山形大学庄内地域文化研究会

新たな研究会(会長:農学部渡辺理絵准教授、会員:岩鼻通明山形大学名誉教授・農学部前田直己客員教授)のブログに変更します。

「震災特集上映をめぐる現代民俗ー映画祭の観客アンケートを通した試論ー」

2014年07月08日 | 日記
 本論文は「村山民俗」第28号、14~21頁に発表した内容です。

震災特集上映をめぐる現代民俗―映画祭の観客アンケートを通した試論
                             岩鼻 通明

一 はじめに
 本稿は、東日本大震災が与えた影響について、震災を描いた映画を鑑賞した観客のアンケートを通して明らかにしようとする試みであり、昨年の本誌に掲載した拙稿「被災地をめぐる現代民俗―映画館の観客アンケートを通した試論」に続く報告となるものである。    
 なお、前稿との比較検討を念頭に置いたために、今回のアンケート項目は、ほぼ前稿で用いたアンケート項目と同様の設定とした。よって、アンケート項目は前稿の末尾に付したものを、ご参照いただきたい(拙ブログにて公開中 http://blog.goo.ne.jp/imichiaki )。
 さて、本稿では、二〇一三年三月に山形市内の映画館フォーラムにて山形国際ドキュメンタリー映画祭事務局の主催で開催された「ともにある Cinema with Us 忘れないために1」において、二日間にわたり実施した観客アンケートの分析を行う。
それに加え、二〇一三年十月に開催された第十三回山形国際ドキュメンタリー映画祭の特集「ともにある Cinema with Us 2013」においても、三日間にわたり実施した観客アンケートとの比較分析を行う。
 アンケートは、両者ともに、会場内の観客へ封筒に入れたアンケート用紙を手渡し、上映後に返信用封筒を郵送で回収する方法で実施した(一部は会場受付で回収)。前者ではアンケート配布数二百二十二、回収数六十で回収率は二十七%となり、後者では配布数百八十八、回収数四十二で回収率は二十二%となった。前者では、映画祭のボランティア経験者の姿も多く見受けられたことが、後者よりも回収率の高くなった一因かと想定される。

