【タイ山岳民族の村に暮らす】

チェンマイ南西200キロ。オムコイの地でカレン族の嫁と綴る“泣き笑い異文化体験記”

【米の収穫、真っ盛り】

2010年11月11日 | オムコイ便り
 
 晩飯どきになると、米袋を担いだ村の衆たちが入れ替わり立ち替わりやってくる。

 稲刈り前に前払いしておいた籾付き新米を、届けに来てくれるのである。

 ぱんぱんに詰めた飼料袋は、およそ20キロ。

 中には女衆もいるのだが、これを軽々と家の中まで運び込む。

 今年の相場は、水不足で収穫が減ったために、ひと袋350~380バーツ(親戚値段は300バーツ)。

 去年は240バーツだったから、かなりの値上がりである。

 これを精米すると、約半分の量になる。

 半分は糠で、これは黒豚の餌だ。

      *

 今年の新米回収は順調だが、懸念は昨年1,600バーツを前借りしておきながら、ついに逃げ切られ未納となった一件である。

 昨年の相場を適用すると、7袋弱ということになる。

 昨年最大の取引だったのだが、この相手、阿片をやっているようで、どうも評判が悪い。

 あちこちから前借りして、かなりの未納を出したという。

 ラーや甥っ子のジョーがしきりにせっついて、「今日のうちに届ける」と確約はとったものの、夜の9時を過ぎてもやってこない。

 彼はまだ、田んぼで脱穀を続けているらしい。

 鳩首会議の結果、「今夜のうちに田んぼに乗り込んで、干している米を回収した方がよい」という結論に達した。

 放っておくと、また去年の二の舞になるというのである。

 しかし、彼の田んぼは立地が悪く、細い道にはバイクしか入れず、しかもかなりの距離を歩かなければならない。

 近隣で空いているバイクは、わが家の一台だけである。

 そこでジョーが「ひとりで乗り込み、すべてを回収する」と宣言した。

 7袋だと、3~4往復になる。

「じゃあ、最初に俺が一緒に行って、向こうで待機しようか」

「いやいや、足元が悪いから足や腰が痛いクンターには無理です。何かあったら、俺が困ります」

 クリニックでの診察以降、拡散しかけていた痛みはかなり治まってきたのだが、歩くとまだ左足甲の一点に鋭い痛みが走る。

「そうか、じゃあ大変だけど、任せるよ」

 結局、回収作業が終わったのは11時過ぎであった。

「クンター、すみません。回収できたのは、6袋です。もう自家消費分の余裕がないから、ひと袋分はあとで現金精算させてほしいと謝っていました」

「それなら仕方がないな。とにかく、ご苦労さんだったねえ」

 軽く焼酎を酌み交わして、眠りについた。

     *

 さて、今日はジョーの田んぼの脱穀である。

 昨夜遅かったというのに、ジョーは早朝から次姉と一緒に村の衆に供する昼飯づくり(おかずは恒例の鶏粥)に追われている。

 わが家は、同じく村人に供する焼酎、つまみ、強精ドリンク、炭酸飲料、おやつなどの調達係だ。

 接待主は、無口な次姉やジョーに代わって、口達者なラーが務める。

 脱穀後の積み出しに備えて、川原に降りる道の状態もチェックしておかなければならない。

 不用意にクルマを入れると、雨季の終わりに大雨をかぶった路面がいきなり陥没したりするのである。

 幸い道の状態はよく、川原にバイクを止めてズボンを脱ぎ、股下まで洗う川を渡った。

 ジョーの田んぼは川向こうにあり、脱穀して天日乾燥させた籾を袋詰めにして、これを担いで川を何度も何度も徒渉しなければならない。

 水に濡らすとおじゃんだから、体も気も使う大変な作業になる。

 ラーの姿を見つけた誰かが、「おお、宴会部長が来たぞ!」と叫ぶと、田んぼの方からどっと笑い声が起こった。

     *

 刈り取って田んぼで乾燥させてあった稲穂の回収と積み上げは、昨日のうちにほとんど終わっている。

