天愛元年

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新元号『天愛』元年にスタート

手鞠

2020-04-17 14:45:45 | 日記

 10万円一律給付の新聞見出しを見て、即座に朝トイレの中でノートパソコンをネット注文してしまった。誕生日プレゼントに洒落たリュックサックでもと、このコロナ不況時代に合わせて考えていた矢先だったので、渡りに船が来て飛び乗ってしまった。5万円ほど追加出費が必要だけれど、喜ばれる顔を想像するだけで価値がある。えッ、麻生財務相が「手を挙げる方に配る」と述べ、真意は、年金生活者は遠慮するのが常識、という空気だったのか。うーん、常識に従いたいけれど、注文してしまったもんな。まだ、キャンセルが間に合うか、決断にはあと1、2時間が勝負である。
 こんな悩みを抱えながらも、巣ごもり生活に飽きて、牡丹鑑賞に出掛けた。例年ゴールデン・ウイークあたりに行くのだけれど、今年は桜の開花も2週間近く早かったので、どうせ暇なので早立ちした。桜と違って牡丹は季節を誤らなかった。1千株のうち数株しか花開いていなかった。必ずしも日当たりの良いところで早く咲いているわけでなかった。早咲き遅咲きは日照の差よりも、自分にも関係があることだけれど、早漏DNA因子が握っているようである。世間も季節感を守って、人出は極めて疎らで、ソーシャル・ディスタンスは完璧に守られていた。
 物足りなかったので、花のはしごをした。今度はアジサイのような緑の花。アジサイは自分の家のも、広く一般のも、晩春か初夏に咲いて、背丈はせいぜい2-3メートルまで。うちらで咲いた後は、ばつばつに切って、枯れたような細幹となって冬を越す。ところがご近所のこのアジサイは、樹木となって八重桜のように咲く。毬のような花の形から、コデマリ、オオデマリの親分かもしれない。テマリの丸い花は、今まで白いのしか見た記憶がないけれど、此処のは緑色、というのが見た目キュートである。孫が好きな色の鉛筆で描いた花の絵が、実際に現れたような幻想感というか、非現実感のある花様である。華のある女でいえば、『麻雀放浪記』に出ていた加賀まりこのような感じかな。今の十把一絡げタレント時代には、あんな悪魔的なオーラのある女優も、大川橋蔵や市川右太衛門、大友柳太郎のような艶も輝きもある役者が居なくなって、また田中みな実の写真集を繰るしかやることがなくなったのは、淋しいことである。
 もっと淋しいのは豊ノ島の引退である。170センチに満たない身長ながら、よくあれだけ圧の強い相撲が取れたものである。相撲勘が鋭いうえ、よほど体を鍛えぬいたのだろう。動き回って、粘り強かった。相撲が面白いだけでなく、人柄が愉快で、角界一のタレントであった。井筒親方となっても、広報担当か何かで、引き続き相撲ファンに向け露出を多くしてほしいものである。

影ふかき
みどりの手鞠
そらに跳ぬ
ぱそこんそふとで
描いてみたばや






力士

2020-04-16 16:14:04 | 日記

 新型コロナウイルス肺炎は英語では、Novel Coronavirus Disease と呼ばれ、novel (新型の)が頭に付く。運悪く東京2020の年の直前に発生し、東京五輪が1年延期されたことに、代表内定選手をはじめ選考途上の選手にとって大変ショッキングな出来事である。だから、自分を励ます意味でも、競技開催を中止せざるを得ずエネルギーと時間を持て余した有名選手が、露出を多くして一般市民向けに、ともにこの難局を乗り切ろうと呼び掛ける姿が目立つ。しかし、 novel (小説)の小説家たちは一体何をしているのだろうか。言葉を武器、商売道具としているのに、そのプロたちから一向に声が上がらない。むかしは、社会の一大事が起きると何とか作家協会の面々が立ち上がって行動を起こしたと記憶する。今頃は、本が読まれなくなったなあとか、売れなくなったことを嘆いているだけなのか。役所とか専門家とかマスメディアの言葉が、猿が初めて火を見た時のように混乱を極めているので、こういう時こそ文明史論的に人々の心の持ちようについて一言あってしかるべきだと思うけれど、趨勢を見極めながら数年後の自作のネタに用いるしかないのであろうか。文芸評論的には、仲間褒めなのか時代を見据えた鋭い目の作品がいっぱいあったように思うけれど、今こそその鋭い眼光を放つ時だと思われる。
 一般社会においてタブーとされることを平気で破ってしまう心理はどういうものだろう。禁止薬物は、犯罪になることを分かっていながら手を染めるのは、体験がないので想像でしかないけれど、飲酒の類推からは、体が求める衝動なのだろう。性行為も、普通はあるまじき相手と交わるのは、やはり同様の衝動の為せる業であると思う。喧嘩、暴力の類いは、感情の暴発に誘引された衝動の結果、惹き起こされるのだろう。これらは共通してTPOに関わりなく、あらゆる局面で許されざる行為と一般には見做されている。しかし、共同社会においてあからさまに白昼堂々とやることは許されない行為でも、例えば痰、唾を吐いたり、小便を垂れたり、屁をこいたりすることは、TPOさえ守れば、例えば痰壺の中とか、トイレの中だったりすると、許されるどころか、誰もやることで普通の行為となる。以上のこれら、誰もが目前に遭遇すれば非難したくなるような行為とは異なり、普段の生活の振る舞いでも、場所柄、日柄を間違えると禁忌とされる行為がある。葬儀の場で久しぶりに会った人と大声で楽しく談笑したり、新作映画の内容を批評、公言したりすると、周りから顰蹙を買う。だから大概の人は節度を守る。しかし、中にはこの節度が理解できず、共同社会の中に1人や2人は必ず、共通のお約束事を守れない人が出てくる。新型コロナウイルス感染防止は、1人が努力しても意味がなく、みんなで媒介しないよう協力しなければならないのに、不要不急の集まりや遠出は避けましょうと呼び掛けても、芸能人らを集めて会員制レストランで会食したり、遠方の行事に出掛けてしまうのは、人並み以上に人目を憚らなくてはならない存在として、どう理解したらいいのだろう。その心底を推し測ると、性の渇き、あるいは餓えからくる奇矯な行動としか説明できないように思う。別に公人でもあるまいし、私人の事をあげつらうのは余計なことだけれど、気にしたくなくても目立つし、その公的性を楽しんでいる風なので、感想を述べるくらいは構わないだろう。

