田舎都会からの便り

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カトリック元町教会③夜の函ぶら探訪・中尾仁彦案内人 

2023年08月31日 08時29分05秒 | 山登り・散策の話

街灯の先に元町カトリック教会があり まもなく日中は「赤紅葉街灯」になります

教会群通り 左に元町カトリック教会があります 

 更新は 私が「元気で自遊人」している写真記録の便りです

過去記事2018 夜の函館元町教会群界隈

 

行雲流水カトリック元町教会夜の函ぶら探訪中尾仁彦案内人          

函館市・箱館歴史散歩の会・主宰 中尾仁彦さん案内の「西部地区ライトアップ建造物巡り」

中尾案内人は80歳を超えてますが健脚です

本州の街道歩きで鍛えた足腰は強靭で 約2時間半の街歩きで腰を下ろして休むこと知らずです

鍛えること無理無理の脳力・・・「あの~~」「ええ~~と」「あれですね・・・」「それですね・・・」などゼロ

スラスラスラと年代など記憶されたことが・・・参加するたび 「うらやましい うらやましい」 連発の私です

中尾案内人の探訪主旨

函館山からの夜景は 香港 ナポリとともに「世界三大夜景」のひとつとされています 函館山からの夜景の素晴らしさは必見ですが 麓の西部地区の元町教会群や函館ベイエリアのライトアップされた歴史的建造物のナイトウォッチングも昼間とは違った幻想的な魅力にあふれ もう一つの函館の顔をのぞかせます やさしく照らし出される「灯」に誘われてロマンチックな風景を間近に見る散策に出かけて見ませんか

コロナ前は130人を超えた参加者でしたが 今は30~40人ほどに制限しての気遣い案内です

連載 第206回西部地区ライトアップ建造物巡り

連載 カトリック元町教会

安政6(1859)年、フランス人メルメ・カションが称名寺境内に小さな仮聖堂を建てたのが始まりです。カションはフランス学校を開設するほか、日仏英辞典やアイヌ語辞典の作成に着手するなど精力的に活動します。さらに函館で先行していたロシア病院に追いつくため病院開設を試みますが、フランスから医師招聘に失敗するなど失意のうちに、文久3(1863)年の春ごろ函館を去ります。
明治元(1868)年、ムニクー神父らにより元町の現在地に司祭館兼仮聖堂が、明治9年か 10 年ごろにはマラン神父らにより最初の 木造聖堂が建てられました。明治 12 年の大火で司祭館は焼失しましたが、聖堂は無事でした。明治 11 年、フランスから3人の修道女が着任 し、授産所、施療院、孤児院を開設します。明治 19 年に開校した聖保 禄女学校は、全国にある白百合学園のルーツでもあります。
その後、明治 40 年と大正 10 (1921)年の大 火により建物は焼失しますが、大正 13 年に欧米の 信者の協力を得て、傷つきながらも残ったレンガの壁にモルタルを塗り、現在の聖堂が再築されます。
 鐘楼もその際にゴシック様式の鉄筋コンクリート造りで新築されたもので、六角屋根と雄鶏がエキゾチックな雰囲気を醸し出しています。なおこの雄鶏は風見鶏とよく誤解されますが風見鶏ではありません。聖堂内にある中央祭壇・副祭壇はイタリアのチロリア地方の木彫りで、日本で唯一ローマ法王から直接贈られたものです。聖堂の裏側には、聖母マリアを祀ったルルドの洞窟があります。

中尾案内人 近づくと一言「暗い」

ライトアップ建造物なはずなのに・・・

下記は過去写真です

ライトアップなどされ 存在感がありました

想像ですが 電力節減協力なのでしょう

函館山から眺める世界三大夜景を保つには 節減は「いたしかゆし」に映ります

 

若しかして 若しかして 点いているかも・・・数日後訪ねてみましたが・・・でした

道路向かいの函館ハリストス正教会展望所からパチリ

象徴のシンボル・風見鶏が見れます

過去記事2018年

楽々散策⑫トラピスト修道院・ルルドの洞窟

 

 

 


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