天愛元年

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新元号『天愛』元年にスタート

木花

2020-04-24 17:11:28 | 日記

 映画にも喫茶店にも風俗にも行けずに、暇を持て余して野山を歩き廻ると、日ごろ気付かない発見に出遭える。きょうは花が満開のモミジを見付けた。これをホントの椛と言うのかと感動した。世界で私が初めて発見したのかと興奮して、印象をまとめてネイチャー誌に書き送って、あわよくばノーベル賞と思ったけれど、念のためにググったら4月に普通に咲くと載っていた。
 そんなことにめげずに、さらに野山を跋渉すると、今度はハンカチの木に遭遇した。新型コロナが蔓延して世の中は不幸のどん底にあるのに、梢にハンカチがひらひら揺らめいているのは、何の誰に対する合図か、想像もつかなかった。黄色でなく白っぽかったから、あまり幸せのしるし、とも言えそうにない。ハンカチの真ん中に、梅干しの種のような物を包んでいるのが特徴であった。夢が壊れないよう、ググったりも図鑑で調べたりもしないでおこう。とにかく、ヤマボウシとの混同ではないことは確かである。
 ゴールデンウイークだかステイホーム週だかに近づくと、新緑の季節と言われる。条件反射的に、目に青葉 山ほととぎす 初かつを の句が口をついて出る候である。単に爽やかさだけでなく、躍動感が溢れて来もする。3月初旬の啓蟄からもっこり這いだした情念の虫が、撥ち切れんばかりに成長してくる。昔、大学に進学して故郷を離れ、男子寮で揉まれているうち、何の発作だったのか、学校でほとんど話したことのない同級生女子に便箋5枚ほどにわたりたっぷりラブレターを送った。冷静になれば当たり前のことであるけれど、梨のつぶてだった。長い間にいろいろ恥っさらしをやってしまったけれど、自分史において取り消したい行いランキング1位に当たる。だからこの季節になると、若葉がいつも爽やかな緑とは限らない、と苦々しく思い返したりしていたものだけれど、実際に歩いてみると、若葉にも朱いのや、深紅や、黄いろなど、いろいろあることに気付いた。
 今まで雑に生きてきた。周辺の風景がただすり抜けてゆき、心に何の喚起もされなかった。著名人のコロナ死が発症から2週間くらいの、心の準備も整わない突然のものであると分かると、これが今生の見納めくらいの気合いを入れて、風物、人情に感じ入らないと損だと思うようになった。事故死以上にアトランダムかつ非情に、ウイルスの意思の選択を受ける。
 しかし、ロシアン・ルーレットに空砲があるように、ぶち当たってもサドンデスでなく、ウイルス活動に打ち勝ち潜在化させるチャンスもあるところに、このゲームのルールの複雑さがある。サバイバルの可能性があると言って、自己免疫に懸けるのは愚かである。
 三密をお経のように唱えれば事が済むと考えている、国際比較上断然程度の低いこの国の政治・行政、医療専門家、医療従事者の三愚が、元々崩壊している我が国の医療レベルを弥縫するため、とにかく検査を忌避して現実を隠蔽し、選別された以外の新型コロナウイルス肺炎感染者を自然治癒に任せる、およそ非人道的な診療体制を取っている限りは、騙されて自宅待機などしていると、家族、親戚に病魔を蔓延させるだけなので、まず自己隔離を図らなければならない。自覚症状を感じれば私は身内の感染を避けるため、検査も隔離施設も期待できないので、まず家を離れ、旅に出る準備を整えている。

木は優し
朱、黄、紅に
色を変へ
死出を見送る
はんかちを振り










旬筍

2020-04-23 16:43:46 | 日記

 京タケノコの中でも名品中の逸品と言われる嵯峨野筍の旬を送ってもらったので、炊き込みご飯と煮物と山椒の木の実和えにして食べたら、苦しうなるくらい美味しかった。あの先の尖った攻める形状と味のえぐみから、魔除け、毒消し、菌退治の効能があるとされ、COVID-19にはアビガンより効く感じがした。もりもり元気が出てきたのと退屈しのぎに、きょうの散歩はついつい足が伸び、約3時間、2万歩近くになった。牡丹も旬の到来となり、山、里、野の処々に妍を競っていた。ふと、地球がいとおしい気持ちが沸き起こり、イスラム教徒のように大地にキスをするわけではないけれど、名残惜しさを感じた。まさか、罹ってしまい、死期が近づいた予感がなせる業でなければ良いと思う。

