【タイ山岳民族の村に暮らす】

チェンマイ南西200キロ。オムコイの地でカレン族の嫁と綴る“泣き笑い異文化体験記”

【牛たちが人生を教えてくれた】

2011年01月04日 | オムコイ便り
 
 わが家の牛たちも、元気に新年を迎えたようである。

 数ヶ月前に立て続けに生まれた6頭の仔牛が、ぴょんぴょん跳ねまわっている。

 2歳になった若牛たちが、ザラザラした舌で掌を舐めあげる。



 中には、「塩が足りないぞお」とばかり頭を下げて、こちらの脛を軽く突つくいたずらものもいる。

 雌牛の中の2頭はまた孕んだようで、腹をぱんぱんに膨らませていた。




 わずか2頭の母娘牛から始まったというのに、今では16頭の大所帯である。

 収穫前の稲を食うという悪癖を持った2頭の若い雄は売り払ってしまったから、今度の2頭が生まれたら総計20頭。

 牛たちの姿を眺めていると、この村での3年数ヶ月という時間が確実に流れたことを思い知らされる。

      *

 初めてチェンマイにやってきたのは、54歳のときだった。

 この村で暮らし始めたのが、55歳。

 そして、この元旦に宿のおかみに「来年は還暦ですね」と言われて思わず強く否定したものの、それはひどい二日酔いで年が明けたことをすっかり忘れていたからであって、いくら否定しても来年の誕生日には60歳を迎えざるを得ないのである。

 うーん。

 そのことに気づかされたときは、内心でかなりの衝撃を受けた。

「まだまだ58歳だ」という暢気な気分が、「すぐに60歳だ」という切迫した思いに急転したのだから、むべなるかなである。

 この心境、すでに体験済みの先輩諸氏には苦笑まじりに理解していただけるのではあるまいか。

      *

 まあ、過ぎ去った時間を惜しんでも詮無いことである。

 60歳などは単なる通過点に過ぎず、それ以降はその年齢と智恵と体力に応じた新たな生き方が待っているということなのだろう。

 それは、新たな人生の出発点である。

 いまできることは、今日という時間を精一杯楽しみながら行きていくことだけである。

 従って、大晦日の無謀な痛飲もまた良しとすることとしよう。

 ・・・などと柄にもない思いにふけりつつ牛の背を撫でていると、ゴム草履ばきの右足に柔らかい感触とぬるい温度を感じた。

 あちゃーっ。

 落ちたてほやほやの糞を踏んじまったよお。

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2 コメント

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Unknown (なかちゃん)
2011-01-04 19:33:31
クンター様

明けましておめでとう御座います!

大晦日から長崎に祖母のお見舞いに行ってたのですが長崎は飛行機も着陸出来るか出来ないかの大雪(何十年振りだそうです)でびっくりでした。

年齢と智恵と体力に応じた新たな生き方、なるほどなぁと思いました。僕も還暦を迎える頃にはそういった生き方を見付けられる様心掛けていきたいと思います。
もっぱら三歩歩いたら忘れてしまうタチなんでどうだかですけどね...。

何はともあれまた今年も一年宜しくお願い致します。
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こちらこそ、よろしく。 (クンター)
2011-01-05 13:33:59
なかちゃん

 明けまして、おめでとうございます。
 長崎ですか、懐かしいですねえ。九州の姉や友人からも大雪で大変だと聞かされていましたが、その雪にタイ人は憧れるのだから面白いものです。
 私も、今日は年のことなどすっかり忘れていましたが(笑)、昨日だけは真面目に人生を考えて、臭いオチがついてしまいました。慣れないことは、しない方がいいみたいです。
 それでは、お互いに良い年になりますよう!
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