【タイ山岳民族の村に暮らす】

チェンマイ南西200キロ。オムコイの地でカレン族の嫁と綴る“泣き笑い異文化体験記”

【祈祷疲れ】

2014年03月08日 | オムコイ便り

 先日、バナナ畑の草刈りの様子を紹介した。

 ひと仕事終わってやれやれと思っていたところ、隣地の垣根ができたところで、嫁のラーがお祈りをしなけらばならないと言い出したのである。

 またかよ!?

 というのは、これまたすでに書いたように、わが家に関する祈祷を何度も行っており、わが家の家計はいわゆる「祈祷疲れ」の状態に陥っているのである。

 どうせやるのなら、家も宿も土地もバナナ畑も一緒くたにやってくれろお!

 そう叫びたいところだが、ラーに言わせると「家とバナナ畑は別物で、お祈りの意味も違うのだから一緒くたにはできない」ということになる。

 まあ、それはそうだが、まだ日本人の端くれである私なんぞは、「一緒くたにできないような脆弱なパワーの持ち主に祈祷を頼む方が悪い」とやけくそなセリフを吐きたくもなるというものだ。

 しかし、それを言ってしまえば、この土地で生まれ育った嫁の仏教やピー(精霊)信仰を根底から否定することにもなり、あとの祟りが恐い。

 仏やピーの祟りというよりも、すでに目を三角にしている嫁の祟りが不気味なのである。

 そこでやむなく、不承不承に頷くことと相成った。

     *

 早朝から、鶏を潰し祈祷用の供物料理を作る。

 隣家のモーピー(霊医・霊占師)であるプーノイ(従兄の旦那)に声をかけて、祈祷の準備をしてもらう。

 これらが終わると、バイクを連ねて町の郡役所裏にあるバナナ畑まで走る。

 垣根の位置や様子を検分し、椰子の樹の根元にそこいらへんに転がっている板きれとトタン板を拾ってきて粗略な祭壇をこしらえる。

 供物や焼酎を並べ、ろうそくと線香に火をつける。

 プーノイが、土地の精霊や天上の祖霊を招魂する。

 15分待って、ピー様たちが集まったところで再度プーノイの先導によるお祈りが始まる。

 ラーが、カレン語で何やら長い長い祈祷の言葉を述べる。

 毎度おなじみの手順である。

 すでに祈祷飽きしている私は、せいぜい「よろしく」と呟く程度だ。

 すると、後ろから頭をコツンと軽く叩かれたような気がした。

 信仰深かったわがおふくろ様の霊も、一緒に降りてきてくれたのだろうか。

 最後に、供物の湯がいた鶏から肝臓をむしり取って食し、供物の焼酎をぐい飲みで1杯づつ飲み干して、祈祷を終えた。

     *

 儀式が済むと、一目散に家に戻った。

 話を聞きつけ、焼酎や供物料理の匂いを嗅ぎつけた親戚連珠や近所の衆が続々と集まってきた。

 供物料理を完成させるためのベランダキッチンには人があふれ、足の踏み場もない。

「こんなに人が来たら、苦労して潰した鶏料理がすっかり無くなってしまうじゃないか」

 貧乏神に祟られ続きの番頭さんは、ふと、さもしい考えにとらわれるのだが、能天気な女将は

「わあ、いっぱい来てくれたねえ。人が寄らない家は繁栄しない。これは、チョークディー(幸運)の印だよ。よかった、よかった」

 と舞い上がらんばかりだ。

 実のところ、人はうんざりするほど毎日毎日寄ってくるのだけれど、一向に幸運の兆しが見えないのは、一体どうしたことか。

 供物の焼酎はその場で飲み干すという風習に添って、目まぐるしく献杯が交わされる。

 あとは、単なる宴会である。

 そして、入れ替わり立ち替わりやってくる客たちがトムヤム味の鳥鍋に舌鼓を打つ。

 残ったのは、早朝から動き回ったための疲れと空きっ腹に飲んだ焼酎の酔いと。

 やれやれ。

 ともかく、もう当分、祈祷ごとはご免被りたいものだ。

 明日にでも、「祈祷疲れ」を祓うためのお祈りをやってもらうかなあ。

 ん?

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