福田政権にそのつもりはないらしい。
これは日本の危機だと考えている。
経済成長が無くなれば、どういったことがおきるか?
以前、「経済成長が止まれば自給率はさらに下がる」と書いたことがある。
また格差・格差と言うが、格差が問題なのだろうか?
格差より問題なのは、地方や低所得者などの底辺が豊になるかどうか?
せめて中流といえるところに位置づけられることでは?
それに最も効果があるのは成長だと思う。
経済成長は伸びるものは伸びる政策。格差は拡大する。が余録もあちこちにあり、経済成長の波及効果は大きい。
地方経済も底上げされるし人々の所得も向上する。
もしそうならないとすればそれは日本の制度が悪いのだ。
規制がかかりすぎてることが問題だし、官のシステムが問題なのだろう。
だから規制改革が必要なのだ。
逆に成長を考えないとすれば、全体が落ち込む。
格差は縮小するかも知れないが、全体が困窮する。
格差と騒いぐ以上に地方経済は低迷する。個人所得は低下する。
それは一人あたり県民所得に何故格差があり、何に起因してるのかを見れば一目瞭然。
また、90年代後半の地方経済の悲劇は思い出すだに心が痛くなる。
さらに農政との関わりで言えば、税収が低迷し、バラマキはできなくなる。
戦後農政が保護が可能でバラマキに徹することができたのは、高度経済成長があったから。
つまり、保護農政と経済成長はペアである。
工業やサービス業が成長してるから、農業へ金をばらまけたのである。
農政では「農工間の所得格差の是正」といっていた。
「格差是正」を政策目標とした政策で成功した事例はない。
農業の場合も、農業生産性を向上させて格差是正をするはずが、結局は、製造業やサービス業での兼業機会の提供という形で実現された。つまり兼業だ。
逆に農業は衰退した。
「格差是正策」は産業を衰退させる。
そこで農政は、農業から人が減ることや米を作らないことに補助金をバラマキ農業を安楽死させてきた。
つまり、格差是正には財政出動、金がかかるのだ。
だから、福田・小沢連立志向政治は、成長より大増税ということ。小沢さん細川政権の深夜の突然消費税アップ発表に見られるように、もともと増税指向が強い。福田政権も昨年の経済財政諮問委員会で増税試案。
消費税の向上に反対ではないが、今ではない。「富める国民から取って弱い国民へ」、、という所得再配分は、やりすぎると陰湿な国家を作る。北欧の福祉国家と日本の嫉妬深い土壌は少々違うようだ。
東京や愛知から税収のない県へという法人税の再配分も同様の思想。国内に分断を生んでしまう。
そうした陰湿社会をあおってるのが農協。
自分たちは弱者だ。だからかねをよこせいう、ロジックがもろにでてくる。
農協の監査は自分たちでやるから他人は口を出すなと言うなりふり構わない態度もそう。
補助金給付団体だというのに。
明るい社会を築くには、成長しかない。
もう90年代中盤から後半にかけて地方経済でおきたことを再現させてはいけない。この時期の数々の悲劇や暗い社会をまさか忘れたわけではないだろう。
また経済成長か環境保護かという選択を迫る論者もいる。
これはある意味人類の知恵の切磋琢磨の問題だろう。
経済成長といっても簡単にできるわけではない、環境問題もそう。
ともに共存できる可能性はある。
今日では、環境問題への対応が経済成長へのシーズとさえなっている。
環境を考えた起業者商品が伸びてるのもその証左だろう。
これも格差同様、いたずらに対立をあおってはいけないと思う。
また、経済成長するにはグローバル対応しかない。
ところが市場対応や競争社会を嫌う人もいる。
しかし、人々はそれぞれに得意技を持っている。
競争に生き甲斐を感じる人もいるものだし、そうした活動を得意とする企業もある。
逆にそうした活動を社会や制度が阻害してはならないと思う。
田舎暮らしやスローライフで、程々のスピードでという人もそれはそれでいい。
むしろ、競争してる人がいるから、ゆっくりしたいと思うのでは。
ゆっくりの大切さがわかろうというもの。多様で良いのだ。
その多様ささを保証するのは果たして、
グローバル・自立・経済成長か、
格差是正・増税・所得低迷か、
昨日書いた戦後保護農政か、自立型農業指向か
という選択も、どちらをとるにしても、そのためには、実は前者の選択肢しかないと思うのだが、農協は、後者を選び、かつ小さなパイ・カネの分取りを政治的寝技でかすめ取ろうと考えているようだ。
いよいよ正念場だが、政治の世界でこれに応える勢力がない。
コメント一覧
ぴえ~る
Unknown
最新の画像もっと見る
最近の「政治 行政制度」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
2020年
2019年
2014年
2004年
人気記事