カミノアナログ

POGに命を削る日々を綴る「紙の穴」ブログ編。ドラフト終了までは日当たりアクセス100以下に抑えたいんで、ご協力よろ。

山内研二厩舎研究 II

2009-04-08 | pog-stable
厩舎研究も更新すべく作業している。キリがいいので、今期のダービーと来期のドラフトが終わってから、今期までの5年分で集計しようかと。
(血統分析と並行すると時間が足りないので、TARGET使いで協力してくれる人がいれば、データの加工集計ファイル+私撰馬ドラフト版提供しますよ。連絡よろ。)

とりあえず山内馬にさんざんお世話になった者として、これだけは貼っておくか。
こっちにある古いデータに2002年産駒を加えたものがこれ。
2004年JRA全国リーディング 15位の栗東・山内研二厩舎はダービールールのPOGではどうだったのか。1997~2002年生世代(6世代)をダービーまでの期間でそれぞれ集計した。

全体成績 >
  通算 119-89-68-416/692  勝率 17% 連対率 30% 複勝率 40%
  期間内重賞 12-9-6-62/89  勝率 13% 連対率 24% 複勝率 30%
  1世代当り 20.8頭登録  19頭出走  12頭勝馬  1頭当平均 6.1走
  期間内出走率 91%  期間内勝馬率 63%
  1頭当平均 2107万円獲得  平均勝利距離 1569m
牡馬のみ >
  1世代当り 12.5頭登録  11.7頭出走  7.2頭勝馬  1頭当平均 6走
  期間内出走率 93%  期間内勝馬率 61%
  1頭当平均 1981万円獲得  平均勝利距離 1639m
牝馬のみ >
  1世代当り 8.3頭登録  7.3頭出走  4.8頭勝馬  1頭当平均 6.2走
  期間内出走率 88%  期間内勝馬率 66%
  1頭当平均 2307万円獲得  平均勝利距離 1446m
世代ごとの期間内最高賞金獲得馬 >
  2002年産:ダンツキッチョウ 2001年産:フィーユドゥレーヴ 
  2000年産:ラントゥザフリーズ 1999年産:アローキャリー
  1998年産:ダンツフレーム 1997年産:チアズグレイス
特徴 > 牝馬は非常に得意、非常に数を使う、出走率が高い、非常に早熟志向、下降中

ところが、これがこうなる。くらべて唖然。
2008年JRA全国リーディング 81位の栗東・山内研二厩舎はダービールールのPOGではどうなのか。2003~2005年生世代(3世代)をダービーまでの期間でそれぞれ集計した。

全体成績 >
  通算 36-48-28-243/355  勝率 10% 連対率 24% 複勝率 32%
  期間内重賞 0-0-1-16/17  勝率 0% 連対率 0% 複勝率 6%
  1世代当り 23.7頭登録  21頭出走  10頭勝馬  1頭当平均 5.6走
  期間内出走率 89%  期間内勝馬率 48%
  1頭当平均 765万円獲得  平均勝利距離 1497m
牡馬のみ >
  1世代当り 17.3頭登録  15.3頭出走  8.3頭勝馬  1頭当平均 6走
  期間内出走率 88%  期間内勝馬率 54%
  1頭当平均 898万円獲得  平均勝利距離 1545m
牝馬のみ >
  1世代当り 6.3頭登録  5.7頭出走  1.7頭勝馬  1頭当平均 4.6走
  期間内出走率 89%  期間内勝馬率 29%
  1頭当平均 408万円獲得  平均勝利距離 1200m
世代ごとの期間内最高賞金獲得馬 >
  2005年産:ダンツウィニング 2004年産:コンゴウダイオー
  2003年産:シルクドラグーン
  :
特徴 > 03年産から突如急降下、かつて得意だった牝馬は壊滅。出走率が高く、非常に数を使うのは変わらず


…おお やまうち よ。しんでしまうとは なにごとだ…。
172頭もの数を平均しているのに、前後で比較して勝馬率が2/3、1頭当賞金が1/3近くにもなるというのは、ぶっちゃけありえない。
牝馬に限って言えば勝馬率1/2以下、1頭当賞金は1/5以下である。
諸君らが愛してくれた山内厩舎は死んだ! なぜだッ?!

2005年度の2歳馬からすでに異常な兆候があった。
この年俺が山内でゆいいつ私撰馬に挙げたシルクドラグーンが期間内稼ぎ頭になったが、ダービーまで1-4-0-2、有馬まで2-6-1-6では苦笑するしかなかった。
突然の不振は、仕入れを担う自称「日高の帝王」に原因があるのか? どん底にいた武英智を拾ったせい? いや、そればかりではない。

2007年に山内厩舎は管理馬を大量処分、活躍馬を含む多数の所属馬が引退、あるいは転厩していった。そのなかには一度は入厩し山内馬として調教されていた、デビュー前のディープスカイもいたんである。
一説には中央馬主登録したダーレージャパンの馬を管理するために、それまでの馬主との関係を清算しようとしたとか。たしかに、社台はじめ既存の大馬主に参入を妨害されていたダーレーにとって、社台とのつながりが希薄でかつ実績のある山内師は最適の調教師だったのかもしれない。前々年からすでに水面下で話は進んでいたのだろう。
しかし同年秋、アドマイヤムーン(こいつも私撰馬であった。上記リンク参照)のジャパンカップ後、ダーレージャパンはいったん解散することになる。おかげで山内師はハシゴをはずされた格好になったのだという。

その後の山内馬の不振ぶりは、目を覆わんばかりだ。今期ゼットサンサンの走りぶりは、それを象徴するかのようだった。

この件にかんしては別の機会にもう少し掘り下げてみたい。