自粛の毎日は気が滅入る。緊急事態解除のお祝いも外食を憚って、回転寿司のお持ち帰りにした。娘が訪ねに来てくれても、洗濯に出した冬着が返ってきた時に包んであったビニール袋を頭から被って応対しなければならなかった。いろんな受付とか店舗で透明シートを張って感染対策をするといった無知蒙昧の戯れ事が普通に行われているので、世間レベルに合わせて工夫の一端を示さなくてはならず、嫌な世の中になってしまったものである。10分もしたら息苦しくて気を失いそうになった。もう人生が嫌になった。馬鹿げたことに付き合いきれない。小一時間の散歩以外のステイホームに飽き飽きしたので、きょうは『旗本退屈男』を借りて観ようと思う。主役の市川右太衛門は、水も滴る大川橋蔵をさらにスケールアップした惚れ惚れする役者であった。退屈ばかりもしておれない。競馬の祭典ダービーの午後のファンファーレが待ち遠しい。ふやけた過去の思い出話とか間延びした自主練習とかでなく、生のスポーツはやっぱり魅力がある。穴の神様スポニチの万哲もお手上げとなる衆目一致の大本命は5番コントレイルか。万哲ちゃんが競馬記者を始めて23年目にして初めて一番人気に◎をつける魂を売った屈辱の記念日となるそうである。絶対に従いたくないけれど、逆らうと酷い目に遭いそうな予感がする。対抗は今の時節柄、大失業時代のワークシェアリングという訳有りで3番ワーケアが妥当であろう。しかし、馬単予想が990円位では話にならない。三連単を当てて色を付けたい。今日は皐月晦日の5月31日か。1番サトノインプレッサを加えて、5-3-1だと本日開催の収まりが良い。
なんか昔は無知な人民をオブラートに包んで弄んでいたような気がするけれど、最近は権力者が剥き出しに支配力を振りかざす度合いが強くなってきた。トランプ米大統領は自分の思いを教宣する道具に使ってきたツイッターをシャットダウンしてやろうという構えを見せ始めたし、中国は香港の1国1制度化に舵を切りだした。ちょっとでも甘い所を見せると付け上がりやがるんで、ガツンといわしてやろうという、その筋の怖い人の道を選択したようである。
本邦においては、原発溶融に巨大地震と津波や歴史的な風水害といった大惨事が発生するたびに、国民が恐れおののいて、時の政権にお情けを乞い、従順度が増していくものだから、政権は人民に媚びたりせず、図に乗って遠慮会釈をしなくなった。休業要請やステイホームでにっちもさっちも行かなくなった中小法人や個人事業者の救済のために設けた持続化給付金の運営を、経済産業省肝いりの幽霊法人に任せていたとは恐れ入る。天下に役所多しといえど、ここに限って各執務室のドアに施錠するという奇観の理由がこの辺りにもありそうである。そんな態勢だと、安倍首相が口癖にする「間髪入れずに」給付に結びつくのか疑問である。ご丁寧に「『持続化給付金』を装った詐欺にご注意ください」と呼び掛けているように、本物の給付手続きに手間取っているうちに、詐欺に遭いでもしたら踏んだり蹴ったりである。
また、鳴り物入りの新型コロナウイルス感染症専門家会議については、議事録を作成していないとは、世間の常識と期待に乖離してくれるものである。専門家といっても肩書きは立派そうな人の集まりであっても、出てくる対策は「手洗いを励行しましょう」などと、小学生に先生が話し掛けるような内容なので、実際の討議の中身が恥ずかしくて外に曝したくないのかもしれない。それにしても随分、世間を舐めた態度とは言える。
こうした姿勢が何年続こうとも、掛け替えのない唯一頼れる政権だと評価を落とさず、ひたすらすがってきたのだから、国民の忍耐力もけっこう強靭ではある。しかし、視点を国内に限定することはいつまでも許されない。中国、ロシア、韓国、北朝鮮に米国と、日本を取り巻く海外勢力が体制の強化と勢力の拡張に剥き出しの欲望を強めている折、少しでも隙を見せれば、国家が国民に示す強権を、海外勢力が弱小国に強いてくることは火を見るよりも明らかである。日本は先進国だ、技術国だと夜郎自大になっていても、マイナンバーカードによるオンライン給付申請や感染状況の集計、PCR検査にアベノマスク配布など、日本の行政・専門家の処理能力の程度が海外に知れ渡ってしまった今となっては、待ったなしの危機が迫っていると覚悟した方がいいと思われる。