名残惜し
この世のつとに
牡丹遊山
散り敷くむしろ
宴に御座れ








開幕

2020-04-22 15:57:02 | 日記

 「台湾野球 世界で盛況」(読売新聞)かあ。今月12日に開幕し、15日の楽天モンキーズのサヨナラホームラン・シーンは私の目にも焼き付いている。もちろん無観客だけれど、観客席のデコイとか、応援チア・ダンサーとか、選手にとっても視聴者にとっても元気が出て、楽しめる工夫が凝らされている。日本の風習では前例踏襲、利権優先でがんじがらめとなっていて、他所でやっていて、ボスの了解を得て、利害調整にたっぷり時日を掛けてからでないと実施できない構造になっているから、新しい試みは望むべくもない。別に野球に限ったことでなく、政治、行政、経済、地域コミュニティーすべてにわたって硬直社会になって、周回遅れの真似しかできない。
 韓国プロ野球も5月5日に開幕するらしい。両国とも、新型コロナウイルス感染の峠を越えた自信からくるものだろう。野球一つにとっても、いかに早く不自由から逃れ、楽しめるかは、彼我の医療技術知識レベルの格差が現実となって表れる。日本では新しい事態に対処するには、何でも海外の様子を窺うだけで、神風を祈るしか行動に移せない。医療行政、医療専門家、医療従事者は、努力の汗は流すけれど、知恵は一向に流れてこない。やってます、けれど、やれてません。クラスター潰しだと大見えを切って、その実、自然消滅を祈って検査等やるべきことを先送りし続け、政治、行政も総合判断ができず鵜呑みにし、非常事態宣言を先延ばしし、これで週内かゴールデンウイーク前に感染ピークを越していなければ、腹切りものである。信じ難いことに、コロナ感染死者数が感染源の中国と国境を接する韓国より日本が上回ったとの報道がある。誤報でしかあり得ない。万一、こんな馬鹿なことが実際ならば、汚い腹を見せてもらわなくて結構だが、関係者一同、総退陣は責任上免れまい。
 自宅三昧の暇しのぎにプライムビデオで白黒のオールド映画『心の旅路』を見たら大当たりだった。「第1次大戦の後遺症で記憶喪失になった男」がポーラという踊り子に助けられる、という案内文を読んで、無理のある設定が途中で破綻して見続ける気を失くすだろうなと思っていた。ところが、フランス戦線での負傷で記憶障害を受け、治療リハビリのため知らぬ間に送られたイギリス中部の精神科病院から、第1次大戦終結を喜ぶ騒ぎのどさくさに抜け出し、踊り子に巡り合い、逃避行の間に結婚して3年が過ぎてからの展開が、もどかしくも切なく、飽きさせない構成になっていた。文筆の仕事を始め、1人で街に出た際に交通事故に遭い、その瞬間に元の記憶が戻った一方、3年間の記憶が飛んだ。なぜ事故現場にいるのか理解できず、仕方なく生家に帰り、遺産を相続し、事業に成功し、女性秘書を雇う。その秘書が元妻だったのだが、男は大実業家となり、英国国会議員に当選し、栄達の道を歩む過程で、体面上独り者で居られなくなり、2人は結ばれ、共同生活を始める。しかし、男にとっては初めての結婚であり、以前の結婚相手である自分を思い出してもらえない妻は苦悩する。これ以上はネタバレで伏せたいけれど、最後のキスシーンは、日本の芸能人だと実生活でも結婚にゴールインしてしまうことが有り勝ちなねちっこい物と異なり、映画史上最も美しいキスだった。この英国を舞台にした米メトロ・ゴールドウィン・メイヤー社製作のラブロマンスが羨ましいのは、公開が1942年であり、日本が一か八かの真珠湾攻撃を仕掛けたものの、ミッドウエー海戦の大敗を境に転げ落ちてゆく最中に、優雅に作られたことである。ちなみに同年公開の日本映画は『ハワイ・マレー沖海戦』『父ありき』『将軍と参謀と兵』(以上、日本映画雑誌協会ベスト1-3位)などであった。

