弘法大師の弟子の一人、平安時代の僧・常暁 (じょうぎょう) が唐へ渡り、花林寺の元照に師事して密教の奥義を究め、不空の弟子の文サンに大元帥法を学び、帰国してから一心不乱に修法すると、井戸に大元帥明王が映し出されたが、常暁 (じょうぎょう) は、その恐ろしい姿に気絶したと言います。
ウィキより、
「大元帥明王(だいげんすいみょうおう、サンスクリット語: Āṭavaka)は、仏教(特に密教)における尊格である明王の一つ。なお、真言密教においては「帥」の字は発音せず「たいげんみょうおう」と読み、また太元明王と記すこともある。
秋篠寺大元帥明王像
大元帥明王は、古代インド神話に登場する非アーリアンの鬼神アータヴァカ(Āṭavaka)に由来し、「荒野鬼神大将」と漢訳される。直訳すると「林に住む者」、「林の主」の意味となる。 毘沙門天の眷属である八大夜叉大将の一尊に数えられ、無比力夜叉、阿吒縛迦夜叉大将、阿吒縛迦鬼神元帥とも呼ばれる。
このようなアータヴァカは、インド神話において弱者を襲って喰らう悪鬼神とされたが、密教においては大日如来の功徳により善神へと変じ、その慰撫しがたい大いなる力は国家をも守護する護法の力へと転化させ、明王の総帥となった。 大元帥明王は大元帥の名が示すとおり、明王の最高尊である不動明王に匹敵する霊験を有するとされ、一説には「全ての明王の総帥であることから大元帥の名を冠する」と言われる。
日本への伝来は、小栗栖の常暁によって請来されたという。常暁は栖霊寺・文祭から太元法を受けて、諸尊像や経軌を書写して持ち帰り、840年(承和7年)に法琳寺に安置されて以降、宮中で修法されるようになった。
大元帥明王は国土を護り敵や悪霊の降伏に絶大な功徳を発揮すると言われ、「必勝祈願」や「敵国粉砕」「国土防衛」の祈願として宮中では古くから大元帥明王の秘法(大元帥法)が盛んに厳修されてきた。 なお、軍組織における大元帥や元帥の呼称は、この大元帥明王からきているという説もある。
アータヴァカの説話
「恨みを抱いたまま不遇の死を遂げたある将軍が、臨終に際して、夜叉となって転生し、都城内の男女をすべて食べるという誓願を起こした。そして、実際、その死後に病死者が続出したため、人々は一人ずつ人身御供を夜叉に捧げるようにした。順番が来てある長者の家で、生まれたばかりの子どもが捧げられることになった。嘆き悲しむ妻を夫は慰め、愛児を夜叉に捧げるために林の中に送り、長者夫妻は髙楼に上って、一心に子どもの無事を祈った。仏眼によってこのことを知った釈尊は、ただちに夜叉のところに赴き、法を説いて浄心を生せしめ、仏教に帰依させた。そして釈尊の手によって長者夫妻のもとに、無事赤ん坊は送り返された。— 立川武蔵、 「癒しと救い -アジアの宗教的伝統に学ぶ」
奈良の秋篠寺が有名です。
京都・東寺にも祀られていますが、完全秘仏です。
ではまた。
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