛下の嘆息も、(子宮があるのに)という視点から見ると妙に合点がいくのです。ご自分の犠牲を聖なる犠牲だと思えればの話ですが。
伏線が二つあったのではという、妄想めいていて申し訳ありません。


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確実な照明は無理 (チャコールグレー)
2016-11-07 17:16:05
医者が一番守秘義務が強いのですし、免許剥奪されるかもしれない告白をすることは無いでしょう。
皆が「絶対そうに違いない」と思っても、証明することは不可能だと思います。

それでも、おかしいなと思ったのは、
何も聞かれないのに、秋篠夫妻が「どんな子が産まれても受け入れる」と言ったことです。

普通は「妻も高齢ですし、母子とも無事に出産できることを祈ってます」とか言わないでしょうか。
いきなり「どんな子が産まれても」という言葉が出たのは、医師から受精卵を傷つけるし、かなり危険な方法だと説明されたからでは。
それでも余程の重度の障碍でない限り、男児であることがより強力な切り札だと思ったから出たせりふでしょう。

それから今上陛下の「紀子妃は9か月の批判に耐え」という言葉です。
懐妊発表後、マスコミは「春風が吹いてきた」の、「笑顔爽やか」だの、もう男児が生まれると確信したヨイショ記事ばかり。
国民が思わずのけぞった気持ちとは、かなり乖離していました。
批判してたのはせいぜい2ちゃんくらいです。
やはり余り表ざたにしなくても、そこまでやるかの声が伝わっていたのかもしれません。

妊娠中も特別なトマトジュースを届けたとか、雅子妃が懐妊中には聞かなかった配慮ぶり。
明らかに「私たちの要望を聞き入れて、男児を妊娠してくれた」という気持ちの表れです。

どう見ても産み分けをしたとしか思えない状況です。
でも決して証明することはできない。
せめて「次世代もそれをやれば良い。日本一特別な家なんだから許されていい」という流れは止めたいと思います。
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出典をご存知の方いらっしゃいますか? (あぶらちゃん)
2016-11-07 17:47:34
2番目の佳子内親王が生まれた直後に紀子妃が「どうすれば男の子が生まれますか?」と主治医に聞いたという話を見たことがあります。
当の主治医が発言して直後に否定したとか。
出典含めてご存じの方いらっしゃいますか?

「3番目を作るのを止められていた」という話も眉唾だと思っています。
(「お許しが出た」とか記事になってましたけどね)
国内外での浮気癖含めて夫婦仲があまり良くないという話も出てましたし。
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「男の子はどうやってつくるのですか?」ソース (anima mea)
2016-11-07 20:56:05
あぶらちゃん様、おそらくソースは愛育病院院長の会見だと思われます。その会見文が見つかったので貼っておきます。

-------------------------------------------
金沢・皇室医務主管と主治医で手術を執刀した愛育病院の中林院長が記者会見した。

--母子の健康状態や経過は
中林氏「親王さまは大変お元気です。妃殿下には「これで手術は終わりです」と申し上げると「大変ありがとうございました」とお元気にお答えいただいた。順調に回復過程にある」

--秋篠宮さまのご様子は
金沢氏「(性別を)お分かりになっていなかったのだろうと思うんですが「親王さまです」と申し上げたのですが、淡々と「ありがとう」とおっしゃられた。平静心を失われない方だなと。妃殿下は、秋篠宮殿下の「ご苦労さんでした」との問い掛けに「帰ってまいりました」とおっしゃられた」

--秋篠宮さまはお子さまと、どのような状況で対面したか
金沢氏「向かい側の控室にいた秋篠宮殿下は入り口まで出て対面した。失礼な言い方だが、物珍しそうに見ていた。親王さまは「おぎゃー」と泣いていた」

--退院の見通しは
中林氏「1週間目に抜糸し、数日で退院が可能。新生児は1週間から10日間前後で退院が可能」

--両殿下は事前に性別を知っていたのか
金沢氏「(性別について)両殿下とも「どんな状況であっても、それを受け入れたい。自然な形で受け止めたいから知りたくない」というお言葉だった。感銘深い言葉なので、お伝えしたい」

--生まれてから紀子さまは赤ちゃんを抱っこしたか
中林氏「殿下に会わせる前に触っていただいた」

--懐妊が分かる前に相談を受けたことは
中林氏「佳子さまの出産の後、わたしに男の子が3人いるので、妃殿下が「先生、男の子はどうやってつくるのですか」と聞かれたことがあった。10年前のことで、今回の件で特別細かい相談はなかった」 (抜粋)

http://www.sanspo.com/sokuho/0906sokuho022.html
(残念ながらこちらはリンク切れになっていました)

>--懐妊が分かる前に相談を受けたことは
中林氏「佳子さまの出産の後、わたしに男の子が3人いるので、妃殿下が「先生、男の子はどうやってつくるのですか」と聞かれたことがあった。10年前のことで、今回の件で特別細かい相談はなかった」

この部分は後に院長が否定したこと私も覚えているのですが、まだソースは見つかっていません。

>(性別を)お分かりになっていなかったのだろうと思うんですが「親王さまです」と申し上げたのですが、淡々と「ありがとう」とおっしゃられた。平静心を失われない方だなと

「性別を知らなかった」というのは嘘でしょうね。男子だと分かっていたからこそ、秋篠宮は淡々としていたのではないかと思われます。
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Re:出典をご存知の方いらっしゃいますか? (あぶらちゃん) (オリーブオイル)
2016-11-07 21:56:12
>2番目の佳子内親王が生まれた直後に紀子妃が「どうすれば男の子が生まれますか?」と主治医に聞いたという話を見たことがあります。

>当の主治医が発言して直後に否定したとか。

>出典含めてご存じの方いらっしゃいますか?