 一番広い棚田にビニールシートを広げ、10人を超える村の衆たちがすでに脱穀を始めていた。

 数人の女衆は棚田に散って、残った稲穂の束を竹ひごで縛り、それを数束ずつ担いでぎりぎりまで削った細い畦道を軽々と歩いてくる。

 私などは、手ぶらでもずるずると滑り落ちるというのに。

 村の脱穀は、この束ねた稲穂を数束ずつ“叩き棒”の先に挟み込んで、これを中央に置いた簀子や古タイヤにひたすら叩き付ける。

 そして、叩き終わるとそのままくるりと体を後方に回転させながら、挟み込んでおいた凧糸を解放すると、藁束が放物線を描きながら積み上げられた稲束の向こうに消えていく。

 私は、剣道の素振りが応用できる叩き付けは得意なのだが、この放り投げはタイミングが難しく、なかなかうまくいかない。

「クンター、この叩き棒使いなよ」

 さっそく、声がかかった。

 私が一緒に作業すると、彼らはとても喜んでくれるのだが、畦道を何度もずり落ちているうちに、足の痛みがかなりひどくなってきた。

「いやあ、悪いけど足が悪くてね。今日は、勘弁してもらうよ」

「じゃあ、あとで焼酎をたっぷり飲んでもらうからね」

「駄目、ダメ。焼酎なんか飲んだらますます足が痛くなって、また病院行きだよ」

「そんなこと言わずに、少しは付き合ってよ。もうすぐ、おやつの時間だからさ」

 また、どっと笑い声があがった。

「ジョー、今日はクルマがいるかな?」

「天気がいいから、今日はこのまま乾燥させるつもりです。天気が崩れそうだったら、急いで袋詰めするんでお願いします。それより、クンター。悪いですけど、元気と雄太を連れて戻ってもらえますか?」

 これは、迂闊だった。

 田んぼに来ると飼い犬たちは、大喜びであちこちを走り回る。

 野ネズミや蛇でも見つけると狩りに夢中になって、束ねた稲を荒らしたりするのである。

 いつもは、ラーが出発するときに鎖につないでしばらく待機させるのだが、今日はふたりで来たから犬たちが着いてくるままに任せてしまった。

「よし、元気、雄太、一緒にもどるぞ!」

 しかし、いくらそう声をかけても、すでに興奮気味の彼らは逃げ回るばかりだ。

 ラーとふたりで追い回して、やっと私のあとに付かせたが、しばらく歩くとすぐに姿をくらましてしまった。

     *

 戻りはバイクを置いて、こちら岸に広がる棚田の畦道を延々と歩いた。

 あちらこちらに、固まって脱穀をする姿が見える。

「クンター、どこ行くの?」

 すれ違った女衆に、声をかけられた。

「うん、店に戻るんだよ」

「あれ、お早いお戻りだね。脱穀は、しないの?ラーがひとりで寂しがるじゃない。それとも、夕べたくさん可愛がったから、大丈夫?」

「マイチャイ(そんなことないよ)。なにせ、俺はクンター(爺様)だから」

「ワハハ・・・それよりクンター、竹の橋が壊れそうだからね。危ないから、気を付けて渡るんだよ」

「ああ、ありがとう」

 昨年の大洪水で壊れて傾いたコンクリート橋は、まだ放置されたままだ。

 応急措置で渡した孟宗竹も、かなり古びてきた。

 久しぶりに見ると、その竹橋が中央あたりでだらんとたるみ、しかも一番体重がかかる部分が割れて口を開けているではないか。



 おそらく、重い米袋を担いだ村の衆が集中的に往復したため、傷みが急に進んだのだろう。

 だが、収穫真っ最中の村人たちには、橋を補修している時間などない。

「事故が起きなければ、いいのだがなあ。くわばら、くわばら」

 そんなことを呟きつつ、へっぴり腰になって、その危険箇所をそろそろと渡った。

 渡り終えた途端、忘れていた足の痛みがぶり返してきた。

 ナッケー(困ったもんだ)!

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