平時には
厳めしき人
修羅場には
腰も言葉も
浮き立つあはれ


二枚

2020-04-15 13:14:05 | 日記

 日本郵便(6178)が15日から当日の再配達を中止か。マスク2枚配達を政府から受注した特需で忙しうてやってられんのやろなあ。やっぱりコロナ警戒によるソーシャルディスタンシング時代は、ネット通販関連とクロネコヤマト(9064)などの宅配便業者株を買っとかんとあかんな。
 お上からマスク2枚が届く前に、やっと我が家では今朝からトイレットペーパーが2枚重ねになった。この前、まだトイレ紙が店の棚に残っていると喜んで買ったら、シングルやった。尻を拭いているうちに、破れて指に付いたり、下手すると爪との間に入り込んで、往生していた。匂い消しに窓辺にプランターのフリージアを切って瓶に活けておいたけれど、なかなか追い付かんかった。花の色も似ていて気になっていた。これで安心や。
 野党の国会議員(立憲民主党の高井崇志衆院議員)が緊急事態宣言後の9日に東京新宿・歌舞伎町の「セクシーキャバクラ」で遊んでいたとか。こっちかて行きたいのはやまやまでも、ビビッて様子見しているのに、エエ度胸や。これくらいでないと国政なんか論じられないわ。安倍晋三首相の星野源とのコラボ動画に負けないくらい、世の中の停滞した空気を突き破っている。天晴れ、とはこういう時に使う言葉か。政権与党新聞の読売の全国世論調査(11-12日実施)で、安倍内閣支持率が42%と高位安定しているのは、一見社内調査かと考えたけれど、実際は代わるに値しない人材しかどこを向いても居ない、無気力諦観が世の中を支配しているからなんやろな。村山社会党連立政権も鳩山、菅らの民主党政権も煎じ詰めれば、官僚と官公労による公務員共闘路線やった。毎夏、各地で繰り広げられるよさこい祭りのように、数日無邪気に踊り楽しんだ後は、代り映えのしない現実が待ち受けていた。南無阿弥陀仏。
 1929年の世界大恐慌に至る前史を描いた『オンリー・イエスタデイ』(F・L・アレン著)の続編の『シンス・イエスタデイ』(藤久ミネ訳、筑摩書房)には、どんなに悲惨な状況に大勢が陥っていても、明るく朗らかで、暗い面には目を向けない、逞しい人々の群像が描かれている。
 「小型強気市場の絶頂期でさえも、街には無料食料の配給を待つ人の列ができていた。三月にニューヨーク州産業委員のフランシス・パーキンスは、州が統計を取り始めて以来、失業は最悪状態だと発表した。あちらこちらの都市で、何百何千という失業者が彼らの窮状をドラマティックに訴えようと悲壮な行進を行ったが、警官によって冷酷に追い払われただけだった。四月に、景気指標は再び下降に転じ、株式市場も同様に下降した。五月、六月と、市場は情け容赦なく暴落した。が、フーヴァー(大統領)はその顔に凄みのある微笑を張り付けたまま、『われわれは最悪の時期を通過した。努力を続けていくならば、回復は速やかにやってくる』と言明して、秋までに実業界は正常に戻るであろうと予告したーまさに、その秋にこそ、長い、過酷な、胸も潰れるようなアメリカ経済界の下降がもう一度始まったのである。」(P33)
 「高額所得者の多くは、新聞記事としては読んでいても、失業問題の目に見える兆候を感じ取ってはいなかった。彼らがそれに気づくのは、ようやく1930年秋になって、豊作によるリンゴの供給過剰を持て余した国際リンゴ積荷協会が一計を案じ、小売価格一個5セントのリンゴを卸値で失業者に貸し与えたため、にわかにどこの街角にも寒さに震えながらリンゴ売りが目立つようになったのを見てからのことである。」(P34)
 外出自粛のつれづれに、Amazonプライムビデオの無料映画で『モスラ対ゴジラ』(1964年公開)を見たら、お役所仕事を皮肉りながら、「すぐで半年、良かろうで2年、審議審議で5-6年」と言っていた。映画内容も、セリフも、あまり古さを感じないと思った。忖度、忖度といって改竄、破棄、口裏合わせが繰り返され、表向き恐れられているようで、その実は官僚組織に法案作成、予算財政の肝をがっちり握られた、残りのあぶく銭を巡って、ゴジラやモスラのように無邪気に暴れ回っているのが、安倍政権の実態ではなかろうか。
 
