数日前の早朝。僕はいつものようにカー・ラジオをかけながらまだ真っ暗な夜明け前の道を走っていた。
するとラジオから突然なつかしい唄が流れたんだ。
なぜかもうすっかり忘れていた唄。
僕はその唄が始まって数分経った時、思わず車を路肩に止めて聴き入ってしまった。
そしてほとんど同時に涙が止めども無くあふれてくるのを押さえ切れなかった・・・。
その唄のストーリー(歌詞)が進むにつれて、言いようの無いノスタルジーと悲しさ、残酷さ、大きな苦労と小さな幸せ、などがまぜこぜになった大きな塊が心にぶつかってきたのだ。
比較的長い曲だが、忘れたものを取り返すように僕は聴き入った。
もちろんエンジンも止め、ライトも消した。
予期せぬ涙に自分自身も驚きつつ、今の日本人が忘れつつある何かをこの唄はそっと思い出させてくれているようで、胸が詰まった。
その唄は・・・「ヨイトマケの唄」
オリジナルはもちろん<美輪明宏・作詞作曲>だ。歌詞に「土方」という差別用語が入っているという理由で長らく放送禁止などという理不尽極まりない<差別>を受けてきた唄だ。差別用語ということの本質についての僕の考察はまたの機会に譲ろうと思うが、<ニセ文化人>たちが何をもって放送を禁止したかということへの怒りはきっとこの曲を聴く度に蘇るだろう。
さて、この思わず涙した唄の歌い手は誰だったか・・・これが意外だったのだ。
なんと(サザンの)桑田圭祐。 それもソロのライブ音源だった。
以前このブログに書いたし、このミュージシャンの功罪については口を酸っぱくして語ってきた。
僕はこの男が大嫌いだ。ブログおよびバンドのHPのページにその理由は書かれている。
しかし、未明のラジオから聞こえてきた、すっかり忘れていたこの唄は否定しようも無く桑田の歌だった。
この唄に再会した感動と同時に桑田で泣けたことがむず痒かった。
その後、何人かの歌い手でこの唄を聞いてみたけど、僕には桑田が一番泣けた。
泉谷にしても米良にしても美輪ご本人にしても、ちょっとフェイクをかけ過ぎている。
ドラマチックというか演劇っぽいというか、とにかくそれぞれによさを感じつつも、桑田の淡々とした歌いっぷりによる素直な感情表現にはみな一歩及ばないような気がする。
もちろんこれはほめ過ぎかもしれないが、バックのピアノの控えめなフォローなどの過剰に盛り上げない手慣れた抑制が、聴くものの想像力を奮い立たせる結果となったとも言えなくもない。
この感動はもしかしたら僕だけのものかもしれない。
そうであっても一向に構わないのだが、話のついでにこの唄を聞いてみて欲しい。
幸い youtube でもこの桑田のほか数人の歌手によるこの唄が聞ける。
その代表として4人の歌唱をご案内しておく。
桑田バージョン
美輪オリジナル
泉谷しげるバージョン
米良美一バージョン
そのラジオ番組でこの唄が終わった時、なんとここのパーソナリティがすっかり涙声になってしまっていて話が続かなくなったんだ。少しの沈黙と鼻をすする音に続いて「いつも泣けるんですっ」と声を詰まらせて生島ヒロシは言っていた。
僕と同じに泣いた一人だった。
するとラジオから突然なつかしい唄が流れたんだ。
なぜかもうすっかり忘れていた唄。
僕はその唄が始まって数分経った時、思わず車を路肩に止めて聴き入ってしまった。
そしてほとんど同時に涙が止めども無くあふれてくるのを押さえ切れなかった・・・。
その唄のストーリー(歌詞)が進むにつれて、言いようの無いノスタルジーと悲しさ、残酷さ、大きな苦労と小さな幸せ、などがまぜこぜになった大きな塊が心にぶつかってきたのだ。
比較的長い曲だが、忘れたものを取り返すように僕は聴き入った。
もちろんエンジンも止め、ライトも消した。
予期せぬ涙に自分自身も驚きつつ、今の日本人が忘れつつある何かをこの唄はそっと思い出させてくれているようで、胸が詰まった。
その唄は・・・「ヨイトマケの唄」
オリジナルはもちろん<美輪明宏・作詞作曲>だ。歌詞に「土方」という差別用語が入っているという理由で長らく放送禁止などという理不尽極まりない<差別>を受けてきた唄だ。差別用語ということの本質についての僕の考察はまたの機会に譲ろうと思うが、<ニセ文化人>たちが何をもって放送を禁止したかということへの怒りはきっとこの曲を聴く度に蘇るだろう。
