更新は 私が「元気で自遊人」している写真記録の便りです
行雲流水東浜桟橋⑩夜の函ぶら探訪・中尾仁彦案内人
函館市・箱館歴史散歩の会・主宰 中尾仁彦さん案内の「西部地区ライトアップ建造物巡り」
中尾案内人は80歳を超えてますが健脚です
中尾案内人は 前もって場所の下見をします
今年の暑い夏の下見は 過去にも増してご苦労されたと思います
毎回資料が配布されてます
無料案内なので「恐縮至極」の探訪・・・ありがたいです
中尾案内人の探訪主旨
函館山からの夜景は 香港 ナポリとともに「世界三大夜景」のひとつとされています 函館山からの夜景の素晴らしさは必見ですが 麓の西部地区の元町教会群や函館ベイエリアのライトアップされた歴史的建造物のナイトウォッチングも昼間とは違った幻想的な魅力にあふれ もう一つの函館の顔をのぞかせます やさしく照らし出される「灯」に誘われてロマンチックな風景を間近に見る散策に出かけて見ませんか
コロナ前は130人を超えた参加者でしたが 今は30~40人ほどに制限しての気遣い案内です
連載 第206回西部地区ライトアップ建造物巡り
連載⑩ 東浜桟橋
北海道の玄関だった東浜桟橋
明治7(1874)年、自由旅行が解禁になった際に、北海道への上陸所の指定を受けたのがこの東浜桟橋でした。以来、
函館駅に青函連絡船の本格的な桟橋が完成する明治 43 年まで、東浜桟橋周辺は本州と北海道をつなぐ交通の要衝となります。
メモリアル係留・摩周丸 奥・五稜郭タワー
末広町に金融街が形成されたのも、この桟橋が生み出す人や物資の流れが大きく関わっていました。
桟橋付近の海は水深が浅いため船は沖止めとされ、人も荷物も艀を介し、すべてこの桟橋に到着しました。明治 11 年には桟橋向かいに、 函館で第一号の旅館となる木造3階建ての勝田旅館が誕生し、早くも翌年には4階建て300人収容の大型旅館へと増築されます。
明治 31 年の調査では、桟橋のある旧東浜町の地価が市内でいちばん 高いとあり、それについて『函館市史』は、店舗数と倉庫数に加えてここが交通の要所であったことが大きいと分析しています。
青函連絡船の桟橋が函館駅に移転した後も、ここが交通の要地であったことが伺い知れます。移転後は旧桟橋と呼ばれるようになりますが、小型船の発着に利用されたほか、北洋漁業の出船や見送りにも使用されてきました。
当時の桟橋は木造でしたが、今も昭和 34 (1959) 年に造られたコンクリートの桟橋が残されています。桟橋横には、北海道開道100年を記念して昭和 43 年に設置された北海道第一歩の地碑があるほか、桟橋のそばには道路元標の小さな石柱も現存します。
函館山から眺めた東浜桟橋
東浜付近の海面に映る彩も楽しめる観光地となっています