山形大学庄内地域文化研究会

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韓国映画に描かれたムーダン(「映像民俗学」に投稿中 2010年1月脱稿)

2012年05月29日 | 日記
 拙著『韓国・伝統文化のたび』(2008年、ナカニシヤ出版)の序章で、「韓国映画に描かれた民俗文化」と題して、主にムーダンを描いた韓国映画を取り上げた。その時点では未見であった2本の映画を見る機会に恵まれたので、そこに描かれたムーダンについて、本稿で取り上げたい。
 まず、最初に紹介するのは、ユ・ヒョンモク監督の作品で、1979年に製作された「長雨」である。この映画は、朝鮮戦争をテーマにしたもので、南北の軍隊を、当時に許された表現の範囲で、できる限り平等かつ公平に描いたものとして画期的といえよう。ちょうど、製作年は、パク・チョンヒ大統領が暗殺された年であり、その後につかの間の「ソウルの春」が訪れた時でもあった。監督は、いわば、その間隙をついて、この作品を完成させたのであろうか。
 物語は、ふたつの家族が同居する家を中心に展開する。一方は韓国軍に息子を送り出して戦死した家族で、もう一方は北朝鮮軍に占領された時に加担し、その撤退後はパルチザンとして山篭りする息子を抱えている家族である。戦争を避けて、前者の家族が嫁の実家へ疎開したことによって、ふたつの家族が同居することになるのだが、祖母どうしが対立するに至る。
 ところが、韓国軍の攻勢の中で、行方知れずとなった息子の動静をムーダンに占ってもらったところ、息子が家に帰ってくるとのお告げが出たのであった。その当日に、ごちそうを用意して待ち構えていたところに現れたのはアオダイショウの大蛇であった。皆が驚く中を、先に息子を失った側の祖母が、パルチザンの化身としての大蛇を丁重にもてなして送り出したのであり、そのことによって、ふたりの祖母の和解が成立して、映画は終わる。
 2009年暮れに大分県の別府で開催された日韓次世代映画祭に、韓国の映画評論家の長老であるキム・ジョンウォン先生がお見えになり、この映画祭で「長雨」が上映されたこともあって、レセプションの会場で、先生に質問をしてみた。韓国の民俗では、大蛇は死者の化身と解釈されるのだそうで、ここで登場した大蛇は、死んだ息子の化身として現れたものといえる。その大蛇を導いた祖母の姿は、伝統的な韓国の死者供養の儀式にのっとって描かれていたように思われた。
 また、この映画は、子どもの視線から描かれている部分が多いのであるが、キム・ジョンウォン先生によれば、子どもはふたつの家族をつなぐ橋の役割を果たしているのだそうだ。しかしながら、筆者には、子どもの視線を通すことによって、南北をできるだけ客観的に表現しようとする監督の意図が背景にあったのではと感じられた。
 ところで、ユ・ヒョンモク監督は、熱心なクリスチャンであったようで、キリスト教に関わる映画をいくつも製作されており、拙著にも記したように、1963年製作の「金薬局の娘たち」では、ムーダンを近代化に反するものとして描いている。
 にもかかわらず、この「長雨」において、ムーダンを積極的に描き出したのは、伝統文化を通して南北分断を克服することを監督自身が願ったものであろうか。ただ、2009年に監督は逝去されたので、今となっては、監督ご自身に、その真意をおうかがいすることはかなわない。2008年春の全州国際映画祭の開幕パーティーで、監督ご夫妻にお会いする機会があり、その時に撮影した筆者との記念写真がある(写真1―web上では省略)。監督のご冥福を心からお祈りしたい。
 さて、次に紹介するのは、イ・ジャンホ監督の1987年製作の作品「旅人は休まない」である。80年代の韓国映画ニューウエーブの旗手として知られる監督にも、2009年春の全州国際映画祭の場で、お会いすることができた。朝鮮戦争で孤児となった妻の遺骨を北の故郷に散骨しようとさまよう男が、死ぬ前に北の故郷に少しでも近づこうとする老人と看護婦に出会うストーリーとなっており、劇中の諸処で、ムーダンの鈴音が響くのだが、ラストに至って、船着場の河原でムーダンの祭祀の儀礼が繰り広げられる中で、主人公は国境線に近い江原道を後にするのである。
 この映画もまた、南北分断を克服しようとする監督のメッセージが含まれていると解釈できるのであろうが、それがいかにもわかりにくいスタイルの表現となっている。監督自身が軍事政権下で獄に繋がれた体験もあることから、露骨な描写を避けた慎重な姿勢とも受け止められるが、ムーダンに対して、肯定的であるのか、否定的であるのかすらも、とらえがたいといえよう。
 ちなみに、主演男優のキム・ミョンゴンは、90年代に入って、当時における韓国での観客動員記録を塗り替えたイム・グォンテク監督の作品「西便制」(日本公開タイトルは「風の丘を越えて」)に、パンソリの歌い手として出演し、韓国の伝統文化の再評価の契機となった。そして、21世紀に入り、彼は国立劇場の支配人を経て、ノ・ムヒョン政権の文化観光部長官(日本の文部科学大臣に相当する)に就任するに至る。このあたりに、日本の文化行政との大きな差異を垣間見ることができるのではなかろうか。
 以上で、拙著の記載に付加する内容の記述を終えたい。
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