ラブストーリー
楽しむ敵に
こぶし挙げ
つぼを外して
あなづらるかな


栄養

2020-04-21 14:08:58 | 日記

 WTI原油先物価格がマイナスを記録か。世界の自宅待機時代には無用の長物だから仕方ない。アメリカ各州での外出自粛反対パレードもこういうことで切羽詰まっての事だろう。それを伝える記事に私は;
Let's look at the social experiments. Then we'll follow suit.
―と書き送った。進も地獄、退くも地獄の世の中に逃げ場はない。
 志村けんさんの教訓は、甘く見ても死の病であることが、目に見えない敵と戦う場合には、よく理解できないことである。と言っても、これに限ったことでなく、交通事故も、雪崩も、地震も、足の踏み外しも、急性アル中も、行住坐臥起こりうることで、一寸先には闇が待ち構え、七人の敵に取り囲まれている現実を、改めて思い知るだけである。とにかく生き残るためには、頭から布団を被って何カ月もじっとしてられるわけではないので、軽微にうつされることを前提に、普段よりビタミン、栄養をつけて体力で乗り切ることだと覚悟している。隣町の娘の連絡では、酒の飲み過ぎは免疫力を弱めると注意していた。1杯で止めるのが一番難しいので、2杯まで許してもらおう。
 先は読めないから誰にも言えない。でも記録は残っている。『シンス・イエスタデイ』(F・L・アレン著、藤久ミネ訳、筑摩書房)によると、1929年まで繁栄を謳歌したニューヨーク株式市場の代表銘柄アメリカン・テレフォン株は9月3日の高値304ドルから、大恐慌の幕が切って落とされて2カ月余りの11月13日には197ドル25セントまで暴落した。下落率35%の大痛手だった。しかし、これは序幕というか、大恐慌劇団の座長による舞台挨拶、前口上に過ぎなかった。当然、フーヴァー大統領以下、政府閣僚は鳩首協議し、主要金融機関は共同買い上げ機関を設けて、今の日銀ETFとGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)のように、必死に買い支えた。そこで相場は落ち着きを取り戻し、底打ち反転した。かに見えたものの、世界大戦の後始末に迷走する欧州の混乱や世界金融の不安定さは激しさを増し、ヒトラーがドイツ政権を掌握する前夜の1932年にはアメリカン・テレフォンは70ドル25セントの安値を記録した。高値から77%の下落だった。しかし、まだ軽い方であった。GEは29年9月3日高値396.25ドルから32年には34ドルまで91%下落、GMは同72.75ドルから7.625ドルまで90%下落した。それでもまだ優良株であった。ラジオ株は同高値101ドルから32年安値の2.5ドルまで、ほぼ消えかかるほどの2.5%に縮小した。
 新型コロナウイルス肺炎感染も第2波、第3波が警戒されている。これはペスト以来の感染症の歴史と経験があるから、比較的予測がつきやすい。しかし経済金融の方面は、数理的な仮説理論の美しさを追究するあまり、余計な実態を大胆に捨象する傾向にあり、予測はほとんど当てにならない。選り取り見取りのチャートを駆使して底を打ったと確信すれば、その信念と勇気を行動に移すしかないであろう。
 株式や為替市場はどんなに危険や冒険が付きまとっても、実際にゲームが行われているから幸せである。ソーシャル・ディスタンス(social distance )とは真逆のソーシャル・エンゲージメント( socisl engagement )が基本となるスポーツは、市場が開けないのだから悲惨である。7月24日の東京五輪開幕に照準を合わせて身体を作っていた選手には、気の毒としか言いようがない。ストリップ小屋に客が1人も居なかった時の踊り子さんみたいに、誰に何を見せていいのか戸惑っているだろう。しかし、もっと困っているのが、常々は踊り子さんには手を出さないようにと呼び掛けている場内整理のようなスポーツ紙誌のライターである。懐かしの甲子園名場面とか栃錦対若乃花の名勝負など、蔵から埃を払って下手に咳が出ないよう注意しながら取り出してきた、骨董品でお茶を濁してきたけれど、ついに本日、ニューフェイス長嶋茂雄が日本球界一の大投手金田正一に4三振を喫したデブビュー戦の巻が登場した。こういうのは為替株式相場と違って、予想が当たっても嬉しくも何ともない。
 こうなれば、テレビ、新聞の編集権は視聴者、読者に渡すべきである。私ならNHKに緒形拳の『太閤記』を再放送してもらいたい。信長役の高橋幸治がいまだに信長のイメージとして離れない。藤村志保も艶っぽく瑞々しくて良かった。それともう一つ、局は忘れたけれど、栗塚旭の『燃えよ剣』もお願い。3つまで許されるなら『岸辺のアルバム』。八千草薫のさまよえる微妙な心の演技に惹きつけられたなあ。