東京都下の区職員が緊急事態宣言下に営業していた飲食店の建物に「自粛しないと火をつけるぞ」と脅したような事件を見聞きするので、公務員の意識は大体そのようなものだと見当が付いて、或いはひょっとしてと想定はしていたけれど、町の菖蒲園が見頃になったのではと見に出掛けたら、やっぱり立ち入り禁止のロープがぐるっと張り巡らしてあった。天下の名城のほとりにある観光名所並みに、いつの間にか格上げされていた。毎年行くけれど、緊急事態下のスーパーほども混んだことがないのに、まあお節介で興醒めな事である。私有地にして足を踏み入れるべからず、的な張り紙を掲げる近所のオヤジに似て、一歩も関わりたくないので、小便も引っ掛けず黙って引き下がった。伊勢物語第9段の『唐衣』に倣って、各句の頭に「かきつばた」の文字を折り込んで詠んでみた。
(か) 頑なに
(き) 決まり押し付け
(つ) つかさ人
(ば) 花の周りに
(た) 立ちはだかれり
ツイッター投稿が大好きなトランプ米大統領がツイッターに頭に来ているそうである。新型コロナウイルス感染防止のため、来たる大統領選で郵送投票が採用されると自分に不利になると見た同氏が郵送投票なんかしたら不正の元になるとツイートして、論争が勃発した。これに対しツイッター社が、読者に当否を見極めるよう当該投稿にマークを付けた。これに激怒した大統領は、同SNSに厳しい規制を掛けるか、もしくは閉鎖してしまうぞ、と威嚇投稿してしまった。新型コロナウイルス対策のことを「見えざる敵との戦い」とか呼んだりするけれど、米大統領選挙絡みとなると、実戦さながら命懸けの戦争という雰囲気が伝わってくる話である。かつて日本の報道は、同大統領選を他国の事なのにお祭り騒ぎをして取り上げ、民主主義選挙のお手本のように伝えていたけれど、どうも雰囲気が変わってきたようである。現職での弾劾はどうにか逃れたけれど、再選できなかったら、お隣の韓国のように前大統領が訴追される覚悟をしなければならないような、険悪さが漂ってくる。前回選挙から4年近く経っても、オバマ前大統領の肖像画をホワイトハウスに飾る伝統行事を実施していないと伝えられるのも、何か浅ましい印象である。
でも機微も分からず、そんな他人の家の喧嘩に立ち入ろうとは思わない。要は "apply" という英単語が気になっただけである。今朝のNHKラジオ英会話の英作文は、「私たちはチケットをすぐ申し込んだほうがいい。さもないと全部売り切れてしまうから。」が課題だった。模範解答は;
We'd better apply for tickets ASAP. Otherwise, they will all be sold out.
―だった。この apply は半世紀以上前の受験勉強の記憶では、「適応する」とか「応用する」とかで覚えていたけれど、実際には滅多にその意味ではお目に掛かれず、自動詞用法の apply for に何々のポストなどが続いて、「志願する」「応募する」「申し込む」という意味に多く使われるので、難儀な単語だと思っていた。そのココロが伝わったのか、講師の大西先生がパートナーのローザさんに、そのニュアンスを聞いてくださった。答えは、糊付きラベルの sticker だった。そういうことだったのか。それで、トランプ大統領が激怒した原因の;
Twitter applied a fact-check to two of his tweets this week.
―が、付箋を貼るというような意味だと分かった。
しかし、英語は冠詞が難しい。全部売り切れてしまわない前にチケットを申し込むのだから、試験だったら apply for the tickets と回答してしまいそうになるけれど、冠詞が不要なので嫌になる。
また、本日の重要表現の;
We'll have to get it fixed soon. Otherwise, we'll probably both catch a cold.