看取られず
りんごの花が
散つたとさ
役所の手の上
踊るおとど哉


出口

2020-04-14 18:38:50 | 日記

 アメリカではコロナ感染の先頭を独走しているのに、早くも出口戦略を検討し始めた。トランプ大統領が人と人との距離を離す感染対策行動指示を緩和する方策を数日中に発表する予定であり、経済活動の正常化も5月1日の計画より早めに実施したい意向のようである。大丈夫かなとも思うけれど、彼の国ではポスト・コロナ時代(a post-crisis era)に向けて走り出そうとしている。そういうムードを受けてか、本日の東京株式市場は前日比595円高とアクセルを踏みだした。外出自粛に伴う自宅消費の盛り上がりを囃して、東邦瓦斯(9533)は一時前日比130円高の5290円と上場来高値を付けた。大不況、大失業時代の到来と恐れられているこの時期に、上場来高値を更新とは、市場はトンネルの先に光明を見出す天分があるものだと感心する。頭をひねりながら散歩に出ると、ゆらゆら眼を射るものに気付いた。楓の若葉の目に染み入る薄緑だった。歩けば実際に光明も出口も見付かるものだと納得した。家に帰ると、会社から郵便が届いており、解雇通知かと不安がりながら開封すると給与明細書であった。先兵としてコロナの最前線に立っているので、危険手当でも付いていないかと期待したけれど、相変わらず約3万円だった。感染さえしなければ、自然の光明だけで満足しようと思う。

常ならば
秋こそ愛づれ
かへで葉よ
ころな消えゆく
兆しなれかし






葉書

2020-04-13 17:47:09 | 日記

 自宅コロナ蟄居していると、郷里の姉夫妻から見舞いはがきが届いた。平生は年賀状とお中元の礼状しか遣り取りしないのに、知らないうちに感染して死んでいるのを心配してくれたのか、お互いに引きこもり生活でやることがなくて思い出してくれたのか、どちらにしても有り難いことである。とっくに悠々自適の年金生活に入っていて、映画とか、演奏会、地元市主催の文化講演会、旅行が楽しみだったのに、行けなくなったのを嘆いていた。でも二人とも絵画を、水彩でも油絵でも趣味としていて、なかなかの出来栄えなのが羨ましい。閉じこもって鼻毛を抜くくらいしか能のない者と雲泥の差である。まあ、向こうが飲まない酒がこちらは好きなので、その分は取り返せている。老々姉弟なので肝が自然と座っていて、改定以前の62円ハガキで堂々と届いた。ころころ変わる世間の小事にあまり拘りが無くなったのだろう。郵便局も面倒くさくなったのか、普通に投函されていた。こっちも手元に62円ハガキしかなく、しらばっくれても良かったけれど、中には小うるさい人間がいて、相手に思わぬ迷惑が掛かってもいけないので、不足分の切手を貼って出した。ただ、運悪く1円のがなく、10円切手しかなかったのが悔しかった。これだけ大盤振る舞いをしたのだから、次回も62円で届いても、郵便局は大目に見てほしい。
 雨風が強くて寒さがぶり返してきた。テレビで映画などを見てうつらうつらしていると、くしゃみが出た。この時期に風邪など引くと、買い物に行って怪しまれるといけないので、またストーブを出して点けた。用心ばかりして退屈な毎日の割には、時間の経つのは速く、取り留めもなく日が暮れる。飲まない日は翌朝まで眠れるのに、飲むと夜中に目が覚め、肝臓辺りが重だるい。今晩は止めようと決心しても、夕方が早く来るので、つい繰り返してしまう。こんな状況下で病院は頼れないと、気を引き締めるしかない。
 新型コロナウイルス感染者数が最悪のアメリカが、5月1日には経済活動を正常に戻す方針という。ピークアウトの感触を掴んでいるのであろう。ぜひそうあってほしい。しかし、ずたずたになったサプライチェーンをどう立て直していくか、ポスト・コロナ時代の新産業地図を塗り替える陣取り合戦が熾烈を極めるのではないか。日本は習い性になった様子見と技術導入による価格戦争路線ではもう通用しないので、ぜひ独自の新しい技術を開発して割り込んでいってほしいものである。

ころなごもり
春の雨風
うら寒く
木香薔薇も
薫り淡かり