二 山形国際ドキュメンタリー映画祭と震災特集上映
 まず最初に、山形国際ドキュメンタリー映画祭(以下では、山ドキュと略称する)の歩みを簡単に紹介しておきたい。この映画祭は、一九八九年の山形市市制百周年記念事業として開始され、成田空港建設反対のドキュメンタリー映画で知られる小川紳介監督をディレクターに迎えてスタートした。
 小川監督は、当時、上山市牧野集落にプロダクションのスタッフとともに住み込んで、農村を主題とする映像制作に取り組んでいた(木村迪夫『山形の村に赤い鳥が飛んできた 小川紳介プロダクションとの25年』七つ森書館、二〇一〇年)。その代表作として、「ニッポン国古屋敷村」および「一〇〇〇年刻みの日時計-牧野村物語」をあげることができる。
 小川監督は、第二回の映画祭を無事に終えた翌年の一九九二年に惜しくも亡くなったが、
アジアの国々でドキュメンタリー監督を養成しようとの遺志は、この映画祭に受け継がれ、その後はインターナショナル・コンペ部門と並んで、アジアの新人監督のコンペ部門であるアジア千波万波として回を重ねている。
 山ドキュは、隔年の秋に開催されてきたが、世界でも数少ないドキュメンタリー映画に特化した映画祭として、国際的に高い評価を得るに至っている。これも、草創期の小川ディレクターの尽力が大きく貢献しているといえよう。
山ドキュが歴史的な転回点を迎えたことが、私見では過去二度あった。最初は、二〇〇七年にNPO法人化した時期である。山形市の記念事業としてスタートしたこともあって、映画祭事務局は市役所内に置かれ、事務局員の人件費も市当局が負担していたのだが、諸般の事情からNPO法人化され、事務局も市役所の外に置かれた。その経緯は、かつて小川プロに属し、第一回山ドキュの公式記録映画「映画の都」を制作した飯塚俊男監督の手による二〇〇七年の作品「映画の都ふたたび」に詳しく描かれている。
 次の転回点は、二〇一一年秋の映画祭開催であった。三月の東日本大震災の影響で、準備が間に合うのか、また作品は例年通りに海外から応募されるのか、など多くの課題を抱えながらも、困難な状況下で模索された結果、映画祭は開催された。放射能汚染の不安からか、例年になく海外からのゲストに欠席者が目立ったものの、映画祭そのものはつつがなく終了した。
 その目玉になったのが、東日本大震災復興支援上映プロジェクト「ともにある Cinema with Us」であった。この特集上映では、大震災の現場に入った映画監督や、被災地での救援活動を続ける人々によって撮影された二十九本の作品が上映された。その選考は映画祭直前まで続けられたようで、プログラムのチラシが上映開始日に映画祭本部へ届けられたことが印象に残っている。筆者は映画祭のボランティアを務めていたことなどもあって、この特集上映の一部しか鑑賞することはできなかったが、ほとんど情報の入らなかった仙台市の東北朝鮮学校の被災を描いた作品が印象深かった(ちなみに、この作品を共同制作したコマプレスが大阪朝鮮高校ラグビー部を描いた長編ドキュメンタリー映画「60万回のトライ」は二〇一三年の山ドキュでワールドプレミア上映され、二〇一四年の全州国際映画祭の韓国長編映画コンペ部門で、CGVムービーコラージュ支援賞を受賞した)。
 この特集上映は、ある意味で玉石混合とも批判されたが、ともかくも現場で撮影された最新映像を集大成して上映した関係者の努力は高く評価され、この特集はコミュニティシネマ賞を受賞し、その後に各地で巡回上映が企画されるに至った(拙稿「震災映像と被災地上映」季刊地理学六十四、二〇一二年)。
 それを受けて、二〇一三年の山ドキュにおいても、この特集上映を継続することになり、まずは三月に地元の山形市内で、映画祭事務局の主催する上映会がプレ企画として実施された。ここでは、大震災関連のみならず、放射能汚染の問題を描いた作品も上映され、とりわけ高知県のマグロ漁船乗組員の被曝を丹念に追跡した「放射線を浴びたX年後」に強い感銘を受けた。この作品は二〇一四年三月の第一回グリーンイメージ国際環境映像祭においてグランプリに輝いた。ちなみに、早い時期に調査を行った例として、この作品に登場する高知県の県立高校の「幡多高校生ゼミナール」は、一九九四年制作のドキュメンタリー映画「渡り川」(キネマ旬報文化映画ベストテン第一位)の主人公でもある。
 そして、二〇一三年十月の映画祭において、「ともにある Cinema With Us 2013」と題した特集上映が行われ、十五本の作品が上映された。このうち、十三作品の監督インタビューが映画祭公式サイトにアップされている。二〇一一年の特集上映では、前述のように直前まで準備に要したためか、三人の監督のみのインタビューにとどまっていたが、その面でも、今回の映画祭は充実したものになったといえよう。個々の作品の内容も多岐にわたり、震災の内面を描いたものが多くみられた。

 三 観客アンケートを通した震災と映画祭の関わり
 本章では、観客アンケートの集計結果を通して、被災後二年余が過ぎた時点で、観客が東日本大震災を、どのように感じているのかを把握したい。
 そこで、以下では、アンケートの集計結果を、基本的属性と震災関連項目に二分した上で、比較検討をすすめたい。

