夜通し降った雨が、朝まで残るようになってきた。
今朝も、断続的に小雨が降り続けている。
川向こうの裏山からは盛大に靄が立ち上って雲に溶け込んでいるから、そのうち晴れるには晴れるのだし、気温も23℃で涼しい限りなのだが、空を覆う薄雲を見ると気分は今ひとつスッキリしない。
むろん、田植えに備える村の衆にとっては恵みの雨。
文句を言っては、罰が当たる。
それにしてもなあ。
去年の今頃は、朝になると晴れ間が広がってゲストと一緒にしばしばキノコ採りに出かけていたんだけどなあ。
*
そんな複雑な胸の内を抱えて蘭の花棚を見やれば、おやおや、このところ大きく膨らんできた蕾のひとつが、カレン、もとい可憐な花を咲かせているではないか。
わがオンボロカメラでは、今ひとつその色合いが再現できないのだが、水彩でひと刷毛ふるったような淡い薄紫がなんともいえぬ清楚な佇まいなのである。
ふと、遠い昔に、こんな女性とすれ違ったことを思い出した。
あれは、大学に入るために上京してから初めて迎えた入梅のころ。
ロシア語の教室で見かけた女性が、まさしくこんな風情だったのである。
そして、その女性は実際に薄紫色の服をまとい、それが透通るような白い肌に見事に映えていたのであった。
その後何度かその可憐な姿を見かけたものの、田舎者の私に声をかける勇気などはない。
ひそかに「薄紫の君」と名付けて、遠くから眺めては溜め息をつくという繰り返しだった。
それにしても、激動の1970年代初頭に生きる二十歳前のガキがなんという古くさいネーミングを思いついたものだろう。
*
一度だけ、接触のチャンスはあった。
ある日、教室に入ってきた彼女と目が合うと、なぜか固い表情でこちらに歩いてきて、私が座る机の脇をすり抜けようとしたのだ。
その時、彼女の肩掛けバッグがガツンと机の角に当たった。
一瞬、彼女が私の脇に立ち止まったような気配があった。
だが、私は顔をあげることもできず、それどころか開いていた教科書から目をあげることすらできなかった。
あのとき顔をあげて目を見交わしていれば、何かが始まったのかも知れない。
少なくとも、彼女の表情から何かを(それが嫌悪にしても)読み取ることはできたはずだ。
いや、ただ単に彼女は私の後方に空いている席を探していただけなのかも知れない。
その後、大学構内で自治会を僭称する過激派セクトによるリンチ殺人事件が起こり、学内は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
単純な正義感に駆られた私は、否応なくその騒ぎの渦中に巻き込まれて大学を去る羽目となり、二度とその「薄紫の君」を見ることはなかった。
騒ぎの中で出会ったのが、その後30有余年を共に過ごすことになる亡き妻である。
*
ああ、あれから幾星霜。
純情可憐な田舎者青年は、還暦プラス・ツーのクンター(田舎者爺い)と成り果てた。
そばにいるのは、まるでサボテンの花のように苛烈で利かん坊、そして葉に隠れた茎には鋭いトゲを秘めた厄介なるカレン族の嫁である。
やれやれ。
なにがどうなってこうなったものやら。
そんな感傷をものかは、わが嫁は「山刀はどこだあ?」「長靴が見つからないよお」などと大騒ぎしながら、小雨の中をキノコ採りに飛び出していった。
その後に訪れた嘘のような静寂の中で(鬼のいぬ間ともいう)。
別名「閑古鳥亭」の暇な番頭さんは小雨に濡れながら花棚を見やりつつ、かの「薄紫の君」との淡く儚い思い出に浸るのであった。
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思い起こすとすごい時代だったですねえ、武力共産革命がそこまで迫っていたりして.....。まだまだ総括しきれない自分がいます。尊敬していた山本先生からいただいた色紙(先生が毎日新聞社の賞を受賞された後にいただいたもの)は大事にとってありますが.....。すべては、何を思い出しても「.....」の世界です。
『されど我らが日々』、懐かしい本ですねえ。総括、という言葉も。