紀子妃が帝王切開で親王を出産した後に、愛育病院の院長が会見をした。

その時、
「紀子妃が「どうすれば男の子が生まれますか?」と聞かれました。」
というエピソードを会見で話した。

しかし翌日、病院長は「あれは間違いだった。」と訂正した。

全国紙の新聞記事に出たよ。

悠仁が生まれた日、その翌日、翌々日の新聞を探すといいよ。

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ありがとうございます (あぶらちゃん)
2016-11-08 08:38:26
anima meaさま、オリーブオイルさま、教えていただきありがとうございます。
親王出産直後でしたか。
嫌悪感が先立って出産に関する報道はほとんどスルーしていたので記憶にないのだと思います。
初のお相撲観戦の敬宮さまの方に夢中でしたし。
(これにも嫌味言ってたんでしたっけね)

次女出産後、第三子出産の意思があったこと、それも男の子を望んでいたことの証明になるかなと思いました。
「やっとお許しが出た」は後ろめたさからくるものだと思っています。

「兄夫婦に遠慮して第三子を控えてきたけれど、お許しが出たので踏み切った。」

同情とお墨付き感のための演出ですね。
返信する
訂正させるから却って (チャコールグレー)
2016-11-08 12:16:55
すみません、管理人様。先の投稿、照明→証明です。

私も院長のその会見を見ました。
憮然とした表情でうつむきがちにボソボソと話していました。
明らかに納得していない。「ちゃんとそう言ったではないか。そんなことを思い間違いなんかしない」と顔に書いてありました。

仮に紀子さんが男の子の作り方を聞いたとしても、そんなに驚くことでしょうか。
佳子さんが生まれた時、皇太子ご夫妻には何年もお子さんができず、最悪お一人も生まれないのではという危機感がありました。女帝論も出ていませんでした。
「ここは私が頑張るしかない」と思っても、責められることではありません。

むしろ「ご指導を受けて食べ物などに気を付けて、男の子ができやすい体調にしました」とか言えば、倫理違反疑惑を逸らせることができたのに。

男の子の作り方→産み分け→卵子選別→倫理違反がばれる!!と、慌てて訂正させた。
その慌てぶりが却って、後ろめたさがあるんだなとばらしました。

それから今までもそうやって言論統制してきた。マスコミの書いてることは自分たちの指示通り。真実ではないんだともばらしました。
嘘を取り繕おうとしては、ますます疑惑を持たせています。
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2人も産んどいて (結石)
2016-11-08 16:47:04
2人目不妊で悩んでいる方はいても、既に2人も産んどいて「不妊」はないわな。
「なんかやってた」事がやましいから、それを不妊治療に仕立てたんでしょ。

ここん家の余計な嘘にはいつも笑うよ。
眞子の、スキー合宿で長野だか新潟にいたくせに、「震災の時は東京にいました」みたいなね。
返信する
女の敵は愚かな女 (Unknown)
2016-11-08 23:35:57
>国民が思わずのけぞった気持ちとは、かなり乖離していました。
批判してたのはせいぜい2ちゃんくらいです。
やはり余り表ざたにしなくても、そこまでやるかの声が伝わっていたのかもしれません。

忘れもしません紀子妃と親王の退院。
愛育病院から赤坂御用地まで、警備の人員1500人に対し沿道の人々1800人でした。
これが国民の気持ちでしたね。
いくら捏造しても、このお子さんのその後10年間も、人々の歓声とは無縁のひっそりとしたものです。隠されているんですものね。

着床前診断は命の選別、優生学的偏見・差別の助長などの懸念から重度の遺伝子疾患など一部に限定した適用となっており、着床前診断による男女の産み分けについては禁止。
でも、外国で産み分けをする人々も少なからずいるようです。
アメリカなどはかなり先鋭的で、スクリーニングで遺伝子疾患を振るい落とすだけでなく、聴覚障害の両親が聴覚障害の遺伝子をもった子どもの胚を選ぶというケースもあったそうです。人類の将来に及ぼす影響を考えると、着床前診断よりも、男女の産み分けや優れた遺伝子でデザインするベビーの方がより深刻な問題だとする意見もあります。重いテーマですね。

ただいずれにしても直接の苦しみを背負い込むのは女性です。

>せめて「次世代もそれをやれば良い。日本一特別な家なんだから許されていい」という流れは止めたいと思います。

産む性の女性が、命を生み出す女性が、産むことを武器に女性を差別する・虐待する、その愚かな公開リンチも止めにしていただきたいですね。そして少女への虐待も。
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あの退院の日 (たみのきもち)
2016-11-09 10:24:44
>愛育病院から赤坂御用地まで、警備の人員1500人に対し沿道の人々1800人でした。

それもわざわざ会社の昼休み時間を狙って退院したのです。
ランチに行く途中「あ、あれか」と、通れば好奇心で見るくらいの人も含めての人数です。
紀子さんの心づもりは、沿道に人々が早くから並び、日の丸の小旗を振りながら「日嗣の御子、万歳」と歓声を上げてる風景だったでしょう。
心から祝うには、あまりにもどす黒い誕生劇でした。
お祝いの記帳がわずか数名のところもありましたね。
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