へびのように賢く、はとのように素直であれ

いつの頃か、偽善が世の中に満ちている。偽善は見破らなければならない。へびのように賢く、はとのように素直でありたい。

不思議な少年!! その20 ①

2009-04-25 09:44:03 | Weblog

イエス十二歳宮に居る、律法の博士と議論す!!




 聖書によると、

《ルカによる福音書 / 2章 46節~50節
そして三日の後に、イエスが宮の中で教師たちのまん中にすわって、彼らの話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞く人々はみな、イエスの賢さやその答に驚嘆していた。 
 
両 親はこれを見て驚き、そして母が彼に言った、「どうしてこんな事をしてくれたのです。ごらんなさい、おとう様もわたしも心配して、あなたを捜していたので す。」するとイエスは言われた、「どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか。」 
 しかし、両親はその語られた言葉を悟ることができなかった。》

とある。イエス幼少年期のこれぐらいでなかろうか。


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 イエスが立派のは、素晴らしいその智恵と行為にある。決して、素晴らしいとされるから立派なのではない。それは聖書からも窺える。が、十全ではない。滑落しているからである。取りわけ、少年期、青年期については皆無と言っていい。それは仕方のない部分もある。


 最も活躍した時期は30代。最も物議を醸した時期でもある。故に、大きく注目され、且つ又、攻撃も受けたであろうが、記録も多く留められたであろう。それまでは、知る人ぞ知るが、大きくは知られても居なかったであろうし、知るものは近親者若しくは関係する一部の取り巻きしか居ない。その取り巻きは、必ずしも、イエスの偉大性を予見してものばかりではない。当然である。


 幼きイエスを前にして、サンヘドリンの首長ヒレルの素直な姿勢が微笑ましい。そのサンヘドリンが、後にイエスを十字架に架けるのである。




 再びニルサレムの大祭となり、ヨセフとマリヤがその子を連れてそこに行った。時にイエス十二歳。エルサレムにはユダヤ人と諸国の改宗者が集まっていた。


 イエスは宮の広問で祭司と榑土の中に座を占めていた。そしてイエスは予言書を開いて読んだ。


 「禍なる哉ダビデの住みし町、アリエルよ、禍なる哉、われアリエルの武装を解かん、かくて、アリ エルは嘆きて啼(なげ)かん。われ仇(あだ)のとりでをもてこれをとりかこまん。かくてわれこれを低くし、これは地より語らん、狎(な)れ狎れしき(=慣 れ慣れしき:同義)巫女の如く、声なく抑えて語らん、ただささやきて語らん。


 その時無数のあだは、塵のごとくにわかにおそい来らん。万軍のエホバは雷電、暴風、地震、焼き尽 す焔をもておそい来らん。見よ、これらすべての民らはわれを捨てたり。口をもてわれに近づき、口唇をもてわれをうらやめども、その心はわれに遠ざかれり。 われをかしこみおそるるは人の誠命(いましめ)によりて教えられしのみ。


 この故にわれこの民イスラエルのなかにて、奇しき息を吹きかけん。智者の智恵は失せ、さとき者のさときはかくされん。)わが民はおのがはかりごと
の見られざらんために、これをエホバに深くかくさんとす。彼らは夜の暗きにありておのが仕事をかくさんとして言う、誰が今われを見んや。誰か今われを知らんやと。


 あわれおろかなる考よ、造られし者が造り主に、彼は無用な者、われは自らを造れりと言うを得んや。また壷(つぼ)は口を開き、陶工に向って、なん
じにたくみなし、なんじは何も知らずと言うべきや。されど、永くはかかることあらじ、やがてレバノンは肥沃の良田となり、良田は変じて小森となる時来らん。


 その日みみしいは神の言葉を聞き、めしいは神の記録書を読まん。苦しめる者はなぐさめられてよろこびにあふれ、すべて乏しき者は満たされ、すべて愚かなる者はかしこくならん。)民は帰り来て聖なる者を聖別し、心のなかの心にて、見よこれをあがめまつらん。」(イザヤ書二九)


