【タイ山岳民族の村に暮らす】

チェンマイ南西200キロ。オムコイの地でカレン族の嫁と綴る“泣き笑い異文化体験記”

【腰痛記】

2011年12月29日 | オムコイ便り

 養生6日目。

 怖れていた大事には、至らなかったようである。

 激しい痛みはなくなり、パンパンに張っていた筋もほぐれてきた。

 立ち上がるのも随分と楽になり、短い時間ならあぐらもかけるようになった。

 だが、ズレのあるわが腰椎の中心部にはまだ鈍い痛みが残っており、なんだか不発弾を抱えているような気分である。

      *

 この間施した手当はといえば、ラーのマッサージ、鎮痛消炎剤の塗布と服用、モーピー(霊医・霊占師)である隣家のプーノイによる祈祷、一族の長老による祈祷の5種類ということになる。

 プーノイの手当は、その辺でちぎってきた葉っぱを患部にこすりつけ、言霊を吹き込んだ焼酎を口に含んで患部に吹き付け、同じく言霊を吹き込んだ聖水(ひとつまみの米をグラスの底に沈めてある)を額に3度なすりつけたあとで、これを一気に飲み干すというものである。

 もしも、その葉っぱが触れ込み通りの薬草であるとしたら、少しは理に適っているのかも知れないが、痛む患部に冷たい焼酎をいきなり吹き付けて、患者の体をぴくりと縮こめさせるのは如何なものか。

      *

 プーノイよりも霊力が強いという噂の長老は、グラスに満たした水の中に、祈祷ごとには欠かせぬ乾涸びた豆科の植物の莢と薄く削ったウコンの根を漬け込んだ。

 まずはこの聖水を額とみぞおちの当たりに、やはり3度ずつなすりつける。

 そして、残りの水を飲み干せという。

 だが、莢は長らく埃をかぶった状態、ウコンの根は泥がついたまま、それを削ったナイフには何やら残り滓がこびりついている。

「・・・こんなもん、飲めるか!」

 介添えをするラーを目で叱りつけたが、なにせ長老による祈祷である。

 彼の面子への配慮とラーの懇願に負けて、やむなく飲み干した。

 数分後、案の定、腹がぐるぐる鳴り出した。

 トイレに駆け込むと、豈図らんや、これがよろしいのだという。

「体の中の悪いものが出てしまえば、痛みも自然と消え去ってゆく道理じゃ」

 だが、腹下しで腰の痛みが消えるものかどうか。

 これに較べれば、マッサージのあとに焚火にかざした熱いほどのタオルを乱暴に腰に押し当てるラーの温湿布の方が、まだ道理に適っているような気もするのだが。

      *

 従って、一体何が一番効果的だったのかはよく分からないのだが、一時は本当に腰が抜けたような状態だったのだから、まあ、怪しげな祈祷も含めて一族や近隣の施しには深く感謝しなければなるまい。

 昨日の夕方には、穏やかな陽気にも誘われて、5日ぶりに店まで歩いてみた。

 痛みはなく、そろそろと進めば何も問題はない。

 ところが、戻りかけたところで段々、腰がだるくなってきた。

 家に戻ると、ふとんに倒れ込んだ。

 ああ、情けない。

     *

 思えば、腰痛とは実に長い付き合いである。

 もともとは、一日中座り詰めの座業から40代で発し、亡き妻の介護と看護を経て決定的になり、旅の途中のニューヨークで、あるいは中国は雲南省の麗江で、はたまた北タイのパーイで、同じような激痛に身動きができなくなった。

 それでも、なんとかここまで生き延びて、最近では重い米袋を担げるまでに回復した。

 そこで、油断が出たのだろうなあ。

 前兆はあったのである。

 店用のプロパンガスや飲料水タンクを頻繁に運んだあと、お尻のえくぼのあたりに妙な違和感があったのだ。

 それが、半開きのシャッターをくぐったときに妙なひねりが加わり、発火した。

 ああ、クワバラ、クワバラ。

 実に悔しいことだが、ここオムコイでは腰を抜かしたままでは生きてゆけない。

 われは、腰痛持ちの爺さんなり。

 その旗印を堂々と掲げ直し、そろり、そろりと歩いて参ろう。

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