さて、この思わず涙した唄の歌い手は誰だったか・・・これが意外だったのだ。
なんと(サザンの)桑田圭祐。 それもソロのライブ音源だった。
以前このブログに書いたし、このミュージシャンの功罪については口を酸っぱくして語ってきた。
僕はこの男が大嫌いだ。ブログおよびバンドのHPのページにその理由は書かれている。
しかし、未明のラジオから聞こえてきた、すっかり忘れていたこの唄は否定しようも無く桑田の歌だった。
この唄に再会した感動と同時に桑田で泣けたことがむず痒かった。
その後、何人かの歌い手でこの唄を聞いてみたけど、僕には桑田が一番泣けた。
泉谷にしても米良にしても美輪ご本人にしても、ちょっとフェイクをかけ過ぎている。
ドラマチックというか演劇っぽいというか、とにかくそれぞれによさを感じつつも、桑田の淡々とした歌いっぷりによる素直な感情表現にはみな一歩及ばないような気がする。
もちろんこれはほめ過ぎかもしれないが、バックのピアノの控えめなフォローなどの過剰に盛り上げない手慣れた抑制が、聴くものの想像力を奮い立たせる結果となったとも言えなくもない。
この感動はもしかしたら僕だけのものかもしれない。
そうであっても一向に構わないのだが、話のついでにこの唄を聞いてみて欲しい。
幸い youtube でもこの桑田のほか数人の歌手によるこの唄が聞ける。
その代表として4人の歌唱をご案内しておく。
桑田バージョン
美輪オリジナル
泉谷しげるバージョン
米良美一バージョン
そのラジオ番組でこの唄が終わった時、なんとここのパーソナリティがすっかり涙声になってしまっていて話が続かなくなったんだ。少しの沈黙と鼻をすする音に続いて「いつも泣けるんですっ」と声を詰まらせて生島ヒロシは言っていた。
僕と同じに泣いた一人だった。
それを支えている「母」への讃歌なのかね。確かに泣けるよ!
これを聴いてると,なぜか北海道とか北九州の炭鉱を描いちゃうんだけど,(これも差別かな?)
この曲を聴いて涙するのはやっぱり昭和30年代生まれ以前の人たちかなぁ!?
この曲の形が全てではないし,いいとは言わないけど,
最近の世代の人たちにも大いに聞いてもらって「家族」って奴をもう一度考えてもらいたいね!
「唄」に聞き入る,そして涙が出てきちゃう!
そういう曲って,曲のアレンジ,メロディもあるけど,やっぱり「歌詞」だと思う。そういう意味では洋楽で泣ける曲って,あんまり無いよなぁ。
めったに歌わないけど,カラオケでたまに歌ってみると,ヤッパリ途中で泣いちゃうのが,
陽水の「人生が二度あれば」っす。
それと,そんな曲(歌詞)を作った人の,その曲を書いた時の状況とか境遇とか,唄の後ろに在るものを感じ取れるから,涙するんだろうね。
もう一つは,聴く側の「今の状況」がその歌詞と重なったり,その歌詞に励まされたりすると,その唄は一生ものになるよね。
最近,TVでも「泣ける唄」ってえのがチョッと流行ってるけど,その唄のエピソードを知ると,今までとは違う曲に聞こえるから不思議。
こういう話題が載ったので,
MY泣ける唄を披露しちゃうぜ。
・さだまさし 「償い」
・河島英五 「時代おくれ」
・Metis 「母賛歌」
・indigo blue 「コバルトブルー」
・サザン 「心を込めて花束を」
・navy&ivory 「指輪」
・山沢大洋 「管」
・安全地帯 「ひとりぼっちのエール」
・佐野元春 「情けない週末」
・陽水 「人生が二度あれば」
・・・・・・等等
でも,泣ける唄の主役ってなんでいつも「母」なのかね!?
やっぱり「母は強し」ですか!
気持ちのこもった長文コメント、ありがとう!
泣ける曲大好きドラマーの、他にもこんなにお宝曲があるんだ、というカミングアウト的暴露に驚くばかりだったよ。
しかしたくさんあるねぇ。
<泣ける曲っていうのはやっぱり歌詞だ>という部分は同感。
そういえば<洋楽>では、あんまり泣けないもんなぁ。
桑田のヨイトマケ、よかったでしょう?
確かに一時、みんな歌っていたようなかすかな記憶が・・・。
桑田以外のバージョンでは「と-ちゃんのためならえんやこら~~・・・」で始まるようですが、あのインパクトのあるイントロは僕には不要です。
っていうか嫌い。
それと同じ考えなのかどうかは知りませんが、あの部分をカットしていたからこそ、嫌いな桑田に妙にすり寄れたのかもしれません。