へびのように賢く、はとのように素直であれ

いつの頃か、偽善が世の中に満ちている。偽善は見破らなければならない。へびのように賢く、はとのように素直でありたい。

9.11自作自演テロを告発する、圧巻の作!!最終回の②

2008-12-09 12:28:04 | Weblog

→最終回の①より続く


まとめてみよう。「証拠があるから真相は○○である」と断定してはならないのだ。決定的に大切なのは逆に《「○○ではありえない」という証拠が存在しない》という点なのである。様々な証拠によって多くの説明が主張されている場合、


★ 他の説明には《「そうである証拠」も「そうではありえない証拠」も存在する》が


  ★ ○○にだけ《「そうである証拠」が十分にありかつ「そうではありえない」証拠が存在しない》なら、


そのとき始めて「○○を真実であり他は誤りである」と主張できるだろう。


も し一つの説明がある事実と矛盾する場合、その説明はその矛盾がなくなるように修正されなければならない。もし修正が不可能な場合、その説明は「真実ではな い」として放棄され、あるいは少なくとも「凍結」されなければならず、もはやその説明を「真実である」と主張できない。これは当然のことである。


そしてもしある説明が、それと矛盾する事実を意図的に無視して「真実である」と主張されるなら、その説明は「虚構である」と判断されてしかるべきである。


*     *     *     *     *

 
9・ 11事件は日本を含む世界中の国々を巻き込み深刻な影響を与え続けている。このような重大事件・重大犯罪を取り扱う際に、こういった「何が真実で何が虚構 なのか」を判断する基準をいいかげんなままに放置して、単に「主要な風潮」に押し流され「信じるしかない」と追随するばかりなら、そのような態度は主権国 家である我国の将来を取り返しのつかない事態にまで追い詰めていくことになるだろう。近代国家は決して無論理・反理性によって運営されてはならないのだ。


そこで、まずこの9・11事件を判断するための証拠つまり「明確な事実を示すものごと」とは何か、また今まで米国でそれらがどのような取り扱い方をなされてきたのか、検討することにしたい。



[物的証拠について]


 2001年9月11日に米国で起こった「同時多発テロ」は一般的に次のように説明される。


《ビン・ラディン率いるアルカイダに所属する19名のイスラム・テロリストが、当日朝に4機の民間ジェット旅客機を乗っ取り、2機はニューヨークの世界貿易セ
ンター(WTC)ビルに、1機はワシントンの米国国防総省(ペンタゴン)ビルに激突し、残る1機はペンシルヴァニア州シャンクスヴィルの草原に墜落した。
その結果世界貿易センターの第1ビルと第2ビルが崩壊した。そして乗っ取り犯を含む合計3千人近い人々の命が奪われた》。

 
これが史上希なる重大犯罪であることに一点の疑いもない。ところが、この犯罪が行なわれた直後から奇妙なことが起こり始めた。「報復」に名を借りた米国に
よるアフガニスタンへの侵略戦争、結局ウヤムヤにかき消された「炭素菌事件」などもあるのだがが、その陰に隠れてもう一つの極めて重大な出来事が起こっていた。


この大犯罪の物的証拠が続く4ヶ月ほどで次々と姿を消し、永久にこの世から失われるという異常な事態が 進行していたのだ。米国政府機関とニューヨーク市当局の手によって、WTCの7つのビル群を作っていた35万トンを超える鋼材がほぼことごとくリサイクル にまわされ、そのうち判明しているだけでも18万トン以上がスクラップとして中国とインドに破格の値段で叩き売られた。アルミニウムなどの他の金属も米国 内外の再処理業者に売り飛ばされた。


そして売り物にならない瓦礫類は、そのほとんどが原形の見分けもつかないほど粉々に粉砕され砂状あるいは小麦粉並みの微粒子と化していたのだが、ニューヨークの北にある埋立地に放り込まれた。おそらくその中には犠牲者の遺体の部分も大量に含まれていたはずである。


またそれには「凶器」と化してビルに激突した2機の飛行機の残骸も含まれていたのだが、それらは何一つまともな調査も分析もされないままこの世から消えてなくなった。しかしFBIによると、どんな激しい墜落にも耐えることのできたはずのブラックボックスは2機分とも《発見されなかった》


奇妙な話である。2千数百人が犠牲となるような重大犯罪で、その大多数の命を直接に奪った出来事の物的証拠に対して、一体全体どうしてこれほどのぞんざいな扱いができたのだろうか? 


犠牲者の大多数がWTC第1ビルと第2ビルの崩壊の中で亡くなった。そこは紛れも無い殺人現場だったのだ。遺族の心痛が生々しいうちに外国に叩き売った道義的無責任はともかく、殺人現場の物的証拠をロクに調査もせずに廃棄し、しかも永久に調査が不可能になるリサイクル処分としたのだ。WTCばかりではなくペンタゴンやペンシルヴァニアのものも含めて、飛行機の残骸の精密な研究と調査がなされた形跡は無く、もはやその存在すら確認のしようが無い状態である。


犯罪の「凶器」を含む物的証拠が当局者の手によって消滅させられたのだ。


[映像資料について]


このようにほとんどすべての物的証拠が消されてしまった犯罪に関して、一体何をもって「事実」とすべきなのだろうか? この点が9・11を考える際の大きな分岐点になるだろう。以下の点については「当サイトからのご挨拶」や「水掛け論に陥らないために」にも書いたことだが、非常に重要な点であるので、再度詳しく採り上げることにしたい。


2001 年9月11日に起きたことは、ビデオや写真という手段で大量の映像資料として記録されている。特にWTCの3ビルの崩壊については、TV各局が撮影したビ デオ映像、一般の人々によるビデオ映像、プロとアマの写真家による写真画像が極めて豊富に残されている。またWTC建設に関連する昔の写真や記録やビデ オ・テープ、人工衛星からの精密な写真映像、地図や建物の図面などがあり、これらのほとんどはインターネットを通して世界中の誰にでも公開されておりいつ でも確認することができる。


大切な点は、こういった映像資料がすでに非常に数多くの人の目にさらされており、さらに多くの人々や団体によって正確にコピーされているため、誰かにとって都合が悪いからといって今さら変造や隠蔽が不可能なことだ。これはデジタル時代、インターネット時代の重要な特徴である。


逆に今さら「物証」を持ち出されても、それが本当に現場にあったものなのかどうか、どんな確証があるのか、ということになるだろう。事件以降に適当に捏造さ
れ たものではないか、という疑いを排除できなくなるからだ。つまりもし今から「物証」が持ち出されたとしたら、むしろ疑わしいものとして扱うべきであり、多 くの方面の様々な立場の人々によってそれが検証されよほどしっかりとした科学的な証明が為されない限り、本物と認められないものであろう。

→最終回の③に続く




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