 イエスがこれだけ読みおわると、書をそぱに置いて言った、「あなたがた、律法の先生たち、この予言者の言葉を解釈して下さいましょうか。」


 ヒレルは律法教師たちのなかに居ったが、立ち上がって言った、「恐らく今この言葉を読んだ若いラボニが解釈者でありましょう。」


 そこで、イエスは言った、「予言者の言うアリエルとはわれらのエルサレムです。利己主義と残酷とによって、この民はエロヒムに対して悪臭となった。予言者は遠くから今の時代を見て、この時代をかく言いました。


 われわれの博士、律法家、祭司、学者は、自分たちは賛沢に暮らしながら、貧民をしいたげています。イスラエルの犠牲や供物は神にはいまわしい物に過ぎない。神の求め給うただ一つの犠牲は自我です。人が人に対してかかる不正、残酷な行為をするから、聖なる方はこの国民について言います。

 

 『見よ、われ覆(くつがえ)さん、然り、くつがえさん、くつがえされん。その権威を持つ者の来るまで、その跡形(あとかた)さえも残らざらん。』(エゼキエル書二一・二七)


 全世界には一つの正義の律法があります。これを破る者は悩みを受けます。神は正しいからです。イスラエルは逢かに迷い出しました。公正と人間の権利を顧みません。されば、神はイスラエルを改革して、再び聖道に帰ることを求め給います。


 しかし若しわれらの民が神の声を聞かねば、見よ、遠くからもろもろの国民が来て、エルサレムを掠め荒し、われらの 宮をこぼち、われらの民を外国に捕虜として連れて行きましょう。)しかし、これは永く続かない。たとい遠く広く散らばり、飼う者なき羊の如く、地上の国民 の間に此処彼処(ここかしこ)にさまようとも、


 神は捕(とら)われの群集を連れ戻す時が来ましょう。イスラエルは帰って来て、平和に住みます。かくて数年の後、われらの宮は再び建ち、神のあがむる者、心の清き者の喜ぶ者が来て神の家を誇りとし、正義を以て支配するでしょう。」


 かく語ってイエスは座をはずした。人々はみなおどろいて言った、「これは屹度(きっと)キリストだ。」



【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】


第五部 イエスの幼少時代と初期の教育

第十九章 イエス十二歳宮に居る。律法の博士と議論す。予言者の書を読む。ヒレルの求めに応じて予言を解釈す。

1)再びニルサレムの大祭となり、ヨセフとマリヤがその子を連れてそこに行った。時にイエス十二歳。


2)エルサレムにはユダヤ人と諸国の改宗者が集まっていた。


3)イエスは宮の広問で祭司と榑土の中に座を占めていた。


4)そしてイエスは予言書を開いて読んだ。


5)「禍なる哉ダビデの住みし町、アリエルよ、禍なる哉、われアリエルの武装を解かん、かくて、アリエルは嘆きて啼(なげ)かん。


6)われ仇(あだ)のとりでをもてこれをとりかこまん。


7)かくてわれこれを低くし、これは地より語らん、狎(な)れ狎れしき巫女の如く、声なく抑えて語らん、ただささやきて語らん。


8)その時無数のあだは、塵のごとくにわかにおそい来らん。


9)万軍のエホバは雷電、暴風、地震、焼き尽す焔をもておそい来らん。


10)見よ、これらすべての民らはわれを捨てたり。口をもてわれに近づき、口唇をもてわれをうらやめども、その心はわれに遠ざかれり。われをかしこみおそるるは人の誠命(いましめ)によりて教えられしのみ。


11)この故にわれこの民イスラエルのなかにて、奇しき息を吹きかけん。智者の智恵は失せ、さとき者のさときはかくされん。


12)わが民はおのがはかりごとの見られざらんために、これをエホバに深くかくさんとす。彼らは夜の暗きにありておのが仕事をかくさんとして言う、誰が今われを見んや。誰か今われを知らんやと。


13)あわれおろかなる考よ、造られし者が造り主に、彼は無用な者、われは自らを造れりと言うを得んや。

→②に続く


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