天愛元年

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新元号『天愛』元年にスタート

2019-07-09 16:01:04 | 日記
隣町の娘から夏休みに家族旅行する間、飼っているパピヨン犬を預けたいと言ってきた。子猫の方なら相性が良いので大歓迎だと言ったら、猫は1日くらい放っておいても大丈夫だけれど、犬の散歩は1日も欠かせないとのことだった。犬の仲間で最低に騒々しく落ち着きのないパピヨンに朝早くから付き合い、立小便させ、ウンチの後始末をさせるのか、クソッ!
何も残すものも、伝えるものもない老残というのは、無残なものである。近所をはじめ他人様から鬱陶しいと思われ、身内からも厄介者扱いされるから、目立たないよう息を潜めるように生きていかなければならない。中には神経が通っていないのか、傍目を一向に気にしない人も居るけど、自分には真似ができず、俯き加減、伏し目勝ちが習い性となってきた。何の知才もないのに食べてゆくためには、適当に世間様の見様見真似でやり過ごしてきたので、当座凌ぎが終わると、経験豊かなはずの老後に、しっかり身に付いたものが何もないことに驚く。でも、残りを生きなくてはならない。人と関わりを持つと、中身の無さを曝け出して恥を掻く。結局、付き合うべきは自分だけとなる。しかし、内に向かって個を鍛え上げるほど、哲学的思考力というものがからきし備わっていない。そこで、外を空想で満たし、念力で動かすように想像するしか楽しみはない。しかし、声に出すと世間に漏れて、虚の世界で達成できる物事が妨げられる。だから、人には一切相談すべきでない。自分で企画し、演出し、舞台に立ち、観客席に座れば、首尾一貫し、完成もできる。そんなものは土台、他人様に表現できる構想ではない。自分だけ納得できれば良い。そうはいっても、秀吉のように実行に移せる計略ではないので、何か痕跡を残すためには言葉を置かなければならない。朝起きて、飯を食って、寝て、また起きるまでの日常が、教科書に模範例を載せればそれで足りるというほど、人によって一通りでない。けさは錦織圭が4回戦を突破し、いよいよフェデラーとのベスト8戦に進めるようになった一戦を、日本人なら誰しもがテレビ観戦したであろうけれど、自分はそのあと一日中眠たいという感覚をいかに表現し、残して置くかは、けっこう難しい課題である。そういう苦労を繰り返していると、虚しい老後も湿らずに、あっという間に過ぎていく。むしろ、これで大相撲が毎月興行になりでもすれば忙し過ぎるので、年6場所で充分である。ホントは過密日程で怪我人が多いお相撲さんにとっては「1年を20日で暮らすよい男」にしてあげたらいいのだけれど、娯楽の多い今の世の中では忘れ去られてしまいそうなので、我慢して太く短く頑張ってください。

相撲観て 星を書き入れ ひと日老ゆ
粘り腰なき 身支度かな