 (一)基本的属性に関する比較検討
 まず、性別に関しては、三月の上映会(以下では前者とする)では、ほとんど差がみられなかった。もっとも、アンケートの位置的な関係で無回答が多かったので、十月のアンケート時にはアンケート項目の位置を修正した。それに対し、十月の映画祭(以下では後者とする)では、やや男性が上回る結果となった(表1)。映画祭全体を見回した感触では、やはり男性観客が多い印象だったので、その傾向を反映したものといえようか。
 次に、年齢構成に関して、前者では、五十代・六十代の高齢者が多くみられたが、後者では二十代から四十代の観客層もかなり存在し、若い世代も集客したことが明らかとなった(表2)。ただ、十代の未成年は、きわめて少数で、この年齢層に映画祭を浸透させることが将来へ向けての大きな課題となろう。
 そして、職業別では、会社員と公務員が共にかなりの割合を占めるが、前者でパートアルバイト、主婦、学生層の観客が一定数みられたのに比し、後者では、それらの観客層はさほど多くはなく、むしろ無職やその他がかなりみられた(表3)。この中には映画関係者が、ある程度存在するのではないかと憶測される。
 また、居住地については、前者では山形市内が圧倒的に多く、県外からの集客は多くはなかったのが、後者では、県外が七割強を占め、東京・神奈川・埼玉の首都圏や隣接する宮城・秋田から広く観客を集めており、この映画祭が国内で高い評価を得ていることを反映しているといえよう(表4)。ただ、日本語によるアンケートであったために、外国人の観客の回答は得られなかったが、映画祭自体には数多くの海外からのゲストを迎えていたにもかかわらず、この震災特集上映の会場を訪れる外国人は珍しかったように記憶している。
 さらに、同伴者については、前者で同伴者なしが多数であり、次いで家族、友人、が続くが、後者では同伴者ありが過半数を越え、家族、友人に加え、親戚、その他、という回答もあり、誘い合って来場したことが知られる(表5)。これは、被写体となった被災者の方々が連れ立って来場されたこととも関わると想定される。
 続いて、交通手段については、前者で自動車が過半数を越え、前稿で調査した被災地の映画館に近い結果となり、地方都市の映画館においては、駅前の便利な立地であっても、自動車利用が多いことが明らかになった。それに対して、後者では鉄道利用が自動車を上回り、映画祭が広く全国から観客を集めたことを反映しているといえよう(表6)。
 また、情報源については、前者では映画館内で知ったという回答が最多で、新聞がそれに次いだ。後者では、ホームページなどのネット情報が最多であり、おそらくは世代による情報源の差異が存在するものであろう。しかし、紙媒体が依然として一定の役割を果たしていることに留意すべきであろう(表7)。
 さらに、これらの上映会や映画祭の必要性に関しては、必要とする回答が圧倒的に多く、ほぼ全員が賛意を示しており、ここでも映画祭に対する高い評価と信頼をうかがうことができ、今後の映画祭の運営にとって、ありがたい結果となっている(表8)。
 最後に、後者のアンケートでは、二〇一一年の山ドキュ、および三月の上映会への参加の有無についての項目を加えたところ、半数近くの観客がいずれかに参加したと答え、両方に参加したという回答も一定数みられ、この映画祭を支える固定層が存在することを示唆する結果となった(表9)。

