昨日のことだが、次男エットの“学期末父兄集会”があるというので、2台のバイクを連ねて寄宿舎に向かった。
集会が終わったら、そのまま宿まで連れ帰り一緒にオムコイに戻るためである。
初めは午後1時という話だったのだが、それが夕方の6時になり、再度の連絡で結局7時に変更された。
やっぱり、ここはタイである。
*
集会所に入ると、20人ほどの子供たちが車座になっている。
父兄らしい年輩者は、われわれを含めて4人ほどだ。
すでに、集会を待たず子供を村に連れ帰った父兄もいるらしい。
運営代表者の米国人夫婦が遅れてやってきて、やっと集会が始まった。
この寄宿舎は、キリスト教系のNGOによって運営されている。
まずは、代表の挨拶とタイ人スタッフの紹介。
続いて、父兄の自己紹介。
驚いたのは、生徒かと思っていた若い男女が次々に立ち上がって自己紹介を始めたことだ。
父兄に代わって、10代の兄や姉が迎えに来ていたのである。
自己紹介が終わると、子供たちが小さな舞台に立った。
3人の男の子のギター演奏で、ジェスチャー入りの歌を歌い始める。
まあ、日本の『手のひらに太陽を』みたいなものだろう。
それから、讃美歌を数曲。
こんな催しものがあるとは知らなかったので、カメラは持参していない。
子供たちの熱唱を撮影できなかったのは、残念だった。
*
「今日、わざわざ集まっていただいたのは、ちょっとした問題が起こったからです。実は、7人の男の子がセブンイレブンで中古の携帯電話を盗もうとして捕まってしまったのです。詳しいことは文書にしたので、あとでお渡ししますが、今後はもっと父母との連絡を密にして、こうした問題が二度と起こらないようにしたいので、お互いに力を合わせてやっていきましょう」
最後に、子供たちの顔写真を大きなしおりにしたものが各父兄に手渡されて集会が終わった。
代表のトムと、しばし立ち話。
「父兄の数が少なかったね」
「ここに寄宿しているのは、カレン、ラフ、リス、アカ、メオなど山岳民族の子供たちばかりなんだ。家庭が貧しくて、父親がアヘンに関わったりして刑務所に入っているケースも少なくない。母親は町に出ることを恐れているし、町に出たことのある兄や姉だけがこうして迎えにやってこれるというわけさ」
「ウチの村でも、アヘンやドラッグが一番の問題だよ。こうして町で勉強する機会を得ても、休みで村に帰れば厳しい現実に直面するんだから、子供たちも大変だ」
「それにここでは、山岳民族どおしの文化の衝突という問題もある。なにせ、言葉も違うし、育った背景も違う。その中で、いかに全体のバランスをとりながら平等に教育の機会を与えていくか。それが一番難しいよ」
「でも、子供たちはいい笑顔をしているね」
「うん、それがあるからやっていられるんだけど・・・」
*
エットを後ろに乗せて走り出すと、どうもバイクがふらふらする。
止めて調べると、後部のタイヤがパンクしているではないか。
「ラー、これはお前さんが乗ってきたバイクだぞ。来るときに、異常は感じなかったのか?」
「全然。・・・きっと、エットをいじめている子供たちが悪さをしたんだよ」
「まさか」
エットも、「メー(母ちゃん)、そんなことないよ」と激しく首を振っている。
だが、いじめが日常茶飯化しているのは事実のようである。
学校のそばの雑貨屋兼バイク修理屋で、すでに酔っ払っているオヤジをなだめすかして、チューブを取り替えてもらった。
*
遅い晩飯を済ませ、寄宿舎からのレターを開ける。
「男の子たちが携帯電話を盗もうとしたとき、エットもそばにいたんだけど、『黙ってろよ』と脅されて何も言わなかったから、彼も先生たちに疑われたらしい・・・。なんで、彼らは、すぐにあたしに電話をくれなかったんだろう?なんで、エットもあたしに黙っていたんだろう?」
「でも、彼は盗まなかったんだろ?男の子なんて、そんなもんさ。仲間を守りたい気持ちもあるし、仲間外れになるのが怖いという気持ちもある。でも、黙っているのは辛かったろう。あんまり、叱るんじゃないぞ」
「あたしは、寄宿舎の方針に問題があると思う。だって、村を遠く離れた子供たちが携帯電話も持てないんだよ。何かあったら、先生が電話を貸してくれるんだけど、先生に理不尽なことで叱られたり、仲間にいじめられたりしても、先生の前でそんなこと喋れないでしょう?」
「そりゃあ、そうだ」
「そうすると、子供たちはすべてを胸の中に仕舞い込んで、ひとりで悩むしかないじゃない。7人の男の子たちは、携帯電話だけを盗んだんだよ。盗もうと思えば、他のものにも手を出したはずだよ。でも、盗んだのは電話だけ。彼らはきっと、先生の目なんか気にせずに、自由に親や家族に胸の内を打ち明けたかったんだよ。そんな気持ちは、王様のように上から子供や親を見下ろしているファラン(欧米人)には分からない・・・」
自らも里子に出された体験を持つラーの洞察に、鋭く胸を衝かれた。
だが、子供たちに携帯電話を持つことを許せば、貧富の差によってトムの懸念する“バランス”も崩れてしまうだろう。
そこから、またさまざまな軋轢が生じるはずだ。
山岳民族の村に暮らしながら、私にはまだまだ何も分かっていない。
昨夜は、ビアチャン(象印ビール)がやけに苦かった。
☆応援クリックを、よろしく。
