発達障害じゃないけど、再びこのカテゴリーに入れてしまう。テキトーすぎるけどキニシナイ。
先日、とあるトランスジェンダーの候補者が街頭演説している側を通りかかった。見た目は女性、名前も女性、でも声が男性っぽいのでおや?と思った。信号待ちのあいだ聞いていたら、LGBTについての話をしていたので、どうやらその候補者はトランスジェンダーらしいとわかった。地方議会では暫く前からトランスジェンダーであることを公表している議員はいたようだが、実際に自分の目と耳であらためて確認したことで、時代は変わったなぁ(変わりつつある?)、と感じた。時間があればもう少し彼女の演説を聞いていたかったが、急いでいたので信号が変わった時にその場を離れてしまった。
さて、その日の帰宅後、妻にLGBTの候補者が街頭演説していたという話をしてみた。果たして妻の反応は予想通りであった。
「私、もうそういうのいらない。少なくともその人には投票しないわ。」
以下、この前と同じ主張を繰り返された。どうやら妻はとことんマイノリティに対して悪いイメージしか無い。マイノリティに自分の権利が侵害されていると思っているらしい。やっぱり時代は変わっていなかった。(僕の妻が時代の変化についていっていないだけです!!)
LGBTでも発達障碍でも身体障碍でも、特別な権利が欲しいのではなく、困りごとを解消して普通に暮らしたいだけの人が多いのではないかと、僕は思っている。『困りごとがなければ障碍ではない』という人もいるし、僕は裸眼視力0.08だけど生活していく上で困ったことはないので、その通りなのだと思う。更に、困りごとが解消されれば健常者も暮らしやすくなる場面が多いと考えているのだが、そういう言葉も文章もどうやら妻の頭には届かないらしい。ひたすら自分の権利を侵害しないでほしい、という意味のことを言う。実際に自分が何の権利を侵害されたのか具体的に言えもしないのに、そう言うのである。不思議だけど不思議ではない。なにしろネット上にはそんな主張がいっぱいあるのだから。
もしかしたら妻は、娘がベビーカーに乗っていたときに何を不便と感じたかすら忘れているのではないだろうか。娘がベビーカーに載っていたのはたかだか2年前のことである。エレベーターの設置場所が悪くてものすごく遠回りしたりとか、道路の段差や凸凹でベビーカーを押しづらかったり娘が嫌がったりしたりとか、大きな乗り換え駅の中でさえ苦労した場所もあるのに、例えば同じ場所を足の不自由な人が使ったら・・・ということさえ言われないと妻は考えないらしい。ましてやLGBTや色盲や発達障害の人にどんな困りごとをがあるかなんて、微塵も考えてくれない。『肉の焼け具合を僕に訊いてもわからないよ』と何度も言っているのに、それと外で困るのとがまるで結びつかないらしい。古い信号機は日中には見えなかったという話なんかは何度もしたはずなんだけどなあ。
なお、色盲に関していうと最近は昔よりましになったな、と思うが、
・路線図の色分けなど、表示がわからない
くらいならまだしも、重度の人で
・券売機で券が買えない(黒地に赤の料金表示がかなり目を近づけないと見えないから)
という知人もいた。彼は今でも苦労しているだろう。見やすいのもあるが、未だにその当時と同様に見づらいのが世の中には大分残っている。
・LEDの信号機は黄色と赤が判別しづらい
という人がいるというニュースも見たことがある。赤のところに×が映るようにすれば良いだけで、これは実在する。
そんなこんなで特に結論のない愚痴を1300字くらい書いたが、実は誰に投票するのかはまだ決めていない。投票日は4月7日。選挙公報が配達されていたので、土曜日にでも目を通そうと思う。
先日、とあるトランスジェンダーの候補者が街頭演説している側を通りかかった。見た目は女性、名前も女性、でも声が男性っぽいのでおや?と思った。信号待ちのあいだ聞いていたら、LGBTについての話をしていたので、どうやらその候補者はトランスジェンダーらしいとわかった。地方議会では暫く前からトランスジェンダーであることを公表している議員はいたようだが、実際に自分の目と耳であらためて確認したことで、時代は変わったなぁ(変わりつつある?)、と感じた。時間があればもう少し彼女の演説を聞いていたかったが、急いでいたので信号が変わった時にその場を離れてしまった。
さて、その日の帰宅後、妻にLGBTの候補者が街頭演説していたという話をしてみた。果たして妻の反応は予想通りであった。
「私、もうそういうのいらない。少なくともその人には投票しないわ。」
以下、この前と同じ主張を繰り返された。どうやら妻はとことんマイノリティに対して悪いイメージしか無い。マイノリティに自分の権利が侵害されていると思っているらしい。やっぱり時代は変わっていなかった。(僕の妻が時代の変化についていっていないだけです!!)
LGBTでも発達障碍でも身体障碍でも、特別な権利が欲しいのではなく、困りごとを解消して普通に暮らしたいだけの人が多いのではないかと、僕は思っている。『困りごとがなければ障碍ではない』という人もいるし、僕は裸眼視力0.08だけど生活していく上で困ったことはないので、その通りなのだと思う。更に、困りごとが解消されれば健常者も暮らしやすくなる場面が多いと考えているのだが、そういう言葉も文章もどうやら妻の頭には届かないらしい。ひたすら自分の権利を侵害しないでほしい、という意味のことを言う。実際に自分が何の権利を侵害されたのか具体的に言えもしないのに、そう言うのである。不思議だけど不思議ではない。なにしろネット上にはそんな主張がいっぱいあるのだから。
もしかしたら妻は、娘がベビーカーに乗っていたときに何を不便と感じたかすら忘れているのではないだろうか。娘がベビーカーに載っていたのはたかだか2年前のことである。エレベーターの設置場所が悪くてものすごく遠回りしたりとか、道路の段差や凸凹でベビーカーを押しづらかったり娘が嫌がったりしたりとか、大きな乗り換え駅の中でさえ苦労した場所もあるのに、例えば同じ場所を足の不自由な人が使ったら・・・ということさえ言われないと妻は考えないらしい。ましてやLGBTや色盲や発達障害の人にどんな困りごとをがあるかなんて、微塵も考えてくれない。『肉の焼け具合を僕に訊いてもわからないよ』と何度も言っているのに、それと外で困るのとがまるで結びつかないらしい。古い信号機は日中には見えなかったという話なんかは何度もしたはずなんだけどなあ。
なお、色盲に関していうと最近は昔よりましになったな、と思うが、
・路線図の色分けなど、表示がわからない
くらいならまだしも、重度の人で
・券売機で券が買えない(黒地に赤の料金表示がかなり目を近づけないと見えないから)
という知人もいた。彼は今でも苦労しているだろう。見やすいのもあるが、未だにその当時と同様に見づらいのが世の中には大分残っている。
・LEDの信号機は黄色と赤が判別しづらい
という人がいるというニュースも見たことがある。赤のところに×が映るようにすれば良いだけで、これは実在する。
そんなこんなで特に結論のない愚痴を1300字くらい書いたが、実は誰に投票するのかはまだ決めていない。投票日は4月7日。選挙公報が配達されていたので、土曜日にでも目を通そうと思う。
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