 (二)震災関連情報に関する比較検討
 まず、前稿と共通項目である震災後の映画鑑賞回数の変化については、同じという回答が前者・後者ともに最多となっているが、ともに増加の回答が減少を上回っている(表10)。これは、震災から二年が過ぎたこと、そして、上映会や映画祭の観客は映画ファンが多いことと関連しているのかもしれない。
 一方、震災映像の苦痛性については、被災地でのアンケート結果よりも苦痛を伴うという回答は減少したものの、依然として一定の割合を占めることが明らかになった(表11)。これは観客に福島県からの避難者や、映画に描かれた被災者の観客が含まれることとも関わるかと考えられる。震災の記憶が薄れつつも、その傷はいまだ癒されていないことを如実に物語るデータといえよう。
 最後に、震災関連アンケート項目として、前稿と同様に、以下の五項目を設定した。それぞれについて、そう思う・どちらでもない・そう思わない、の三段階での回答を設けたので、回答結果の比較検討を試みたい。
Ⅰ 癒しと安らぎの場としての必要性
Ⅱ 余暇と娯楽の場としての必要性
Ⅲ 多様な文化を知る場としての必要性
Ⅳ 情報入手や交換の場としての必要性
Ⅴ 青少年・生涯教育の場としての必要性
 まず、そう思う、の回答率が最も高くなったのは、多様な文化を知る場、という選択肢であった。これは、ある意味で映画祭という場の特性上から当然の結果というべきであろうか(表12)。
 余暇と娯楽の場(表13)、情報入手の場(表14)、教育の場(表15)、という回答は、あまり差がなかったのだが、癒しと安らぎの場という回答については、前者では、そう思う、の回答率が高かったのに対して、後者では、さほど高くはなかった(表16)。前者の観客の大多数は山形県民ないし近県の県民であったことから、被災地としての東北、もしくは地方都市における映画館の役割といった側面が垣間見える。前稿においても、宮古と古川の映画館でのアンケート結果では、この項目が高い回答率を示したのであったが、山形でも、回答率はやや低いとはいえ、同様の傾向を示したことは興味深い結果である。

 四 おわりに
 以上、山形国際ドキュメンタリー映画祭事務局の協力を得て、二〇一三年三月の上映会と十月の映画祭における震災特集上映の場での観客アンケートの結果に関する比較考察を試みた。前稿とあわせて、被災地における映画館の果たす役割に加えて、被災地からの情報発信として、東北地方で開催される映画祭の場で、東日本大震災を語り継ぐ映像を上映することの重要性と意義が、観客アンケートを通して明らかになった。
 このことは、アンケートの自由記述欄からも、うかがうことができる。前者では、以下のような記述がみられた。「震災の記憶を風化させないためにも、何度も上映してほしい」、「様々な視点による震災の記録の必要性を改めて感じた。このような催し物を引き続き行ってほしい」、「3.11近くには毎年上映して、忘れ去られないようにしたい」、「映画は記録・伝承など文字だけでは伝わらないリアルな感情を伝える貴重な記録」、「映像で見ることの大切さ、記録を残すことの大切さを感じます」。
 一方、後者においては、熱心な記述が多くみられたが、おおむね以下の三点にまとめられる。ひとつは、マスコミが震災に関して、ほとんど真実を伝えない中で映画の役割が重要だとする意見で、ふたつめは震災後に前向きに生きていこうという姿勢が重要、被災者によりそった内容が大事、復興や今後の被災地の歩みを描くことも必要、という意見で、最後は、今後の災害への警鐘となる、できるだけ多くの作品を集めたアーカイブつくりに監督や製作者が力を貸す、という意見であった。おそらくは、映像関係者からの貴重な見解が反映しているものとみられ、震災後、数年を経過した時点での震災ドキュメンタリー映像の役割を象徴的に示唆していると評価されるコメントである。
 また、九州では震災の記憶が忘れられつつある、という意見があり、筆者も、二〇一三年および二〇一四年の三月十一日は大阪アジアン映画祭の震災特集上映を鑑賞したが、阪神大震災との関わりなど工夫された上映にもかかわらず、けっして観客は多くはなかった。震災の記録映像上映を通して、人々の震災に対する記憶をつなぎとめることもまた、大きな役割となろう。
 最後に、阪神大震災時は、紙ベースの記録が大部分であったといわれるが、東日本大震災においては、デジタル撮影機器の普及にともない、数多くの映像記録が残された。今後は、これらの映像を保存活用していくことが大きな課題になるといえよう。その意味において、山形国際ドキュメンタリー映画祭と、そのライブラリーが果たす役割に期待したい。

[付記] 本稿は、二〇一三年度日本地理学会春季大会において研究発表を行った内容を骨子として成文化したものである。発表時にご意見をいただいた方々および観客アンケートに協力いただいた方々、またアンケートの実施をお認めいただいた映画祭事務局や関係者の方々に厚くお礼を申し上げたい。なお、本稿で利用した統計データの集計には、二〇一三年度日本学術振興会科学研究費基盤研究(C)「映画を通した地域活性化の日韓比較研究」(研究代表者:岩鼻通明)の一部を使用した。