集会が終わったら、そのまま宿まで連れ帰り一緒にオムコイに戻るためである。
初めは午後1時という話だったのだが、それが夕方の6時になり、再度の連絡で結局7時に変更された。
やっぱり、ここはタイである。
*
集会所に入ると、20人ほどの子供たちが車座になっている。
父兄らしい年輩者は、われわれを含めて4人ほどだ。
すでに、集会を待たず子供を村に連れ帰った父兄もいるらしい。
運営代表者の米国人夫婦が遅れてやってきて、やっと集会が始まった。
この寄宿舎は、キリスト教系のNGOによって運営されている。
まずは、代表の挨拶とタイ人スタッフの紹介。
続いて、父兄の自己紹介。
驚いたのは、生徒かと思っていた若い男女が次々に立ち上がって自己紹介を始めたことだ。
父兄に代わって、10代の兄や姉が迎えに来ていたのである。
自己紹介が終わると、子供たちが小さな舞台に立った。
3人の男の子のギター演奏で、ジェスチャー入りの歌を歌い始める。
まあ、日本の『手のひらに太陽を』みたいなものだろう。
それから、讃美歌を数曲。
こんな催しものがあるとは知らなかったので、カメラは持参していない。
子供たちの熱唱を撮影できなかったのは、残念だった。
*
「今日、わざわざ集まっていただいたのは、ちょっとした問題が起こったからです。実は、7人の男の子がセブンイレブンで中古の携帯電話を盗もうとして捕まってしまったのです。詳しいことは文書にしたので、あとでお渡ししますが、今後はもっと父母との連絡を密にして、こうした問題が二度と起こらないようにしたいので、お互いに力を合わせてやっていきましょう」
最後に、子供たちの顔写真を大きなしおりにしたものが各父兄に手渡されて集会が終わった。
代表のトムと、しばし立ち話。
「父兄の数が少なかったね」
「ここに寄宿しているのは、カレン、ラフ、リス、アカ、メオなど山岳民族の子供たちばかりなんだ。家庭が貧しくて、父親がアヘンに関わったりして刑務所に入っているケースも少なくない。母親は町に出ることを恐れているし、町に出たことのある兄や姉だけがこうして迎えにやってこれるというわけさ」
「ウチの村でも、アヘンやドラッグが一番の問題だよ。こうして町で勉強する機会を得ても、休みで村に帰れば厳しい現実に直面するんだから、子供たちも大変だ」
「それにここでは、山岳民族どおしの文化の衝突という問題もある。なにせ、言葉も違うし、育った背景も違う。その中で、いかに全体のバランスをとりながら平等に教育の機会を与えていくか。それが一番難しいよ」
「でも、子供たちはいい笑顔をしているね」
「うん、それがあるからやっていられるんだけど・・・」
*
エットを後ろに乗せて走り出すと、どうもバイクがふらふらする。
止めて調べると、後部のタイヤがパンクしているではないか。
「ラー、これはお前さんが乗ってきたバイクだぞ。来るときに、異常は感じなかったのか?」
「全然。・・・きっと、エットをいじめている子供たちが悪さをしたんだよ」
「まさか」
エットも、「メー(母ちゃん)、そんなことないよ」と激しく首を振っている。
だが、いじめが日常茶飯化しているのは事実のようである。
学校のそばの雑貨屋兼バイク修理屋で、すでに酔っ払っているオヤジをなだめすかして、チューブを取り替えてもらった。
*
遅い晩飯を済ませ、寄宿舎からのレターを開ける。
「男の子たちが携帯電話を盗もうとしたとき、エットもそばにいたんだけど、『黙ってろよ』と脅されて何も言わなかったから、彼も先生たちに疑われたらしい・・・。なんで、彼らは、すぐにあたしに電話をくれなかったんだろう?なんで、エットもあたしに黙っていたんだろう?」
「でも、彼は盗まなかったんだろ?男の子なんて、そんなもんさ。仲間を守りたい気持ちもあるし、仲間外れになるのが怖いという気持ちもある。でも、黙っているのは辛かったろう。あんまり、叱るんじゃないぞ」
「あたしは、寄宿舎の方針に問題があると思う。だって、村を遠く離れた子供たちが携帯電話も持てないんだよ。何かあったら、先生が電話を貸してくれるんだけど、先生に理不尽なことで叱られたり、仲間にいじめられたりしても、先生の前でそんなこと喋れないでしょう?」
「そりゃあ、そうだ」
「そうすると、子供たちはすべてを胸の中に仕舞い込んで、ひとりで悩むしかないじゃない。7人の男の子たちは、携帯電話だけを盗んだんだよ。盗もうと思えば、他のものにも手を出したはずだよ。でも、盗んだのは電話だけ。彼らはきっと、先生の目なんか気にせずに、自由に親や家族に胸の内を打ち明けたかったんだよ。そんな気持ちは、王様のように上から子供や親を見下ろしているファラン(欧米人)には分からない・・・」
自らも里子に出された体験を持つラーの洞察に、鋭く胸を衝かれた。
だが、子供たちに携帯電話を持つことを許せば、貧富の差によってトムの懸念する“バランス”も崩れてしまうだろう。
そこから、またさまざまな軋轢が生じるはずだ。
山岳民族の村に暮らしながら、私にはまだまだ何も分かっていない。
昨夜は、ビアチャン(象印ビール)がやけに苦かった。
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