【タイ山岳民族の村に暮らす】

チェンマイ南西200キロ。オムコイの地でカレン族の嫁と綴る“泣き笑い異文化体験記”

【聖水と聖糸】

2011年04月16日 | オムコイ便り

 
 昨日は朝から親戚連中がやってきて、母親の髪洗い儀式に臨んだ。

 その返礼として、母親が祝詞を唱えながらひとりひとりの両手首に聖糸(単なる白い木綿糸だが)を三重に巻く。

 目が不自由なのに、手慣れたものである。

 私たちは、13日の朝にこの髪洗いを済ませたのだが、母親から糸を巻いてもらうのを忘れていた。

 そこで、ついでに巻いてもらうという間の悪いことになった。

     *

 そのあとで、白い粒状の花や菓子を籠に詰めて町の寺に出かけた。

 本堂には、すでに人がぎっしりである。

 頭ほどの高さに、聖糸が張り巡らせてある。

 それをほどき、用意の籠に垂らしかける。

 糸を、頭に巻いている人もいる。

 この糸は、仏と僧侶と衆生を結ぶ通信手段であるらしい。

 僧侶たちが読経をすると、仏からの教えがこの糸を伝わって煩悩多き我らの頭や体の中に導かれるのだという。

 不謹慎ながら、かつてのオウム真理教徒が着用していた白いヘッドギアのようなものを思い出し、思わず苦笑した。

      *

 足が痺れるほどの長い読経が終わった。

 人々が立ち上がり、垂れている糸を奪う合うように回収した。

 金銀の器やペットボトルを手に、仏像前に殺到する。

 ここで、仏からの“聖水”をいただくのである。

 外に出ると、ラーが用意の白い花を浸しクルマの内外やバイクに盛大に振りかける。

 そして、回収した聖糸をクルマやバイクのハンドルに結びつけた。

 どうやら、交通安全祈願らしい。

     *

 家に戻ると、この聖水を家族全員の頭や顔に振りかける。

 ははあ、これこそが“水掛け”の起源なのかも知れんなあ。

 そして、寺から持ち帰った聖糸をお互いの手首に巻き付けた。

 最後に、この糸を家の軒下にぐるりと張り回して、家の繁栄と家族の健康を願った。

     *

 思えば、こうした静かなソンクラーンを過ごすのは初めてのことである。

 何かと言えば、焼酎&ビアチャン大宴会に、耳をつんざく大音量のダンスパーティー、そしてパレードでの水掛けごっこ。

 おまけに、去年は家出である。

 お祭り好きのラーの嗜好につられて、賑やかな莫迦騒ぎに巻き込まれるばかりだったのだが、3年半に及ぶ村の暮らしを経て、私たちも少しは成長したということなのだろうか。

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