天愛元年

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新元号『天愛』元年にスタート

一握

2020-04-10 16:17:12 | 日記

 コロナ自粛も飽きてきた。かといって旅行に出たり、居酒屋に行く勇気もない。やっぱり家の周りを散歩するしかない。これまでは、向こうから人が来れば相手がよけるのを待っていたものだけれど、今は距離を置くため自分から先に避けるようになった。
 ソメイヨシノが終わったと思ったら、散歩道の人の家の八重桜が盛りとなった。花がむっちりと枝が撓むくらい重量感があって、こちらの方が桜の女王様である。野の花のスミレに対してパンジーのようなものか。プランターのパンジーを見ていると、新型コロナウイルスの顕微鏡図に見えてくるから、嫌な世の中になったものである。
 コロナ疲れを忘れるために散歩に出るのに、どうしても思考がコロナに纏わり付かれる。なぜ47都道府県中、岩手と鳥取の2県が感染から逃れられるのか。難問過ぎて東大クイズ王にも解けないだろう。それどころかアインシュタインでも、仲邑菫や藤井聡太だって敵わないのではないか。
 ところが、私には解明できた。新型コロナ菌は岩とか砂とか、無機質な物質には憑り付けないのではないか。岩手県と鳥取砂丘には、苦手だったのである。ここに一人の人物が登場する。石川啄木である。岩手県盛岡市出身の詩歌人で、歌集の代表作が『一握の砂』である。

 高きより飛び下りるごとき心もて
 この一生を
 終るすべなきか

 何処やらに沢山の人が争ひて
 鬮(くじ)引くごとし
 われも引きたし

 腕拱(く)みて
 このごろ思ふ
 大いなる敵目の前に躍り出でよと

---などの序歌のあと、有名な巻頭歌

 東海の小島の磯の白砂に
 われ泣きぬれて
 蟹とたはむる

と、「砂」の歌が始まる。続いて、

 頬(ほ)につたふ
 なみだのごはず
 一握の砂を示しし人を忘れず

と、タイトルの歌が現れる。続いて、

 大海にむかひて一人
 七八日(ななやうか)
 泣きなむとすと家を出でにき

 いたく錆びしピストル出でぬ
 砂山の
 砂を指もて掘りてありしに

 ひと夜さに嵐来りて築きたる
 この砂山は
 何の墓ぞも

 砂山の砂に腹這ひ
 初恋の
 いたみを遠くおもひ出づる日

 砂山の裾によこたはる流木に
 あたり見まはし
 物言ひてみる

 いのちなき砂のかなしさよ
 さらさらと
 握れば指のあひだより落つ

 しつとりと
 なみだを吸へる砂の玉
 なみだは重きものにしあるかな

 大といふ字を百あまり
 砂に書き
 死ぬことをやめて帰り来れり

と、「砂」の連作に進む。さらに、

 知らぬ家たたき起こして
 遁げ来るがおもしろかりし
 昔の恋ひしき

 朝はやく
 婚期を過ぎし妹の
 恋文めける文を読めけり

と、秀歌が続き、

 はたらけど
 はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり
 ぢつと手を見る

 友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
 花を買ひ来て
 妻としたしむ

と、有名歌が並び、最後に

 やとばかり
 桂首相に手とられし夢みて覚めぬ
 秋の夜の二時





岩と砂
ころなの苦手
投げつけて
鳥を取るごと
搦め捕らなむ