―(早く《給湯器を》修理してもらわなければいけないね。さもないと、たぶん2人ともかぜをひいてしまうよ)も、 we both ときたら、catch a cold でなく、catch colds ではないのかと変な理屈をこねたくなる。しかし、Let's eat a delicious meal. と同じで、目的語も複数形にすると背中合わせに座って食べる、水臭い感じがするからかもしれない。
ただし、グーグル検索すると、風邪の複数形がないわけではない。例えば;
Be careful not to catch colds! (風邪を引かないよう気を付けて)
You catch colds easily. (よく風邪を引くなあ)
―香港A型、B型とか、いろんなタイプの風邪に注意を向ける場合だそうである。
いろんなタイプと言うと、日刊スポーツの大相撲総選挙の投票が今日から始まって、迷いに迷って、まだ投票できていない。問題の郵送投票でなくクリック投票なので、不正の心配はないけれど、贔屓が多すぎていけない。素直には朝乃山でほとんど固まっているけれど、根っからのファンなのに、便乗組だと誤解されないか心配だからである。
腕づくの
親方あはれ
倒す敵
無ければ影を
追ひて吠ゆのみ
最近は見えざる敵の襲来に脅える日が続き、自粛に萎縮の毎日を過ごさざるを得なかった。一番恐怖に感じたのは、感染者に唾を吐きかけられたタクシー運転手が亡くなったことであった。昨日までは。しかし、埼玉県深谷市立中学校でアベノマスクの着用を生徒に強要するプリントが配布された事を告げるツイッターが投稿されると、この奇妙奇天烈な行為が拡散されるのを抹殺するかのように、その方のアカウントが強制削除されたニュースを今日知り、それ以上に絶望的な怖さを味わった。唾は感染して自暴自棄になって無差別に襲ったと推測されるけれど、この件は闇討ち的に特定個人を狙って仕留めたところに、抹殺を業とするスナイパーのような無気味さというより、凶悪さを感じた。1週間ほど前に検閲の強化が宣言されたあと、標的になる前に私は投稿を止めた。しかし、ここまで徹底しているとは、余程裏筋で毒が回っていることが実感された。そもそも一般投稿の振りをしながら、だれかの肩を持つ編集をしているとは自己撞着である。限界が見え、長く続くとは思えない。
自粛解除の証に、焼き鳥屋でタレセットを買ってきた。今晩はビールとワインと日本酒の3種混合セットで祝杯を挙げることにする。日本はコロナに打ち勝ったぞぅ~。
気分を引き締める意味で、その前に、まず茶と花に打ち込み、精神を集中した。散歩の道すがら、路傍の気品ある草を頂戴してきた。活けてみて、自分ながら利休の衣鉢を継いでいるな、と再確認した。
はかりごと
闇にはびこる
道の辺に
麗しく生ふ
草を活けたり
う~ん、自粛解除を合図に、川面の群れ鳥が一斉に天空に飛翔した感じやなあ。ANA(9202)が前場に前週末比158.5円高の2555円まで一時6.6%上昇、後場はさらに上げ足を速めている。日本航空(9201)は同144.5円高の2031円まで同7.7%も上げ、後場も一段高となっている。昔、『私をスキーに連れてって』という映画があったけれど、ステイホームで溜まりに溜まった国民感情は「私をどこにでも連れてって」という気分なのか。行けいけドンドンと、バンドワゴンの笛太鼓が鳴り響いてくるようである。やはり景気のいいことは、そこらの淀んだ空気を吹き払ってくれて素晴らしい。ついでにコロナウイルスも吹き飛ばしてくれると、誰も何も文句はなくなる。
誰も、自分の前途も、株式市場の先行きも、新型コロナウイルス肺炎の帰趨も読むのは難しいけれど、現状に限れば中間決算を纏めることができる。安倍政権は感染発生国中国の習近平国家主席の来日に拘わり、ギリギリまで入出国、検疫を強化しなかった。東京五輪開催にマイナスとならないよう、国内感染者数を抑えるため、PCR検査を極力絞ってきた。その結果、感染・死者数の国際比較から見て、上々の成果を得た。通期決算でもこの調子が持続することが期待されている。しかし決算はPL(損益計算書)だけでなく、BS(貸借対照表)もCF(キャッシュフロー計算書)ある。中間で成績の良い損益を得るために、クラスター追跡という手法を用い、一般の検査要望者を切り捨てた。純資産を良く見せるために、負債の部を絞っていないか。仕入れを閉ざし、在庫の払い出しだけで営業キャッシュフローを見栄え良くしていないか。次の投資を怠り、投資キャッシュフローを歪めていないか。検証しつつ、仕上げの決算を待たなければならない。
NHKラジオ古典講読は前回の鴨長明から楽しみにしていたけれど、「更級日記」は上総の国から京への旅の部分までは面白かったけれど、全体のトーンの模倣と繰り言は性に合わないな。繰り言なら「蜻蛉日記」の方が起承転結がはっきりしていて読みやすそうな気がする。それに第4回目の富士川の辺りまで興味を持ったのに、何回か聞けなくて次にダイヤルを合わせたら、初回を放送していたのに面食らった。ガクッときて、前半はもう止めた。後半の「和泉式部日記」に期待しよう。歌は上手いし、行動は破天荒やし、他の人を誰も知っているわけではないけれど、和泉式部だけは日本文化の奇跡として、吉高由里子以上に憧れている。在原業平と双璧として輝いている。大河ドラマも行き詰って、ただ続けているだけの存在になっているなら、こういうところに目を着けてほしいな。
空晴れぬ
風もほどよし
いづくにも
われを連れ出せ
まこと思はば