肉食らひ
酒は控えめ
家の内
十万籠城
兵糧いつまで


千三

2020-04-19 12:16:00 | 日記

 コロナとマスクには飽きた。三密(密接、密集、密閉)と医療崩壊という妖怪が徘徊して、互いに我田引水し合っている。三密なんて誰が言いだしたのか知らないけれど、安倍晋三首相がよく仰る印象操作が世界的にピタッと嵌ってしまった。各国の事例でロックアウト後に感染拡大がピークアウトしているので、帰納法的にも効能が証明されつつある。当初は空気感染はないと言っていたのが、大旋回した。いずれにしろ、千三つに近い、まやかしだろう。日本の程度の低い医療関係者、専門家にはクラスター信奉者が多いけれど、そんな物に囚われていると、重要な感染経路を見失ってしまう。三密でもキス、性行為までいくと、感染は避けられまい。しかし、菌は残念ながら人体だけが運んでくれるとは限らない。三密回避で予防できるなら、逆に言うと、非常事態宣言までずうっと続けてきた混雑列車通勤によって、感染者が何百万人と発生していなくてはならない。コロナが朝は眠っていて、夜の居酒屋などだけに出没するとは考えにくい。ロックダウンまでしている欧米より感染者が、通勤ラッシュをかいくぐっている日本の方が断然少ないのは奇妙である。クラスターをすり抜けてコロナ菌が自在に侵入していると見ることもできる。人が直接媒介しなくても、郵便物、宅配便が介在したり、恐ろしいので考えたくないのが食品流通の経路である。スーパー、食品店が休業すれば、人々は食い上げとなり、コロナに罹らなくても死ぬ。だから、誰の手を経たとも分からない物に頼らざるを得ない。三密という西方浄土を唱えていれば極楽往生できるわけではなく、生きて行くにはリスクが伴う、その自然条件が少し過酷になったということなのだろう。中国のウェット・マーケットが怪しいとか、米軍が製造したのではないかとか、真犯人を割り出しても、もう人間の手を離れた潜伏の天才なのだから、一網打尽にはできず、痔か腰痛のように騙しだまし、終生付き合っていくしかないようである。

 医療崩壊というのも奇妙な使われ方がされている。非常時だ、国難だ、戦時体制だと騒いでいるのだから、国家資格を与えられた者がこういう時こそ、戦地の従軍医師、看護師並みに滅私奉公してお国に尽くすのは当たり前のことである。医療関係者が感染して医療崩壊を招くのではなく、医療崩壊を省みず最前線で戦わなければ国家免許を剥奪してよろしい。熱のある患者が怖いからといって、救急車で運ばれた重篤急患を看ないのは敵前逃亡の咎により、その対象となりうる。何の為の免許か。皆が小さい頃、お医者さんごっこをして悪戯をした後ろめたさがあるのか、あるいは国家資格に弱いのか、まずお医者さんを隔離しようとするのは道理が逆立ちしているのではないか。海外で実施しているコロナ専用等、緊急事態に適した医療体制の工夫などの話は聞こえてこない。安全な客に無難な薬を処方するだけが医療なら、とっくに崩壊してしまっている。
 東京五輪開催はその時までにコロナ・ワクチンが開発されていなければ現実的でないと、英BBCが伝えたとか。EU離脱の行方の方が大事だろうに、いろいろ心配してもらって有り難う。トランプ米大統領の経済活動再開の号令とか、株式市場のポスト・コロナを見据えた活発さなどを見ると、意外とピークアウトが早くきて、忘れたように鎮静化するシナリオもあり得るけれど、一年先になって、他に心配もあって、取り敢えず熱が冷めた。7月23日に合わせ直した五輪時計は460日を指しており、素人がバサロ泳法を試すように息が続くか心配である。
 
さんみつを
避くよりほかに
術のなき
千三つくすし
昔も今も