ふるさとは誰にもある。そこには先人の足跡、伝承されたものがある。つくばには ガマの油売り口上がある。

つくば市認定地域民俗無形文化財がまの油売り口上及び筑波山地域ジオパーク構想に関連した出来事や歴史を紹介する記事です。

無形の文化的所産 弟子は匠の技を体で吸収する 

2015-05-24 | ガマの油口上 技法

「苦労」が育む一生の技 
 つくばみらい市の都市農村交流施設「松本邸」のかやぶき屋根が、約60年ぶりにふき替えられている。作業を手掛けるのは、このほど黄綬褒章を受章した萱師・広山美佐雄さん(小美玉市、83歳)と若き弟子2人。マニュアルも設計図もない伝統技術を伝えるこの道60年の親方は言葉少なに黙々と仕事をこなし、弟子たちは体全体で匠の技を吸収していく


               常陽リビング(5月23日)の記事 

【常陽リビングの記事から】 
無形の文化的所産の継承 
 松本邸は江戸時代に建てられた築150年の豪農の家とされ、明治初期頃に取手市宮和出から同地に移築された。作業現場の指揮を執る広山美佐雄さんは、かつて常総市の国指定文化財「坂野家住宅」なども手掛けたベテラン萱帥で、今春、「長年業務に精励し衆民の模範となる者」に授与される黄綬褒章を受章した。「常陽リビング」に藁葺き屋根の葺き替え作業をとおして親方から弟子へ技能が伝授される様子が掲載されている。この記事は演劇、音楽、工芸技術などある種の努力の結果として生み出されたもの(無形の文化的所産)の継承のあり方を教えてくれる。 

▼見て盗むしかなかった
①親方や先輩からは 何の指示もなく、見よう見まねで手を出せば決まって失敗。「あすから来なくていいぞ」という言葉が飛び交った。

 ・・・・・・経験を通して“見えないもの、形になっていないもの、数えられない何物かを感じることができるか否かで次のステージへ進むことができるか挫折に終わる。

②「こうなったら見て盗むしかない」と茅の種類や作業ごとに使い分けている親方の道具などをつぶさに観察した。
 ・・・・・・親方や先輩に「見て盗むしかない」というほどの技があればこそいえる言葉。

③「とにかく苦労の連続。でも、苦労したからいくつになっても忘れねえ」と広山さん
 ・・・・・・「苦労したから幾つになっても忘れねえ」、「一に勉強、二に場数」を踏めば「三は楽しむ」境地に達する。 

◆苦労すれば、力になる
④(弟子には)千取り足取り教えないが時代が変わったからね。聞かれたらちゃんと教えてっけどな。

 ・・・・・・弟子を育てるのが親方の務め、これは国が認定する「人間国宝」もガマの油売り口上も同じ。

⑤作業マニュアルや研修は一切なく、厳密な材料の長さは目分量と長年の経験がモノを言う世界。
 ・・・・・・・「目分量と長年の経験がモノを言う」、“暗黙知”を体得したか、ガマの油売り口上の演技にもこの有無が表れる。  

⑥そもそも自分から学ぼうという気持ちがなければ技術は向上しない。
 ・・・・・・・ガマの油売り口上も全くなのだろう。「自分から学ぶ気持」、とは「見えないものを感じるとる気持ち」も含まれている。

⑦親方の動きを見て自ら工夫し
 ・・・・・・確かな技を保持した親方とそれを学ぶ弟子の関係

⑧「何より失敗することで自分の力になっていく」と2人の弟子
 ・・・・・・「一に勉強、二に場数、三は楽しむ」

⑨「人に丁寧に教えてもらったことはすぐ忘れちゃうけど、自分で真剣に見て覚えたものは何年経っても忘れないんだよ」
 ・・・・・・自分で真剣に見て覚えたもの、感じ取ったものは忘れない。

⑩苦労して獲得した技術が広く応用できることも知っている。
 ・・・・・・「守破離」 
 

⑨ベテランといえども一つとして同じ形の屋根で仕事をしたことはない。だから、いつまで経っても修業なんだよね。
 ・・・・・・・・ベテランが演ずるガマの油売り口上も「どれひとつとっても同じ場で演ずることはない」から「いつまで経っても修業なんだ。」、「一に勉強、二に場数」それがないと「三に楽しむ」境地に達しない。 

⑩萱師の最終目標は「元通り」にすること。その家が建てられた当時のように美しい屋根に戻すこと。
 ・・・・・・・・ガマの油売り口上の演技が目指すものも「その家が建てられた当時のように美しい屋根に戻す」こと。ガマの油売り口上保存会設立の原点に戻り「つくば市認定地域無形民俗文化財」である ガマの油売り口上 のあるべき姿を追い求めることである。 

無形文化財と“大道芸”の違いを知る   
 ガマの油売り口上はどうあるべきか。“つくば市認定”“地域”“無形”“民俗”及び“文化財”の文言が何を意味するかを考えれば、目指すべき姿は自ずとわかる。つくば市の代表する無形民俗芸能であるから、つくば市民に受け入れられるもの、観光産業に寄与すべきものでなければならない。名人はそれが体現できなければならず、他はこれに準ずる。  

 保存会には「ガマの油売り口上士」になるためには「帯刀の仕方や納めるあつかいがスムーズにできる」との指標があるが、一部の会員を除き、これをまともにできる者がいない。

 初代永井兵助は居合抜きの達人だったと伝えられている。文豪夏目漱石は、幼少時に祖父に連れられて行った浅草で見た長井兵助のガマの油売り口上が小説「彼岸過迄」に記述している。居合い抜きが“売り”だった。 正岡子規と親交のあった彼は明治30年に「抜くは長井兵助の大刀春の風」と詠っている。

 戦後、ガマの油売り口上の再興に際して、17代名人を襲名した畳職人の稲葉卯之助さんが出会った16代と称する長井兵助さんも、これまた居合いの達人であった。17代以降の名人は、どなたも居合いの素養がなかったため、いつしか刀を持ってガマの油売り口上を演じても刀の扱い方が忘れ去られてしまった。

 ガマの油売り口上に「エイッツ 抜けば夏なお寒き氷の刃 津欄てん沌玉と散る」とある。これは、刀で敵を真っ向から切り倒し、血振りのシーンを表現したものである。刺身包丁を振り回すシーンではない。ガマの油売り口上の演技で包丁を振り回せばパトカーがやってくる。だから刀・・・・模造刀か居合刀であるが・・・・・を使う。

 そのためには刀の扱い方のうち、構え方、刀には鞘があるから刀の抜き方、納刀、真っ向から切り下ろす動作及び血振りの5つのごく基本的な動作は身につけなければ画竜点睛を欠く。

   


 “民俗”という言葉を理解すれば“他県の歴史上の人物”も剣術と薙刀術の流派に関する言葉が口上で語られることはない。無形文化財であることを理解すれば、単に観客受けを狙った演技、手品まがいの仕草はなじまない。無形文化財と 単なる”大道芸” の違いである。

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