表1
   性別構成
    3月  10月
男性  15(25) 23(55)
女性  16(27) 19(450
無回答 28(48) 0(0)
合計  59(100) 42(100)


表2 
   年齢別構成
     3月  10月
10代 1(2) 0(0)
20代 1(2) 4(10)
30代 10(17) 6(14)
40代 7(12) 8(19)
50代 22(37) 11(26)
60代以上 18(30) 13(31)
合計   59(100) 42(100)


表3 
   職業別構成
      3月  10月
会社員 16(27) 13(31)
公務員 6(10) 7(17)
自営業 7(12) 3(7)
パート 6(10) 1(2)
主 婦 4(7) 2(5)
学 生 4(7) 1(2)
無 職 8(13) 7(17)
その他 8(13) 8(19)
合 計 59(100) 42(100)



表4
   居住地別構成
      3月   10月
市内 33(58) 7(17)
村山 10(17) 2(5)
庄内 2(4) 1(2)
置賜 2(4) 0(0)
県内計 47(82) 10(24)
秋田 2(5)
宮城 5(12)
埼玉 2(5)
東京 10(24)
神奈川 2(5)
県外計 10(18) 32(76)
合計 57(100) 42(100)

表5
    同伴者別構成
      3月    10月
家族    15(27) 10(24)
友人 4(7) 9(21)
親戚 0(0) 2(5)
その他 0(0) 2(5)
なし 37(66) 19(45)
合計 56(100) 42(100)

表6
     交通手段
      3月    10月
徒歩    8(13) 6(13)
自転車 4(6) 1(2)
自動車 36(57) 14(30)
バス 5(8) 5(11)
鉄道 10(16) 21(45)
合計 63(100) 47(100)

表7
     情報源
     3月    10月
新聞   12(19) 9(19)
館内 15(23) 1(2)
HP 8(13) 22(47)
その他  29(45) 15(32)
合計   64(100) 47(100)


表8
     必要性
     3月    10月
はい   55(95) 42(100)
いいえ   0 (0) 0(0)
どちら 3(5) 0(0)
でもない
合計 58(100) 42(100)


表9
      上映会・映画祭参加
           10月
2011年のみ参加     5(13)
2013年3月のみ 0(0)
11年と3月両方 8(21)
不参加 26(66)
合計  39(100)

表10
      映画鑑賞回数
       3月    10月
増加     15(25) 11(26)
変わらず 37(63) 26(62)
減少 7(12) 5(12)
合計     59(100) 42(100)

表11
       苦痛性
      3月   10月
はい    8(14) 5(14)
いいえ 50(86) 30(86)
合計 58(100) 35(100)


表12
      文化を知る場
     3月    10月
はい   46(82) 40(95)
どちら 8(14) 2(5)
でもない
いいえ 2(4) 0(0)
合計 56(100) 42(100)


表13
      余暇と娯楽の場
     3月     10月
はい   38(68) 32(76)
どちら 13(23) 5(12)
でもない
いいえ 5(9) 5(12)
合計   56(100) 42(100)
表14  
      情報入手の場
     3月     10月
はい   39(70) 30(72)
どちら 14(25) 9(21)
でもない
いいえ 3(5) 3(7)
合計 56(100) 42(100)

はい   39(70) 30(72)
どちら 14(25) 9(21)
でもない
いいえ 3(5) 3(7)
合計 56(100) 42(100)


表15
     生涯教育の場
     3月    10月
はい   37(66) 30(71)
どちら 16(29) 9(22)
でもない
いいえ 3(5) 3(7)
合計 56(100) 42(100)


表16
    癒しと安らぎの場
      3月    10月
はい    39(70) 21(50)
どちら 14(25) 13(31)
でもない
いいえ 3(5) 8(19)
合計 56(100) 42(100)
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